第12話「大泉純と麻野元総理」

 現代の天晴会における実質のナンバーツーである大泉純おおいずみじゅんは、かつては西園寺公望さいおんじきんもちであった。

 西園寺公望とは、二度内閣総理大臣を務めていたことがある公家出身の男である。また最後の元老としても知られており、首相を務めた後も明治政府に強い影響をあたえつづけた、実質的に首相を選んでいたのは元老院であり、この西園寺公望であったといっていい。

 さてその元老院はもちろん天晴会そのものであった。元老院すべてのメンバーがそうだったわけではないが、中枢にいたのは天晴会のメンバーである。


 現在では元老院が実質的に機能していた役割は少ないとされているが、真実は天晴会の隠れ蓑としての役割を果たしており、明治初期の政治方針は、実質天晴会によって行われていたといっていい。また明治末や昭和中期まで、中枢にいて内閣に指示をしていたのはこの西園寺公望であり、大久保利通に次いでの天晴会の立役者であった。


 その西園寺公望が大久保にあったのはまだ西園寺が10代の頃であった、西園寺に才を見出した大久保は、彼にそれとなく前世の話を持ち出すと、案の定、西園寺は転生の自覚がある人間であった、それをきっかけに西園寺は天晴会に出入りするようになり、大久保のすすめもあってフランスへの留学も行った。


 本来もっと自由に生きたい西園寺であったが、天晴会にかかわり、そして大久保の生き方に感銘を受けると、自らの宿命を感じるようになり、やがて日本を背負う決意をした。そんな思いのせいか、晩年は多少頑固であったなあと西園寺は現世において感じていたが、それでも天晴会と日本を支え続けたという自覚はあった。

 

 ただ悔やまれたのは、力を失い、そして天晴会の完全な空白期の時に、日本があの戦争に向かうことをとめられなかったことである。

「いったいこの国をどこへもってゆくのや」は彼の最後の言葉とされてるが、それほどに、日本が中国で暴れまわり、そして日独伊三国同盟を結び米国と対立しようとした愚を嘆いていたのである。


「それにしても、あの伝説の坂本さんが帰ってくるとは、うれしい限りですよ。麻野さん」

「直接の面識はないんだったか、坂本さんとは」

 麻野元総理と大泉純は、坂本龍馬と麻野総理があった数日後に、料亭なだ万で二人で会食をしていた。なだ万は大泉が西園寺公望であった時に愛用していた料亭でもあり、また、天晴会にとって最も信頼できる料亭でもあった。


「ないですよ。お会いするべきだったんですが、最後まで機会がありませんでした、思想的には大きく影響を受けてますよ、あの人は私以上に海外を向けていた」

「……お主は、フランス人の女が好きだっただけだろう」

「ややっ、そんな、いいかたしないでくださいよ。フランスという国が好きなんです私は」

「ま、前世を考えたら、そりゃあヨーロッパにあこがれるか。あの時もフランスに行きたいって言い続けたのは前世の影響だろう」


 大泉純のさらに前世は、戦国時代に九州のキリシタン大名達が送った天正遣欧少年使節の一人である。

「そりゃあ、ヨーロッパの街並みを一度見てますからね。日本のあのだっせえ街並みを見たら愕然としましたよ。早くヨーロッパ行きたくて、そのためには勉強して才を見せつけるしかありませんでした、よく大久保さんは私に気づきましたね」

「まあな」

もうこの会話は何度もされている。

二人が食事をし酒を飲むたびにされる会話である。どちらかと言えば、饒舌な大泉に対して大久保は寡黙であり、現世での会話は一方通行であることがほとんどであった。


 ちなみに、二人が出会い、大久保が天晴会に西園寺を誘った際に、西園寺が出した条件はとにかくフランス留学することであった。その当時西園寺に政治に興味はなかったが、最終的に天晴会を支える屋台骨になったのが西園寺だったのは何とも皮肉である。


