第一章 仲間たちとの出会い

第1話 迷惑なメイド

 グレイフィールは顔をあげた。


 窓の外がもう明るくなっている。

 読書に夢中になっていたら、いつのまにか夜が明けていた。



「ふああっ、もう朝か……!」



 そう言って天を仰ぐ。


 だがすぐに気を取り直し、己の長い黒髪をかきあげた。


 頭部には古木のようにねじくれた黒い巻角が、それぞれ左右の耳の上から一本ずつ生えている。



 グレイフィール・アンダーは魔王の一人息子だ。



 長年、この魔王城の離れの塔にひきこもり続けているが、それは「父親のやり方が気に食わない」という反抗心から始まったものだった。


 もう数十年になる。


 最初は一人暮らしに困惑していたものの、今では一日中読書やモノ作りなどに興じるといった悠々自適の生活を送っていた。



 だが、そんな彼には今、深刻な悩みができつつある。



「……むっ!?」



 グレイフィールはある気配を感じ取り、かけていた金の片眼鏡モノクルをすばやく押さえ直した。


 しかしその奥にある紫の瞳は、誰の姿もとらえることはない。 


 しばし警戒を続ける。すると、



「おっはようございまーす! グレイフィール様!」



 子供のように元気な声が辺りに響き渡った。


 グレイフィールはその端正な顔をわずかに歪め、その声を――無視する。



「グレイフィール様~?」



 これがその「悩みの種」であった。


 数日前から避けることのできない脅威となった者の声である。



(こういうのは気付かないフリが一番だ)



 グレイフィールはそう思うと、また読書を再開させた。


 陽は昇りつつあったが、彼のいる書斎机の周りだけは仄暗く、その机上は明るい。

 それは<魔石灯>という照明がついているおかげだった。



 傘の下の柔らかな白橙色の光が、机の上に積み上げられた本の山と、この書斎の壁中に設置された数多の本棚をくっきりと浮かび上がらせている。



「失礼しま~す! 今日こそひきこもりをやめて、次の魔王様になっていただきますよ! グレイフィール様!」



 また同じような声がする。今度は一人の少女が部屋の中に姿を現した。


 それは、真っ白な髪をひと房ずつ左右の高い位置で結い上げた、美しいメイドの少女だった。



 怪しげな紅い瞳。それをふちどる白くて長い睫。

 そして、蠱惑的に笑った唇の端から、ちらりと見え隠れする白い牙。


 彼女は一週間ほど前からグレイフィールの下に配属させられた、吸血鬼のメイドだった。



 何者も寄せ付けない<領域>と化したグレイフィールの塔。


 そこにいともたやすく侵入してくる魔族がいるなど、グレイフィールには驚くべきことだった。


 グレイフィールは警戒を続けながら冷静に告げる。



「入室の許可は、まだ出していないぞ。ジーン・カレル」


「一応声はおかけしました~。だから、それでよろしいじゃないですか? グレイフィール様」



 わざと冷たく言ったが、メイドのジーンはあくまでもあっけらかんとしている。


 グレイフィールは苛立ちにこめかみを震わせた。



「……礼儀を、知らぬようだ」


「む。知ってますよー! でもグレイフィール様はわたしが何度『入って良いですか』って訊いても、ずっと無視してくるじゃないですかぁ。だからもう返事があろうとなかろうと、勝手に入ることにしたんですっ! わたしにはそれができますし。なによりこれは『仕事』なんで!」



 ジーンが鼻息荒く言うと、グレイフィールはぱたんと本を閉じた。


 そして右手に黒い槍を生み出すと、それをものすごい速さでジーンへと投げつける。



「えっ? わっ! ぐあああ~~~っ!!」



 まともに槍を受け、ジーンはそのまま部屋の壁とともに屋外へと吹っ飛ばされていった。

 あっさり攻撃を喰らうので、塔から追い出すことはできる。そう「追い出すこと」はできるのだが……。



 崩れ去った壁は、グレイフィールの魔力で自動的に修復されていく。


 しばらくすると部屋はすっかり元通りになり、グレイフィールはまた読書を再開させた。



「ちょっ……ひ、ひどくないですか~!? いくらわたしが死なないからって!」

「!」


 腹に大穴を開けたまま、メイドのジーンが戻ってくる。


 そう、攻撃は喰らうが防御力がとんでもなく高いのだ。

 ジーンは「不死」の吸血鬼だった。


 正確には、傷などの再生がものすごい速さで行われるので「不死に見えるだけ」なのだが――とにかく、腹の傷もメイド服とともにもう元に戻りつつあった。


 驚異的な回復の速さである。



 グレイフィールは『吸血鬼の殺し方』という本の頁をめくりながら、うんざりして言った。



「不死の吸血鬼というものは厄介だな……。追い払っても追い払ってもこうでは、埒が明かん。どうしたら殺せるのか、これを読んで早く解明せねば」


「うわあ。本人の前でフツーそういうこと言います?」



 ジト目で文句を言ってくるジーンに、グレイフィールは眉間のしわをさらに深くする。



「……何度も言っているが、迷惑だ。私は魔王になる気はない。『ここに入って来るなら殺す』とも警告しているのに、お前はまるで聴く耳を持たんな」


「こっちだって何度も申し上げていますけどー。わたしは、『仕事』で来てるんですよー! グレイフィール様にひきこもりをやめてもらって、次の魔王様になっていただくっていう……現魔王様と執事長に直々に命じられた『お仕事』を、わたしはこなしているだけなんですっ! そうじゃなかったらわたし、グレイフィール様のお邪魔なんて……」



 そう言って、うるうると涙目で見つめてくるメイドに、グレイフィールは――またも無慈悲に槍を投げつけた。


 先ほどと同じように、ジーンはまた部屋の壁とともに遠くへ吹き飛んでいく。



「うわああああーん。ひどいです~っ!! グレイフィール様の冷血漢~~~!!」


「なんとでも言え」



 きっと今回も殺せてはいない。


 解ってはいたが、グレイフィールはせめて精神的にだけでもジーンに痛手を負わせたいと思っていた。


 そしてできれば永久に戻って来ないでほしい。



 不死の吸血メイドはいろいろと面倒くさい。

 殺せないから追い払いきれないうえに、向こうには悪意がまるでないときている。



 こんな迷惑なヤツを差し向けてきた父親に対して、グレイフィールはもう数十回目にもなるため息を吐くのだった。

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