第41話「3.14」

 その後も福島原発はさまざまな危機に見舞われていた。水素爆発は1号機だけでなく、3月14日には3号機も水素爆発を起こした。さらに同、3月14日には2号機の冷却機能も失われ、格納容器内圧力が異常上昇した。

 さらには3月15日、とうとう4号機の建屋の壁の破損と、火災の発生が確認された。

 本当にいつ何が起きてもおかしくない状況であった。途中自衛隊のヘリによる空中からの水の散水も行われたりもしたが、効果があったとは言いがたかった。

 そしてようやく、3月19日には、川上の音頭の元、東京都に要請が出され、都のハイパーレスキュー隊による13時間を超える大量放水が行われた。

 結果、放水車が壊れる事態を招いたものの、なんとか3号機の温度を下げることに成功した。


 福島原発はトップの判断ミスにより大変な危機に見舞われていたものの、賢明な現場の人間の命がけの努力によって、最悪の事態を避けていた。結果、多くの人間が被ばくし、病院に搬送された。公表されてないものの死亡した人間もいるだろう、そのことを思うと龍太はなんともやりきれなかった。


 問題はもちろん福島だけではなかった。

 被災者への必要物資の輸送は滞っており、また見通しの見えない避難生活は、肉体的以上に精神に大きな影響を与えていた。被災地以外の影響も甚大だった。東北で生産していた食品のパック等が生産されなくなったことで、多くの食品の販売が止まった。

 さらには、石油の問題である。多くの地域で、石油の搬送が滞り、ガソリンスタンドには連日長蛇の列ができていた。また多くの被災地で電気の復旧が遅れて、暗闇の中で過ごす人々が多数いた。


 国際的には多くの国が日本に好意的で多くのボランティアが送られ、さまざまな国から支援が発表されるものの、投資家の反応は素直であり、株価はもちろん急落していた。もともと株価が高くなかったことが救いだったとも言えたが、経済的にはもう日本は終わりだといわれても仕方なかった。


 ただ奇跡的に龍太が心配するような事態は起きずに、日本は3月をしのぎ切った。様々な危機はあったし、飛散したと思われる放射性物質はもはや日本を安全だというには難しい量で、さらには周辺地域が元に戻るにはおそらく100年単位の話になるだろうという事態ではあったが、メルトダウンは起きなかった。


 なぜ起きなかったのか、それは様々な奇跡が重なったおかげだというのが専門家の意見である。


 天晴会のメンバーも被災地中を走り回った。SWORDの荒木出央はSWORDの大規模なボランティア集団を作り、各地で募金活動を行った。現地へ行くことも検討したが、現段階では移動手段の不足や現地の危険性、宿泊先の不足を考えて断念した。

 

 そしてAGEHAはすぐにチャリティーコンサートを行うことを発表した。


 被災地以外で行うLIVEの売り上げはすべて寄付に回すことを表明し、また娯楽の少ない被災地ではこういったエンターテイメントも必要だと訴えて、4月に仙台と盛岡でYSK36と共同で無償ライブを行うことを発表した。

 いまはそれどころじゃないと批判する声も多かったが、そこは強行することにした。被災地の声はほとんど歓迎ムードであった。

 食料や、水以上に娯楽がないことは、実は被災地が抱える隠れた問題の一つである。


 大泉は超党派で、特に東北出身の議員たちと音頭を取って、特別法の成立に尽力を注ぎ、さらに現地に赴いて現状を綿密に調査し、必要物資の調達を行った。


 また、東日本大震災の陰に隠れて目立たたなかったが、3月12日に起きた長野県の震災にも着目し、いち早く現地に出向いたが、その際、栄村が孤立していて向かうことができなかった。

 東北と原発の問題で、埋もれてしまいそうであったので、必死に大泉はこの地域への支援をアピールした。大泉が声をあげなければ、長野に向かう自衛隊などの支援の手は少なくなっていたかも知れない。


 川上もまた動いていた。知事会の中心にいた川上は、すぐさま東京に要請をかけ、東京消防庁の現場への派遣を約束させた。また大阪の府職員、市職員を東北に向かわせる判断を全国に先駆けて行った。


 「我々を向かわせるより先に、知事が行くべきだ」という声をあげる職員もいたが、「上が言っても邪魔なだけ、阪神淡路での警経験があるあなた方の力が必要だ」とその意見をおさえつけた。

 同様に神戸市長にも、協力を要請した。


 野党が、俊敏なフットワークで被災地をめぐる一方で、与党の動きは鈍かった。むしろ足を引っ張っていたといってもいい、アメリカ軍の空母派遣による被災地支援に難色を示す一方で、中国支援にはは絶大な感謝を示したりして、アメリカ軍の士気を下げた。

 さらに中国政府を意識してからなのか、大規模な支援をしてくれた台湾に対しては何も触れることはなかった。


 また、大臣は不適切な発言を繰り返し、民政党の議員には、言い間違いとはいえ、「東北の皆様にはこの度深くお祝いを申し上げます」などと信じられない発言をした者もいた。

 

 この事態に、大澤は自陣営の大臣を含む議員の能力のなさにさすがに辟易へきえきしていた。

 だがさすがは転生者である、琢野や日野芳子と言った転生者たちは機敏に動き、特に日野はこの震災の中での官房長官という辛い立場でありながら、職務を全うにこなしていたし、記者会見の際にはうまい具合に記者からの都合の悪い質問を話術で逃げていた。

 この時期の日野芳子の睡眠時間は2時間を切っていたという。


 とはいえ、小菅首相の無能っぷりは国民のよく知るところとなってしまい、小菅の支持率は急激に落ちていった。小菅自身も震災時の首相という大きなプレッシャーと世論の罵詈雑言によって、ほとんどノイローゼ気味になっていた。


 そこで、小菅はある一手に出るのだった。

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