第30話「大阪事変③」

 龍太はスマホを落としたまま動かない。

 カオスは、龍太が落としたスマホを拾うと、すぐさま砂川に尋ねた。


「相手は? 撃った相手はどうしたんですか、砂川さん?」

「……申し訳ない、逃したっ――追いかける余裕がなかった」

「――な、何をやってるんですか!? 砂川さん。あなたがそんなことどうするんですか」

 動揺はもちろんカオスにも伝わっていた。カオスは思わず砂川を責める。

 電話越しでははっきり言って何もわからない。すぐさまに現場に向かう必要があった。


「みこさんの応急手当てを優先した、ほおっておくことはできなかった、すまん」

「……生きてるんですよねみこさんは? どこですか、どの病院ですか?すぐに我々も向かいます」

 カオスは切迫して、砂川に尋ねる。行ってどうなるもんではないが行かないわけにはいかない。


「南野病院だ、すでに手術に入ってる、できることはないと思うが」


「何を言うんです! 坂本さんの気持ちがわからないんですか?」

 興奮するカオスに比べて、現場の砂川は冷静である。この辺はやはり殺しの最前線にいた人間とそうじゃない人間の差なのだろう。確かにカオスや龍太が向かったところでできることなどないが、役に立つとかできるとかできないとかそういう問題ではないのを砂川は理解できていなかった。


「坂本さんだけじゃない、私たちにだってただ事ではない。すぐにそちらに向かうからな。それと病院だって安全とは限らん、油断するなよ砂川」

 カオスに続いて大泉が、大声で素直に訴えかけた。

 うんうんと麻野もうなずいている。

 そして、少し落ち着きを取り戻した龍太が告げる。


「みんなで行っても仕方ないぜよ……特に麻野さんと大泉さんが言っても目立つだけちや。ここはわしとカオスだけで大阪に向かう。大泉さん、移動手段の確保を頼む」

 龍太の言うとおりである、全員が向かうことに意味はない。

 犯人はほぼ民政党周りの組織である、ならば麻野、大泉の二人には、いち早く民政党とコンタクトを取り何らかの対策を打ってもらうべきであろう。

 龍太は状況を正確に判断していた。


「わ、わかった坂本さん、すぐに手配する。……麻野さんすぐに我々は民政党のところに向かいましょう、それとマスコミ対策も! こうなった以上、民政党が無関係なわけないですよ」

「そ、そうだな……こっちは任せてくれ坂本さん。いち早くみこさんのとこにむかってほしい」

 そういう麻野の目は先ほどまでとは打って変わって優しいものだった。そのわきで、大泉はどこかに電話をしている、おそらく桜花組に頼んでるのだろう、もう時間的に新幹線も飛行機もない、ならば最も早い交通手段は、車であって、法定速度を守ってる場合ではない。

 桜花組はこういう時にもこういう仕事をする。


「頼んだぞ、坂本さん」

 その一言を麻野から受け取って、手配された車で龍太とカオスは大阪へと向かった。


 □     □     □


「5時間ってところか……大阪まで?」

「いえ、飛ばしてるんで4時間くらいでつくんじゃないですか」

 車中、おもむろに時間を尋ねる龍太に対して、カオスが答える。現在桜花組の人間が運転する車は、かなり法定速度を無視して走っている。通常よりかなり速く大阪に着くはずである。


「……龍太さん、落ち着いてますね」

「まあ、あわててどうにかなるもんじゃないぜよ」

「心配じゃないんですか……」

「バカなことを聞くな、心配にきまっちょる。ただ、みこはこんなことじゃ死なんぜよ、寺田屋の時の話はしっちょろう。あいつは強い女ぜよ、こんなことでは死なん」

 

 幕末で、土佐藩の坂本龍馬は尊王攘夷をもくろんでいるとして、京都では常に新撰組に狙われていた。

 そんな男の妻になる女は、それだけでも覚悟が決まってるといえるが、寺田屋襲撃の際に、入浴中に裸同然で飛び出して、龍馬に危険を知らせるエピソードは、彼女の気の強さや芯の太さを示す話としてあまりに有名であろう。


「信じてるんですね」

「当たり前じゃ」

「……それにしても、麻野さんがあんなに怒ってまでみこさんを心配してるとは思いませんでした。結局麻野さんの言う通りだったんですかね。みこさんがこんな事態になってしまって……すいません、僕の責任でもあります」

 終始か細い声で話し続けていたカオスだったが、ここにきて声は少し涙ぐみはじめた。終始冷静な龍太とは対照的だった。

 

 現代の天晴会で最も仲良くしていた相手が、みこだったということもある。今までは我慢してきたが、とうとう感情を抑えきれなくなってきた。自分が今は龍太に温かい言葉をかけなければいけないと思っていたのだが、思った以上にカオスの方に精神的ダメージが大きかった。


「……陸奥……おりょうは強い。死んでないさ、その涙は死んだときにとって置いてくれぜよ。あいつに怒られるぞ」

 龍太はそう言って、その小さな手をカオスの肩にかけた。

「はい……」


 その後の車中はしばらく沈黙が続いた。途中、麻野、大泉から電話があったりして、その時に会話を交わしたが、基本車中は静寂で、そのくらい龍太というよりはむしろカオスが意気消沈していた。


 そして車は大阪の南中病院に着いた。


 車を降りると同時に、二人は手術室の方に向かう。手術室の前には、壁に背を預けていた砂川真也の姿が見える。砂川以外にも、何人かのスーツ姿の男があたりに見受けられたが桜花組の人間が厳戒態勢を敷いているのであろう。

 砂川以外の現世での、みこの家族ら姿は見当たらない。まだ大阪に着いていないのだろうか。

 

 砂川をみつけたカオスがすぐに問いかける。

「みこさん、みこさんはどうなんだ砂川さん?」

 砂川は手術中のランプを指さしながら、

「見ての通りだ……」

 と言った。砂川に動揺した様子は見られない、どちらかと言えば周囲の警戒を怠らないということに集中してるように見え、心配してる場合じゃないようだ。


 するとちょうど、そのタイミングで、手術中のランプが消えた。どうやらみこの手術が終わったらしい。

 扉が開き、一人の細身の中年の医師が出てきた。

 それを見たカオスがすぐさま、医師に尋ねる。

「みこさんは? みこさんはどうなったんですか?」

 カオスはいてもたってもいられなかった。


「……身内の方ですか」

 医師がそう尋ねると、黙ってカオスと龍太はうなずいた。

「……命はとりとめていますが、いつ目が覚めるかわからないそんな状況です、1ヶ月か半年か、1年か……」

 というあまりにも悲しい事実を医師が告げた。

 それを聞いた龍太は、何も言わずに手術室の方に進んでいく。

「坂本さん、勝手に入っては……」

 龍太はカオスのいうことを無視して、手術室へと入っていった。カオスもそれに続く。医師は二人の行動を止めなかった、この医師ももちろん関係者であり、事情は知っていて手術をしているのである、ただおとなしく二人の動向を見つめるにとどまった。


 二人は手術室に入った。


 そして、手術台の上を見つめながら、坂本は何も言わず、ただ立ち尽くした。

 同じく、カオスも手術台の上を見ながら、茫然としていた。


「――こんなことって……」

 カオスの脳内はいろいろなことが駆け巡り、もはや何も考えられなかった。

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