第2話「九段晴香」
「どうしたの龍太、なんか言った?」
突然の息子のつぶやきに当然母は反応した。
「あぁ、かかぁ、お母さん。坂本龍馬さんってすごいんだね」
自分でも声が出てたことに気が付いてなかったが龍太はとっさにごまかした。
「あらそう、私も龍馬さん好きなのよ。あなたの名前にも入ってるでしょ、龍馬さんからとったのよ、なんかうれしいねぇ」
「あ、そうなん、そうなの?お母さんは龍馬のどういうところが好きと?」
急にすべてを思い出した龍太は、今まで自分がどうしゃべっていたか一瞬分からなくなってしまった。坂本龍馬という言葉をきっかけに、今龍太の脳内は、奥深くで眠っていた記憶がぐるぐると高速で巡っていた。まだ、脳内の整理はついていなかった。
「昔ね、ダウンタウンの浜ちゃんが龍馬役でドラマやってたことあってね。なんかよくわからないけどその作品が好きで、龍馬さんが何やったとかはあまり、お母さん知らないんだけどね」
「そうなんだ、浜ちゃんはしってるよー、怖い人でしょ?」
母はよく知りもしない男の名前から息子に名をつけたらしかった。自分の母親の適当さはなんとなく気づいていたが、龍太はこのとき確信するのだった。
しかし今は目の前の母親のことなどどうでもいいことだった。
重要なのは自分が坂本龍馬であったという記憶である。だんだん思い出されてきた。
まず思い出したのが自分が殺された瞬間であった。龍馬は1867年11月に近江屋にて切りつけられて暗殺された。龍太には、部屋に狼藉物が乱入してきたところまでの記憶しかなかった。
(そうか、わしぁ、あの時に殺されたんかぁ。まあでも今回もこうしてまた、命を新しくすることができた。天はわしに何をせぇいうんかのう)
殺された前後のことを、少し思い返したが、それより気になったのが、その後の日本がどうなったかということだ。5年間現代で過ごした様子は、自分が覚えてる日本とは全然違うものであった。
そもそもいまは何年後に生まれ帰ってきたのか。それもまだ龍太にはわかっていなかった。
さっそく龍太は日本の歴史の続きを読み続ける。
(そうか、討幕ははうまくいったのか。それにしてもえぐいことをするのう。一橋の人にはてっきり権力のこすんか思うたら、根こそぎかい)
その後も日本の歴史をじっくり眺めながら、時折龍太はふかくうなずき、時折涙を流した。
「どうしたの龍ちゃん、そんな泣くほど感動することなんてあるの?」
「だって母よ。日本がこんな強うなろうとは思わせん。それにアメリカの仕打ちが悔しくてたまらんちゃ」
「龍ちゃんどうしたのどこでそんな言葉覚えてきたのよ、おかしなこねぇ」
龍太は思わず龍馬として話してしまっていた。
かつて日本の夜明けを夢見ていた男は、その後の日本の歴史が想像以上に素晴らしく発展していたのをみて大いに感動した。自分のやったことは決して無駄ではなかったのだ。
「お母さん、いまって2009年だっけ?」
「そうよお、龍君はよく覚えてるね」
(ということは、わしが死んでもう142年か。ずいぶん、時が開いてしまったぜよ)
龍太はこの空白の時間を埋めるべく、もう一度日本の歴史に目を通すことにした。しかしいくら何でもマンガでは情報量が少なすぎる。もっと細かいことまで知る必要がある。
あたらしい本を買ってもらおうとそう思った時、ふと重要なことを龍太、いや龍馬は思い出すのだった。
「ねぇお母さん、神奈川に連れて行ってほしいんだけど」
思いついたように龍太は母にお願いをした。急な頼みに母はもちろん動揺する。
「急にどうしたの、神奈川行くって言ったって、何か理由があるの?」
九段家は、茨城県にある。
大した距離でもないので、連れていくことは母にとって難しいことではないが、ディズニーでも動物園でもなくわが子が急に神奈川に行きたいと言い出すのは、意味の分からないことであった。
「あの、信楽寺にいってみたくて、本を見たらそこにおりょうの墓があるっていうから、ぜひ行ってみたいんだ」
おりょうとはもちろん龍馬の妻である。龍馬の死後、再婚するも不遇な晩年であったと伝えられている。その後横須賀にある寺に納骨された。
そしてその墓に参じることは龍馬にとって、転生して何より先にしなければいけないことであった。先立ってしまったことを謝罪するためにも、墓を参らなければならない。もっとも他にも狙いがあるのだが。
しかしもちろん龍太の母にとってそれは思いがけもないというか、大層奇怪なお願いごとだった。ちょっと前に知ったばかりの坂本龍馬のしかも妻の墓参りに行きたいなんて、なんでこの子はそんな変なことを言い出すのだろう。
母にはよくわからなかった。
「あのね、龍君、よくわからないけど、別に楽しくないのよ墓参りなんて、わざわざ行ってみなくてもいいと思うのだけど、他に何か行きたいところがあるんじゃないの、正直に言えばつれてってあげるから」
母は勘違いしていた。
龍太はきっとほかに行きたいところが、神奈川にあるのに、おりょうのお墓参りを隠れ蓑にしようとしたのではないかと考えたのだ。
龍太はそれに気づいた。
神奈川で他に行きたいところを考えなければならなかった。
「えっと……YSK36劇場に行ってみたかったり……」
YSK36とは横須賀で活動する人気アイドルグループである。龍太はもちろん大した興味はなかったのだが、とっさにおりょうの墓にある横須賀にあるもので思いついたのがYSK48であった。
「あら、龍君意外~♡アイドル好きだったんだね。今まで全然そんな素振り見せたことなかったのに、ね、ね、誰推しなの、お母さんにおしえてよ」
母は今までにないような高いテンションで訪ねてきた。あまりにできすぎる我が子の人間らしい部分が垣間見えてうれしかったのだ。
「あ、あの、みこちゃんかなやっぱり……」
みこちゃんは、YSKのセンターを務める人気アイドルである。もちろん龍太はその子をたまたまテレビで見て知っただけで、たいした興味など無かったのだが。
「ふうん、みこちゃんかぁ。かわいいもんねぇ。それになんとなくお母さんに似てるもんね?」
「……ああ、そやけんね」
仕方なく龍太は答えた。
「そっかあ、じゃあ一緒にYSK劇場に行こう!お母さん頑張ってチケット取っちゃうからね」
母はいつになくうれしそうであった。
「あの、お墓参りもお願いだよ、お母さん」
「分かったわよぉ、もう別に劇場だけでいいのに、変なとこかっこつけるのね」
そして、1か月後龍太達は横須賀に行くことになった。
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