第35話「AGEHA」
橋置が民政党を離党することによって、304議席あった民政党の議席は283人までその数を減らした。当初、16人が離党の予定であったが、さらにその後も橋置の動きに追従するものが現れて、最終的に21人が民政党から、日本革新同盟に移ったことになる。
そして、大量の離党者を生んでしまったことと、尖閣諸島の対応の不手際の責任を取る形で、予定通り
参議院は民自党が過半数を超えていたため、小菅は選出されなかったが、衆議院では283きっちりの白票を得て、小菅が選ばれた。
もちろん、参議院の結果に関係なく、烏山の後任の首相は小菅に決定される。
クリーンイメージと、大澤の影響が少なそうな小菅の国民からの評価は高く、発足直後の支持率は65%を上回るものであった。
神野みこ事件、尖閣諸島の件や、橋置の離脱などを考えればこれは相当に高い水準であり、ここには初の女性官房長官として日連芳子を配置したことが大きく影響を与えていた。
眠りからまだ目が覚めない神野みこに代わって、女政治の中心は完全に日野芳子のものになろうとしていた。
そして小菅政権が発足して、なんだかんだで20歳立候補法案は先送りのまま臨時国会は終了した。
紆余曲折や、予定外はいくつかあったものの、ここまでは大澤の目論見通りと言える。20歳立候補は再起送りにしたうえで、首相をすげ変えて支持率を回復させたのである。
さて、2010年も12月を迎え、再び紅白歌合戦を迎えようとしていた。今年もYSK36の出演が決まっていたが、もちろん神野みこの出演の予定はない。
YSK36も夏の総選挙では「神野みこのために」ということで、昨年以上の盛り上がりを見せていたが、ファンというのはあきやすいもので、動きを見せない神野みこに対して、徐々に関心は薄れ始め、マスコミの扱いも徐々に小さくなっていった。
とはいえ2010年、音楽シーンの中心、特に前半は完全にYSKのものであった、CD売り上げの上位のほとんどがYSKかジャニーズで占拠され、完全にオタクのアイドルだったTSKが国民的アイドルへと飛躍した年だった。一方で2010はろくな曲がなかったと揶揄されたりもした。
そんななか、正統派のシンガーとして評価されたのが「AGEHA」、つまり忠常アゲハである。
アゲハは神野みこが眠りについた後、楽曲を提供するのではなく、自らがシンガーとして表に出ることになった。
2010年9月、アゲハはすでにネットではすでに話題だったデビュー曲「
「今日の最初はアゲハさんです。――本名なんだってこの名前」
サングラスがトレードマークの司会者に紹介された瞬間、スタジオからは黄色い声援が飛ぶ。
「あ、はい。本名ですね、名字が忠常なんで、ちょっとアーティストっぽくないかなあって、AGEHAにしました」
「きれいな顔してるよねえ、モテるでしょ」
「いやあっ、これが本当に彼女とかいたことなくて、芸能界入って、みた目に気を遣うようになったからキャーキャー言われたのかなあって思います。学生の時とか俺マジただのオタクだったんすよ、まあ今もっすけどね」
アゲハは自らの芸能活動のために、ゴリゴリのビジュアル系メイクをしていた。イメージは京本政樹である。
もともと女性であることもあって非常に化粧映えする顔のつくりであり、以前朝生に出演した時とは、打って変わったかのような整った容姿になっていた。
「そういえばなんかネットで結構活躍してるんだっけ?」
「そうですね、政治の話とかも結構してて、まあまさかテレビ出るようになるとは思わなかったっす」
「『美心』これでまごころっていうんだね、大変話題ってことで、でもCD出してないんでしょ、いい曲だし売れると思うよ、出せばいいのに」
「どっちかっていうと、売れてほしいっていうより、多くの人に聞いてほしい曲なんで、とりあえずタダでいいかなあって思ってます」
「聞いてほしいてことはやっぱこの曲はYSKのみこちゃんのためっていう噂は本当なの?」
「そうです、彼女も頑張ってるんで、みんなにもそのことをわすれてほしくないって思いで作りました。あんま音楽番組でいうことじゃないですけど、彼女がしようとしていたことをまた思い出してほしいなって思ってます」
「曲を聞いたファンは、二人が付き合ってたんじゃないかとか言ってるけど、どうなの実際?」
「はははっ、ちょっとやめてくださいよモリさん。付き合っているとかじゃなくて、仲間っていう思いですよね。仲間に対する思いを書いた作品です」
「その割にはラブソングぽいよね」
ちなみに曲を書いたのはアゲハであるが、作詞は龍太が行った。どうしてもアゲハが作る歌詞では怨念が深かったり、憎悪が含まれて感動が生まれないので、龍太がみこに対する複雑な思いを書いたところ、神曲として評価されていた。
「……まあ俺はみこちゃんのこと好きですからね」
唐突なアゲハのアドリブに、会場中がざわついた。
サングラスの司会も一瞬言葉に詰まった、台本にない話であった。
「好きって、それは仲間としてってことでしょ」
そう聞かれると、アゲハは意を決したように話し始めた。
「……いやあ、異性としてですね。みこちゃん魅力的ですから。でも、もうネットとか一部では有名なんでちゃんと言っておこうと思うんですけど、おれ実はもともと女なんですよ、いわゆるトランスジェンダーってやつで、完全に心は男です。だからみこちゃんと俺が付き合ってたとかそういうことはないって断言しておきます」
この瞬間スタジオ中がざわめき始めた、後ろで話を聞いてる他のアーティストたちもお互いを見合わせたり、あっけにとられた表情をする。
一番困ったのは、まったく想定していなかった司会であるだろう。
「と、とりあえず、歌ってもらおうかな」
そういってサングラスの司会は、話を打ち切って、アゲハをステージに向かわせた。
「では聞いてもらいましょうAGEHAさんで『美心』です」
司会の言葉を受けて、アシスタントの女子アナが声を上ずらせながら、曲紹介をする。急な展開でスタッフ総出で大慌てとなるのだった。
間もなく前奏が流されると、アゲハは静かに歌い始める。
優しい歌詞のラブソングでありながら、曲調は極めてロックであり、最初の静かな始まりからは想像できないほどサビは激しい曲である。
鬼気迫る表情、そしてハイトーンボイスで歌い上げる姿は多くの視聴者の心を打った。
歌い終わるとAGEHAは誰に向けるでもなく深々と礼をした。
もともとスマイル動画で人気のあった彼のこの出演シーンは、いろんな人に動画化されてしばらく、いろんな動画サイトのランキングの上位にあり続けた。またこの日を境にトランスジェンダーを認識されたAGEHAはLGBTの急先鋒としても注目されるようになり、多くのマスコミにとり扱われるようになる。
特に女装タレントの一人者、ミヨコ・マックスには大変気に入られ、たびたび番組によばれるようになると、決してトークの得意なAGEHAではなかったが、忌憚のない飾らない話をミヨコの軽快な話術によって引き出され、ますますお茶の間でも人気を博するようになっていった。
そうして、またたくまにAGEHAは、紅白出場を決めたのであった。
それもYSK36とのスペシャルユニットで、神野みこ応援団として紅白のトリを務めることになる。
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