第50話 明日なんか永遠にこなくていい

 父親と息子の会話は途切れない。

 今は、ビールとジンジャーエールの違いについて、じゃれあうようにしゃべっている。


 私は烏龍茶を飲みながら、会話の糸口を探し続けている。


 餃子が運ばれてきた。ちっとも美味しくないので驚いてしまった。

 ママは仕事柄、美味しいお店をたくさん知っている。これまでママが連れてきてくれた店にハズレはなかったのに。


「ここ、来たことある店? 有名な店?」

「時間をつぶすために入っただけ。車が戻ってきたら厄介やっかいだから。まさか、ここにいるとは思わないでしょう」


 なるほど。たとえタカシが探しにきたとしても、昼食会と面接のためにドレスアップしてきた私たちが、ここにいるとは想像もできないだろう。

 さすがはママ、とっさによく思いついたものだ。ただ、納得した途端とたんに話すことがなくなってしまった。


 ママは餃子をひとつ食べ終えると、箸をおいて宣言した。

「あの人が海外出張から戻ってくる前に、あちらへ引っ越してしまいましょう。先手必勝よ。帰ったら、すぐに準備を始めるからね」


 タカシと一緒に暮らすなんて絶対に嫌だ。

 でも、そういう条件で住む場所を手に入れたのだから、すぐには変更できないのだろう。それくらいのことは聞かなくてもわかる。


 タカシとは一緒にいられないということを、ママがもっと早くわかってくれれば、こんなことにはならなかったのに。

 愚痴を言ってもママを苦しめるだけだ。ママだって今は、ものすごく後悔しているはず。この上、責めるようなことを言うわけにはいかない。


「マダムが、リサにはプライバシーが必要だから、部屋に鍵をつけてくれるって」

 その心遣こころづかいはありがたいけど、たいして慰めにはならない。自分の家でプライバシーが必要になるなんて思ってみたこともなかった。私は自分の部屋にではなく、私たちの生活にタカシを立ち入らせたくないのだ。


 もう避けられないのだろうか、本当に? 絶対に?

 私の頭の中をのぞいているようなタイミングで、ママが言った。

「ひとつひとつ、解決していきましょう」


 重苦しいあきらめが胸をふさぐ。

 タカシを追い出せる日まで一足飛ひとあしとびに時間が過ぎないのなら、明日なんか永遠にこなくていい。

 いくらそんなことを願ってみたところで、明日は来る。もっと大人になって、ママの気持ちを軽することが言えればいいのに。

 

 母親と娘は押し黙ったまま、冷めた餃子を口に運び、冷たい飲み物で流しこんだ。


 ビルの谷間がすっかり人工の光で満たされると、私たちは店を後にした。

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