「それにしてもやっと少しは楽ができますかね」

「陸奥もいるし、坂本さんが返ってきたからな、あの幕末の元気な天晴会に少し近づいたかな」

「……私なんて、昭和初期も今も、ほとんど孤独に活動していますからね。西郷さん、いや角野総理がロッキードで捕まる前までは、あんなに天晴会は力を持っていたのに、どうして私が政界に入るようになるとみんないなくなってしまうんでしょうなあ」


「……そうだなあ確かに君が入るかはいらないかのタイミングで、大澤が裏切り、2人が亡くなってしまった……。まあでも泉君が来てくれたおかげで、本当助かったよ、私一人ではどうにもならなかった」


「……実際どうにもなってないですよ、選挙負けてるんですから。……正直麻野さん、大澤が裏切ってからずっとやる気ないですよね。スカウトしてるわけでもないし、たまたま、私と卑弥呼さんが出会ったからつながったようなものの、下手すりゃいまだ二人の天晴会でしたよ」


「まぁ、そう責めてくれるな。俺もさすがに疲れてるのよ、明治期も今も人材集めに苦労して、やばいときの日本の中心いるんだ。正直早く後進にすべて譲りたい思いもある」


「……らしくないですね。私財をなげうってまで明治政府を支えた大久保さんとは思えない。それに後進に譲ると言っても私だって、また一人で支え続けるのは辛いです」

 繰り返しになるが昭和初期の天晴会メンバーは空白期のようになり、ほとんど西園寺一人で支えていた。その時の天晴会のメンバーはほとんど未成年であり、戦時中には何の力もなかった。もっともその未成年のメンバーが戦後の日本を支えたのであるが。


「……ふふ、そうだな、私なんかより君の方がよほど苦労していたか。すまんすまん。まあ、坂本と陸奥がいれば、あと数年私たちががんばればなんとかなるだろう。坂本はスカウト活動にうつるそうだし」

「さすが、坂本さんは動きが早い。陸奥さんも早いですがね。二人はツイッターとか使ってるそうですよ、麻野さん知ってますツイッター?」


「バカにするな、なんならおれも使ってるよ。お前より若間の文化に詳しい自信あるぜ」

「……さすが、麻野閣下ですね。若者の支持率が高い」

「派手なのが好きなのよ」

「……そうそう、派手好きで思い出しましたが、今度あの派手なパフォーマンスが大好きな府知事と会うことになりましたよ」


「あぁ、川上か? あの生意気なやつな、あいつは民自党からの出馬を断ったやつだぞ、なんの用があるんだ」

 2008年、大阪府では新しい知事が誕生した、テレビ出演をこなすたびに弁護士とは思えない軽快なトークで、お茶の間をにぎわせた元タレントの川上徹哉かわかみてつやである。

 以前から政治への出馬がうわさされ、民自党も何度か出馬を打診し、断られたが、結局府知事選にて、無所属での立候補することを決め、民自党、民政党が擁立する候補を大差で破り、知事に就任した。


「府知事になってからの判断力とか、改革を見るととても政治経験ないただのタレントだったとは思えないのです。天晴会に所属したことがないだけで、もしかすると。転生した人間なのかもしれないと思いましてね」


「……まあ言わんとしてることはわかるが、仮にそうだとして、今更あいつが組織に属すると思うか。ああいうタイプは独裁を好む、我々のような合議の元で行う組織には向かんだろう」


「ですが非常に強力な力です。味方にできれば、次の選挙の大きな原動力です。それに話を聞く限り思想は天晴会に近い。彼の提唱する大阪都構想に協力する姿勢を見せれば、乗るのではないですか?」


「……俺は気が進まないがな。まあ好きにしたらいい」

 何とも麻野は気が進まなそうな表情を見せるが、大泉には直感があった。川上の持つ政治感は自分たち転生をしてきた人間に近いものだと。彼は今だけでなく転生後の日本を見据えている。

 そして、あの決断力とカリスマ性。大泉は何としても川上の力を手に入れたかった。

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