第40話「2011.3.12」
「……大泉か、久しいなまさか私に電話してくるとは? なんだ、なんのようだ?こっちが今忙しいことは重々承知してるだろう?」
大泉が電話をかけた相手は、民政党幹事長にして実質のトップである大澤三郎である。
「大澤さん、民自党だ、民政党だって言ってる場合じゃない。福島原発が大変なことになってるんだ。もうすでに電源能力が失われてる。急いで冷却をしてくれ、手遅れになる前に」
という大泉の言葉に民政党の大澤もどきりとさせられた、その情報はまだどこからも入ってきていなかった。大澤がこの大泉の電話に出たのは全くのたまたまであったが、気まぐれを起こして良かったと言えた。
「冷却しろというのはどういうことだ? 地震で原子炉は止まったはずだろう?」
強い地震を感知すれば、原子炉は自動で止まる。しかし原子炉は止まればいいというものではない、たとえ反応は止まってもすでに反応している放射性物質の崩壊熱はが冷めることはない。それが原子炉内の燃料棒を溶かす可能性が十分にあった。
「危険は続いてるんだ! 海水、海水をぶち込むしかない! その判断は官邸にしかできないんだ」
「――馬鹿を言うな、そんなことしたら、廃炉だぞ! まだ危険かどうかもわからない状態でそんな判断を俺たちにさせる気か?
もし海水を注入すれば確かに冷やされるかもしれない。
だがそうなったら原子力発電所は二度と使い物にならない。この段階でその判断を行うことは非常に厳しい、当然東電(東日本電力)の強い抵抗が想像されるし、廃炉になれば今後のエネルギー行政に大きな影響を及ぼす。
「民事とか言ってる場合じゃないんだ、大澤さん! わかってくれ、今は何よりも冷やすことが優先される、爆発してしまえば廃炉もくそも関係ないだろう」
「うるさい!それはお前らに言われることじゃない、こっちで情報を集め判断する、貴重な情報ありがとうよ!じゃあな」
そういって大澤は電話を切った。
鬼気迫る大泉の訴えだったが、大澤はそれをうのみにするわけにもいかなかった。一方的に廃炉の判断をして海水を注入した場合、各方面から批判を食らう。海水を注入するにはそれしかないという根拠が必要であった。
現段階では大澤にはそれほど大事になってるとは思えなかった。
それでも大泉が妄言を言ってるのも思えず、大澤は急ぎ、小菅とそれから東電の人間と原子力保安委員会の人間を呼びだした。
□ □ □
「いや、確かに津波を受けましたが、福島原発は大丈夫です。制御棒が機能していますのでコントロールできてます。海水を注入したら、それこそあの原発にかけた費用とか全部パーですよ。真水の注入を何とか行いますので、海水だけは絶対ダメです」
東電の担当者は、海水の注入をかたくなに拒否した。
原発の設置には多大な費用が掛かっている、建物だけということだけではなく周辺住民への対策費もそれは含まれている。もし廃炉にした場合その費用はいったいどこからねん出するというのか。
それが東電の主張であった。
「電力が失われてるのは確かなんだろう?」
小菅は東電側に尋ねる。
「事実ですが、すぐ復帰させます。復帰さえすれば冷却もできますので」
小菅は難しい判断を迫られていた。
事実を隠蔽したいところだが、それでは避難指示はできなくなる。
「本当に大丈夫なんだな?」
小菅は念を押す。
「原子炉は止まってると報告を受けています。今は非常用のディーゼルが稼働しているはずなので冷却も問題ありません」
結局判断を先送りにしたかった小菅は、福島原発の電力が失われてるとだけ発表し、20時に原発から半径2km以内の人間に対して避難命令を出した。
海水の注入は行われなかった。
しかし小菅のこの判断が間違ってるのは、3月11日の深夜にすぐ判明する。福島原発1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇しているとの報告がもたらされたのだった。
このままいけば、格納容器が破裂する可能性が大であった。
東電の説明によれば、破損をふせぐために格納容器内の空気を外に逃がす「ベント作業」が必要であるという。
「そんなことをすれば、放射性物質が外に巻き散らかされるじゃないか!?」
小菅は激昂した。
「いえ、開放する部分はあくまで蒸気がある部分なので、そんなことはありません。とにかくでも圧力を下げないと危険です」
「お前らが安全って言ったんだろうが、もういい私も現場に行く!」
そう小菅は言い放って、ヘリコプターで福島原発に向かう判断をするのだった。
□ □ □
「たわけが……こんなことをしても現場の人間の手間を増やすだけぜよ、結局海水注入も行っておらんし、小菅は何をしちょうか」
3月12日、午前7時小菅が福島原発に現地入りしたというニュースを見ながら、龍太はあきれていた。
画面にはしかめ面をしながら、現場の人間にきつくあたる小菅の姿が映し出されていた。
「いち早く、ベント作業しなければいけないのに、これで2時間は作業が遅れる計算になりますか」
隣でカオスが言う。二人は、地震のあと自宅には戻らず、民自党の本部にいた。帰宅できないことを理由に、民自党の宿舎にそのまま避難させてもらっているという連絡を家族にはしてあった。
「2時間どころじゃないちゃ、少なくとも小菅の到着の前にベント作業はできんくなったろうから、大幅な遅れぜよ。歯がゆい……我々が政権を取っていれば。――ひょっとして大澤はわざとこげんことやっちょうか?」
「さすがの大澤もそんなことをしないでしょう、一歩間違えば日本を売国するどころか、誰も日本に住めなくなるんですよ」
「……そうじゃが、もう祈るだけぜよ。わしは、今にも大爆発が起きて日本中が放射能まみれになるんじゃないかと心配でならんちや」
「今のところ、運がいいってことですか?」
「不幸中の幸いってやつぜよ」
――そして午前10時、ベント作業は行われ一人のベテラン作業員によって手作業によるベント作業が成功し、格納容器の圧壊は免れた。その後彼は受けてはいけない量の放射線を受けてしまったため、吐き気を訴えて病院に搬送される。
彼は真の英雄であった。
今日、我々が生きているのはその一人に英雄のためなのかもしれない。
しかし15時30分ごろ、とうとう恐れていたことが起こる。
1号炉の原子炉建屋において、爆発がおき、建屋の屋根が吹っ飛んだのだ。建屋とは原子炉の外側を覆う壁であって、原子炉そのものではない。また、地震の多い日本では建屋の天井は、万が一落っこちても原子炉が破損しないよう比較的軽装であるといえる。
政府発表で、その爆発が水素爆発であって、放射性物質によるものではないと強調された。破壊されたのは建屋であって、格納容器に影響はないというアナウンスだったが、このころになると政府の発表を懐疑的に見るものが多かった。
もちろん万が一核爆発であったら、建屋が吹っ飛ぶ程度で済むはずがないのだが。
そして、3月12日20:00、ようやく小菅首相は政府は海水の注入の決断を下した。
龍太からすれば、それはあまりにも遅すぎる判断であった。
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