第51話 スクランブル交差点

 渋谷駅前では巨大なビルが建設中で、さらに周辺の再開発工事のため、あっちでもこっちでも赤いランプが灯っていた。


 扉一枚分くらいの仮の地面を敷き詰めて仮の通路ができている。その上を数えきれないほど大勢の人が歩いてゆく。


 人波ひとなみに流されるママを追いかける。ママより体が大きい人がたくさんいるので、よそ見をしたらはぐれてしまいそうだった。

 バス停の場所は知ってるから、少し離れたって大丈夫なはず。それはわかっているけど、私はママの後ろに貼りついて、誰ひとり割り込ませないようにして歩いた。


 線路の真下にあたる通路を抜けると、ふっと混雑が緩んだ。けばけばしい街頭ビジョンが、馴れ馴れしく視界に割り込んでくる。つい見上げながら歩いたら、ほんの数歩でママを見失った。


 車が走りだし、スクランブル交差点で人々の足がとまる。それでも、流れ込んでくる人の波はとまらないので、人と人との間隔がじわじわと詰まっていく。私は爪先立って首を伸ばし、雑踏にまぎれたママを探した。


「どこにいるの? こっちからは見えないよ」


 いきなり私の耳元でしゃべりだした人は、耳に携帯を当てたまま、首をワイパーのように振っている。私の視線には気づかず、急に笑いだしたかと思うと、くるりと半回転して人垣ひとがきに分け入った。


 一人分の空いたスペースの向こう側から「すいません、すいません」と切羽詰まった声が飛んできた。


「なに他人ひとの女ナンパしてんの? おい、逃げんな!」


 険しい声に追いたてられ、ひとりの男性が飛びだしてきた。そのままの勢いで体当たりされたので、後ろにいた人の足を思いきり踏んでしまった。

 反射的に謝ると、その人はイヤホンをしたまま、ちらっと私を見て、ひょこっと顎を突き出すように頷き、音楽の世界に戻っていた。

 

 振り返って、ナンパ男が走り去ったほうを『彼氏はともかく、私には謝れ』とにらみつけた。

 

 しかし、そんなことをしている場合ではなかった。私は携帯も持っていなければ、バス代も、家の鍵さえ持っていない。信号が変わる前にママを見つけられなかったら、バス停に先回りして、そこで待つしかない。


 全ての信号が赤になり、広い交差点が空っぽになった。いくつもの街頭ビジョンが放つ強烈な光が人々を照らし、その中に見慣れた横顔を浮かび上がらせた。青白く、凍りついたような表情のママだった。


 車道に人があふれだす。恐ろしいことに、ママはバス停には向かっていない。交差点の真ん中で追いつき、声をかけた。

「どこへ行くの?」

 ママの表情は、どこかぼんやりしていた。私が一緒でなかったことには、気づいてもいないようだった。


「夕飯、どうしようかと思って。もう、お腹すいた?」

 私が首を振ると「どうしようか」と繰り返しながら、ひどくゆっくり歩き続けた。

 私たち二人だけが、どんどん追い抜かれていった。青信号が激しく点滅しだしても、ママは歩くペースを上げない。


「外食は高いから、何か買って帰れば?」

「それくらいのお金ならあるの」


 私は猛烈もうれつに後悔した。さっき、嘘でも「お腹がすいた」と言うべきだった。

 それに提案するなら、もっと具体的にすべきだった。曖昧あいまいなことをきくから、的外れな答えが返ってくるのだ。


 マダムの屋敷やタカシの車の中では、あんなに生き生きしてたのに。

 私と二人きりになると、急にしぼんだ風船みたいになってしまうのは、やっぱり私のせいなのだろうか?

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