第33話「日連芳子」
「大澤幹事長、大変です、例の映像が流出しました」
民政党の琢野官房長官が、その一報を大澤に伝えると、大澤は強く眉間にしわを寄せて顔をゆがませた。怒りなのか、大澤の体は小刻みに震えているように見えた。
「どういうことだ、詳細を教えろ」
大澤は瞬時に自分の計画が崩れていく未来を想定した。ではあるが現在の状況がわからなかった。衝突のビデオを知っているものは少ない。
海上保安庁の事件の当事者か、上層部の一部、そして内閣の大臣たちだけである。
どこから漏れたというのだろうか。
「Uチューブです、大澤さん。動画サイトで例の衝突映像がすべて公開されてしまってます。おそらく海上保安庁の人間かと……」
Uチューブは素人でも誰でも動画を投稿できるサイトである。検閲などをされることはなく、違法性さえなければどんな映像でも流すことができる。そして今回、中国船が自分から激しく海上保安庁の船にぶつかりに来てる様子がはっきりと動画に映し出されていた。
一度船の先端から巡視船のわき腹に衝突した後は、海上保安庁の船に横付けし、側面から巡視船にぶつかるということを繰り返していた。
これが故意じゃないということにはできない決定的な証拠画像だった。
現段階では誰が流出させたものかはわかっていない、ただUチューブのユーザーネームが「hirock47」だということだけがわかっていた。
大澤はすぐさまテレビをつけた。案の定あらゆる局で、そのニュースが流され、Uチューブの映像もバンバンテレビで使われていた。
当然、コメンテイターたちは船長を釈放してしまった政府の責任を語っていた。あるいは釈放を決めた沖縄検察を責めるものもいた。
「とにかく私は記者会見をしてきます」
それは、官房長官である琢野の役目である、マスコミが騒ぐ前にある程度の言い訳を考えな変えればいけない。
とっさに大澤は琢野に指示を出す。
「余計なことは言わなくていい、あくまで釈放は検察の判断だとアピールしろ。映像を公開しなかったのは、海上保安庁の装備や船の機密保護のためだということにしておけ、むしろ機密が保護されず流出してしまったことの方を責めろ」
「さすが大澤様、私もそうするつもりでした。すでに流出犯を探し出すよう指示しています」
「……琢野、手際がいいな。とりあえずマスコミは頼んだぞ」
「はい、では」
そういって琢野は記者会見へと向かった。
そして大澤はシナリオの変更を考え始める。
この映像を非公開にしていたこと、そして船長を釈放してしまったことの責任は避けられない。
11月いっぱいまで烏山の辞任は引っ張ろうと思っていたが、すぐにでも責任を取らせないと、民政党へもだいぶ悪影響が出る。問題は国会より世論であった。
今回の件でますます、学生や若者の運動は活発になるだろう、同時に反中感情も高まり、中国寄りの我々民政党は格好の敵ということになりかねない。さらに学生運動が高まれば、当然少し冷めていた神野みこ熱が再燃しかねない。
大澤には速やかに烏山に責任を取らせて、この騒動の決着を図るほかに解決策はないように思えた。
問題はそのあとの組閣。
小菅を首相に迎えるのはいいとして、官房長官を琢野以外のだれにやらせるかである。首相を変える以上、そのまま琢野を官房長官に据えるわけにもいかない。国民の人気を考えれば、橋置を据えるのもいいが、橋置は転生者ではないし、自分でものを考える政治家である故、傀儡にするには向いていない。
(すこし、冒険ではあるが、あの女を使ってみるか)
――
元モデルで、民政党政権になるまえから鋭い意見をガンガンとはっきり言って人気を得ていた女政治家である。
政権を握ってからは、事業仕分けを担当する大臣として、鋭く官僚に切り込んで予算を削減し、ここでも国民の人気を得ていた。批判する声も多くあるが、圧倒的に彼女を支持する声の方が多い。
「1位じゃなきゃダメなんて誰が決めたの?」
という彼女が事業仕分けの時に出したセリフは去年の流行語候補にも挙がったほどである。
