第2話 有効な撃退方法

「あのー。いい加減、あの槍で攻撃してこないでくれませんかー? 毎回毎回、魔界の端っこまで飛ばされるのは大変なんですよう」



 吸血メイドのジーンがボヤきながら、またグレイフィールのいる部屋へと姿を現す。



「わたしは<転移>が得意だからいいですけどね、使えない魔族だったら何日もかけて戻ってくることになるんですよー! ホント、魔界ってのはものすごく広いんですから――」



 転移が得意。


 読書をしていたグレイフィールは、その言葉にまたもため息を吐いた。


 たしかに普通の者ならばすぐには戻ってこれない。

 これほどすばやく帰還するのは、優れた<転移>能力があるからだ。


 不死であるのに加え、この絶対侵入不可能の塔へともぐりこめるほどの転移能力の持ち主……。


 グレイフィールはそんな特異なメイドを、面倒くさそうに眺めた。



「だったらもうここへ来るな……。お前が来なくなれば、私もいちいち槍を生み出すことをしなくて済む」


「そ、そういうわけにもいきませんよう! グレイフィール様には一刻も早くひきこもりをやめていただいて、次の魔王様になってもらわなくちゃいけないんですから! わたしはその『お仕事』で来てるんですっ!」


「そうだったな。だが私にその予定は未来永劫ない」



 きっぱりとそう告げると、ジーンは顔を真っ赤にして言った。



「またそーいう……! わたしは絶対、諦めませんからねっ! せっかくお偉い方々から直々に命じられたんです。必ず、グレイフィール様を魔王にしてみせますよ!」


「そうか。――では、死ね」



 グレイフィールの手元に黒い槍が出現すると、またもやそれがジーンへと投げつけられた。


 ジーンは再び直撃を受け、塔の壁を突き破っていく。



「ぐあああ~~~っ! まーた、これぇえええ~~~っ!?」



 悲痛な叫び声をあげて、部屋からまた吸血メイドが消え失せていく。


 グレイフィールはやれやれと思いながら、あと何度これが繰り返されるのかとうんざりした。


 しかし、そうしている間にもジーンがすぐに舞い戻ってくる。

 首をこきこきと鳴らしながら、



「あの、グレイフィール様? これっていつまで続けるんですか?」



 と、ジト目で訊いてくる。


 グレイフィールはゆっくりと顔を上げ、言い渡した。



「お前が諦めれば、今すぐにでも終わる」


「それは絶対にありえません!」


「なら、私も行動は改めん。どうしたらお前がここへ来なくなるのか……今一度真剣に考えるとしよう」



 ちょうどその時、グレイフィールは興味深い一文を本の中に見つけた。



「む。『人を遠ざけるための精神攻撃』……か。これは試してみる価値があるやもしれんな」


「何をお一人でブツブツおっしゃってるんです?」



 そう言って怪訝な表情をしているメイドに、グレイフィールは足早に近づく。



「なっ? えええっ……」



 なにやら動揺されているが構わない。


 グレイフィールはそのまま、ジーンの後ろの壁に勢いよく手をついた。



「あ、あのっ、グレイフィール様!?」



 本によれば、この『壁ドン』とは対象者を逃げられない場所へと追い詰め、さらにできるだけ顔を近づけて話すと効果的らしい。


 そうすれば、相手は威圧してきた相手を自然と避けるようになる――とのことだった。


 グレイフィールは低く、それでいて威厳のある声で語りかける。



「ジーン・カレルよ、お前には一度きちんと言っておく。私は、この塔から決して出ない」



 ジーンを見ると、何故か小さく身を震わせていた。


 前髪に隠れていて表情はよくわからなかったが――おそらく恐怖からの反応だろう。


 グレイフィールは本の通りだと確かな手ごたえを感じた。



「そして良いか、魔王の座を継承することは絶対にありえない。すでに父上や周囲の幹部にはそう宣言している。ゆえにお前の行動はすべて無意味だ。諦めろ」



 ふたたび告げると、ジーンはぶるぶると震えたままグレイフィールをゆっくりと見上げてきた。



「あの……そ、そうおっしゃられましてもですね! グレイフィール様が今の魔王様よりも……ゆ、優秀で冷酷だと……魔王にこそふさわしいのは貴方様だと……。それは魔王様だけでなく、し、執事長のモールドさんもそう、おっしゃられてまして……わ、わたしもそれは――」


「たとえそう評価されているのだとしても、私は決して魔王にはならん!」


「ううっ、ふぐうっ、ぐ、グレイフィール様ぁ……そんな……どうして、どうして!」



 もう一度きっぱり告げると、ジーンは涙目になってそう叫んだ。


 次の瞬間、ふいに二人の視線がぶつかる。


 グレイフィールの紫の瞳がジーンの濡れた紅い瞳に、ジーンの紅い瞳がグレイフィールの紫の瞳に映った。


 グレイフィールは一瞬その紅色に魅入られ……つい、思ってもいないことを口走ってしまう。



「そもそも私には……その資格が、ない……」


「えっ?」


「私は……人間たちとは友好的に付き合いたいと思っている。だから……人間を滅ぼす魔王には、なれん」


「えっ? あっ、そうなんですか!?」


「あ!? い、いや……!」



 くらりとめまいを覚えながら我に返ったグレイフィールは、瞬時に青ざめた。


 だが時すでに遅し。

 もう本音を吸血メイドにぶちまけた後であった。


 一方、ジーンはきらきらした瞳でグレイフィールを見つめている。



「そう、だったんですね……!」


「いや。こ、これは……よ、よりにもよって<魅了>か!?」



 グレイフィールはわなわなと唇を震わせる。そして、激しく後悔した。


 魔族が、それも魔王の息子がそんなことを考えているなどと、しかも吸血鬼の<魅了>によって口をすべらせてしまったなどと、周囲に知られたら大変なことである。


 だが、すでにやらかしてしまったことを元に戻すことはできない。


 バツの悪い思いをしながら、グレイフィールはジーンにもう一度向き直った。

 今度は瞳を覗きこまないようにして。


 一体どういう態度に出てくるのかと思ってしばらく様子をみたが、意外にもジーンは何も言ってこなかった。



「……」


「……」



 グレイフィールはこの何とも言えない空気と、沈黙が耐え切れなくなって叫ぶ。



「ああっ、まったく! どうしてお前ごときの<魅了>にかかってしまったんだ私は! ずっとこのことは……隠し通してきたというのに!」



 グレイフィールがそう言って額を押さえると、ジーンはぽつりと言った。



「別に、いいんじゃないですか?」


「……何だと?」



 あっけらかんとそう言いきったジーンに、グレイフィールは思わず顔を上げる。



「今なんと言った!」


「あ、いや、そのう……」


「いいから、なんと言ったと訊いている!」


「で、ですから……別に気にしなくでもいいんじゃないですか? それより、そのことわたし以外の誰かに話しましたか?」


「ん? いや、まだ誰にも……。魔族ではまだお前にしか――」


「『魔族では』?」



 グレイフィールがふとつぶやいた言葉に、すぐさま反応するジーン。


 グレイフィールはとっさに口をつぐんだ。

 本当は他にも告げた者がいたのだが、今その話をすると余計にややこしくなりそうだ。


 そういうわけで、グレイフィールはごまかすことにした。



「いや、な……なんでもない! それより、あまり驚いた様子が見えんな。わりと重要な秘密を知ったというのに……私がこのような考えでいるのを、おかしいとは思わないのか?」



 グレイフィールは問う。


 すると、吸血メイドはにっこりと笑って言った。



「さっきも言いましたけど、別にいいと思いますよ?」


「何?」


「わたしも、人間嫌いじゃないですし。というか、どっちかというと大好きですね!」


「大、好き……?」


「ああっ、わたしの場合は<食料>として好きなんですけど! 人間の血が一番おいしいんで。うへへへっ」



 そう言いながら、ジーンは目つきをやや怪しくさせながらじゅるりと舌なめずりをする。


 だが、すぐにハッとなって言った。



「あっ、いや、わたしのことは置いといて……ですね! それよりその、グレイフィール様がそういう風に思ってても……そういう魔族がいたって、別にいいんじゃないかと思うんですよ! だってグレイフィール様は未来の魔王様になるお方でしょう? だったらそんなこと……きっと些末な問題です! ねっ?」



 グレイフィールはその言葉に息を飲んだ。


 まさかそんな答えが返ってくるとは、予想もしていなかったのだ。


 てっきり、手垢が付いたような説教を聞かされると思っていた。「次期魔王候補ともあろうお方がそのようなことを考えられるとは嘆かわしい」などと。ありきたりな、つまらないことを言われると思っていた。


 だが、ジーンはそんなことをまるで言わなかった。


 自分が魔王になることが前提、というような妙な思い込みはあるものの、一応賛同はしてくれている。


 拍子抜けしたが、グレイフィールはまだ気を抜けないでいた。

 あることをまだ確認していない。



「そ、そうか。お前がそういう考えでいるのなら……まあいい。だがジーン、今私が言ったこと、誰か別の者に告げ口するのではあるまいな? それだけは確認しておきたい」


「えっ? いやあ……それは……」



 すると途端にジーンは歯切れが悪くなった。



「なんだ? 正直に言え。上に逐一報告するのがお前の仕事のはずだ。当然、このことも伝えるはずだろう」


「ええっと、それはまあ……そう、なりますか……ね……」


「そうか。ならばやはりやむを得んな」


「え?」


「もし誰かに一言でも言ったのなら――」



 グレイフィールはすっと顔を近づけると、ジーンの頬に軽く口づけを落とした。



「これ以上のことを、されると思え」


「はっ、えっ!? わああああ~~~っ!?」



 ジーンは瞬時に首から上を赤く染めると、あっという間に姿をかき消してしまった。


 周りを見渡してみるが、近くに移動した様子はない。



「ふむ。これはかなり効果があるらしいな……」



 グレイフィールは片眼鏡モノクルの縁を押さえ直すと、さっそく書斎机に戻り、さらさらと今のことを紙に書き留めた。


『精神攻撃は有効。さらに相手の羞恥心を引き出す行動をとれば、さらに効果的である』


 グレイフィールは羽ペンを置くと、ようやく胸を撫で下ろした。 



「ふっ。やはりあれを試したのは正解だったな。これでしばらくは静かになる」




 その後――。


 ジーンはしばらくグレイフィールのいる塔に顔を出さなくなった。


 グレイフィールはそのことに大変満足していたが……まさかさらに面倒くさいことになろうとは、この時にはまだ知る由もなかった。


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