第49話 写真

 娘かわいさのあまり、まわりが見えなくなる男親おとこおや。それがナミちゃんのパパ。

 だからバレエ教室の生徒は皆、ナミちゃんのパパに会っても挨拶だけするとスーパーボールが跳ねるように離れていくのだ。でも、私は違った。


 自分の娘が世界一だと本気で思っていて、それを言葉にも態度にも表す父親と、信頼と愛情と期待を顔いっぱいに咲かせて、太陽を仰ぐ向日葵ひまわりみたいな娘の姿は、空にかかった大きな虹のよう。つい足がとまり、みとれてしまう。


 そういえば昨日の夕方、偶然にナミちゃんのパパに会ったのだった。

 帰り道、軽くクラクションを鳴らされて振り向くと、ナミちゃんのパパが運転席から手を振っていた。車を歩道に乗り上げて停め、窓から大きな封筒を渡された。


「久しぶりだね、リサちゃん。会えてよかった。これをあげようと思って、ずっと車に置きっぱなしになってたんだ」

 私がバレエをやめたことは、全く知らないような口ぶりだった。


「これ、ジョナス・ジョイスの写真。リサちゃんもファンだよね。東京公演で出待でまちして撮ったのをA4サイズで印刷したやつ。もっと大きいのが欲しかったら言ってね」


 私、ジョイスのファンじゃないんだけど。

 訂正するのも気が引けたので、お礼を言って封筒を開けた。


 最初の写真は、ラフなシャツにジーンズ姿、大きなボストンバッグを肩にかけたジョイスが扉から出てきたところ。

 待っていたファンが差しだすパンフレットにサインして、男性ファンが着ているTシャツに笑いながらサインして、ナミちゃんのDVDにサインして、ナミちゃんとツーショットで笑顔を見せている。隣にいるナミちゃんのママの姿は半分に切れてしまっている。苦笑いをこらえて最後の一枚を見た。


 駅の自動改札機に一歩踏みだしだジョイス。

 後ろ足のかかとが上がり、今まさに地面を離れようとしている爪先。スポーツで鍛えたものとは異質の筋肉美を、ジーンズに刻まれたシワが雄弁に物語っている。


 読み取り部に当てた手に視線を残し、わずかにカーブした肩から背中、腰にかけてのラインに目を奪われる。ほんの少し伏せた横顔。ロミオの役柄にあった長めの髪が銀色に輝き、駅構内の強烈な白い光に溶けだしている。


 今こそ本当にジョイスの凄さがわかった、とナミちゃんに伝えたかった。


「電車に乗るところも撮ろうと思ったんだけど、ナミに『これ以上はダメ』ってイエローカードを出されちゃって」

 へへへ、と笑うおじさんに『劇場の敷地外まで追いかけた時点でレッドカードです』とは言えなかった。


「ジョイスが何か言ってたんだけど、半分もわからなかったんだよね。『外資系に勤めてるくせに』って、ナミに怒られちゃってさ。仕事の英語とは違うんだよ、ああいうのは」

 おじさんは大げさに顔をしかめた。


「リサちゃんのお母さんって、すごいよね。やっぱり、ちゃんとした日本人に教えてもらうべきなんだ。ネイティブに教えてもらっても細かい所まではわからないから。お母さん、教える仕事もしてるよね?」


 私は「いいえ」と言いながら首を振った。

 教える仕事には向き不向きがあり、自分は全く向いていない、とママが言っていたからだ。


「近所だし、お母さんの都合にあわせるから、時々レッスンしてもらえないかな? もちろん、授業料はきちんと支払いますよ。高くてもオッケーだから。僕、本当に困ってるの。じゃあ、お母さんによろしくね」


 結局、ママには伝えなかった。今日の結果がダメなら言おうと思ってたけど、もうその必要はない。

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