この女を官房長官に起用すれば、初の女性官房長官に加え最年少であり、女性と若年層の両方にアピールができる。
あとは琢野ほどの実務能力があるかどうかだが、そこは琢野がうまくフォローするであろう。
さっそく大澤は日連を呼び出した。首相候補である小菅にはまだ何も言ってないが、重要なのは官房長官である。小菅の方は所詮、人形として使うだけであり、意思は関係ない。
ちょうど日連は首相官邸にいたためにすぐ大澤のいる執務室にやってきた。
「およびですか幹事長?」
襟を極端に立てたいつものスタイルで、日蓮は姿を現した。
「あぁ……重要な案件だ」
「やはり今回の件でしょうか……もう烏山は終わりということです?」
日蓮のしゃべり方は非常にゆったりと、そしてなまめかしいものである。何も企んでなくてもそのように思われる。国民の前で話すときは全く違うのだが。
「その通りだ、察しがいいな。さすがは応仁の乱を影から操っていた女よ」
「ふふふ、影からだなんて人聞きの悪い、それじゃあまるで私が京都を焼け野原にしたみたいではありませんか」
もちろんだが、日連もまた
彼女の前世は、日本三大悪女として名高い
日野富子は自分の息子義尚を将軍の位置につけるため、義政の弟義視と争うことになった。この際、富子は義尚の後ろ盾にするために山名氏と手を結び、山名氏は義視を推す細川氏と対立することになった。
これが1467年の応仁の乱の原因の一つである。
さらにこの応仁の乱の際、日野富子は応仁の乱の両陣営に軍資金を貸し付けるという武器商人もびっくりのことをしている。
これゆえに、室町時代の富と言えるものは相当な量、富子に集まっていた。
この辺が日野富子が悪女と言われるゆえんである。
しかしそれは悪女というよりは、高度な政治能力と財政管理能力を示すエピソードに過ぎず、義政が実質政治に関心を示していなかったとき、実質の権力者は富子でった。
非常に有能な人物なのは間違いなく、もし欠点と言える部分があるのなら、過剰なまでの金への執着であろうが、それすら長所ということできるだろう。
お金に関しては、現世における事業仕分けでその性格が最もはっきり表れたといえ、現に日連は相当な予算の削減を行ったのである。
大澤は非常に日連を高く評価していた。時代が許せば彼女を首相に据えてもいいとさえ考えている。
「察しの通り、烏山をやめさせて、小菅を総理にしようと思ってる。日連君には、官房長官として彼をサポートしてもらいたい」
大澤がそう告げると、日連は肩眉をひそめいぶかしげな表情をした。
「それまた、大胆な人事ですわね。務まりましょうか私に?」
「能力としては申し分ないだろう。君も自覚してるだろうが」
「そうではなく、やはり世間的にということですわ。女で元モデルで、そしてまだ40前半です、官房長官という重職を任せるには貫目がたりないとか言われないでしょうか」
貫目とはいわば格のことである。
特に明確な基準があるわけではないが、日本独特の年功序列がもたらしたきわめてあいまいな個人を評価する基準だといっていい。
「もちろんそれはあるだろうが、民政党が実力主義だということを見せるいい機会になる。君なら実力で納得させられるだろう」
大澤は力強く、そう日連に告げた。
「……わかりました、全力をもって臨ませていただきます」
そういった日連の表情には、自信があふれ出ていた。
あの室町時代の難しい政治状況に比べれば現代の日本の状況はぬるま湯であると感じていた。室町の時は、最後の最後で権力を失ってしまったが、現代の日本ならばたやすいであろう。それが日連の自信の根拠である。
現世では時勢を読み民政党に入り、女としての武器も使い、ついにこのポジションまでたどり着いた。
今度こそ日本を完全に手中におさめる、それが目の前まで来たことに日連は笑みを隠せなかった。
そして大澤は日連芳子という戦力を中心にすることで、新生民政党の準備を確実に進めていった。
しかしそんな大澤に思いもよらない造反劇が訪れる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます