第37話 車庫? 庭じゃなくて?

 「これが、ここで一番古いアイメルの木」一本の木を示し、彼女が言った。

 古いというわりに、高さは二メートル弱で幹も太くない。ただ、この木のまわりだけ植え込みが途切れていて、枝が形よく広がっている。


「これは小さくて花が咲かないけど、本来はもっと大きくなる木で、たくさん実がなる。収穫するときは、こんな風に長い棒で枝をたたいて実を落とす。いっぱい取れて楽しいよ」


 剣道の素振りみたいに腕を振って、彼女はにっこりした。

 そんな雑な収穫法って本当にあるのだろうか? 

 頭の片隅かたすみで疑いながらも、つられて私も笑顔になった。


 庭らしい庭が見当たらないので、もうここで種を植えよう。ミンラはこの木を大事にしてるだろうから、根を傷つけないようにして。

 土を掘る場所を探していると、面白いものを見つけた。アイメルの木の根元から少し離れたところから、太くて長い根が顔をのぞかせ、また土に潜っている。


「この木、歩いてる」

 私は両手を枝のように広げた。そのまま、四股しこを踏むように片足を上げて一歩踏みだしてみせる。彼女は声をたてて笑った。


「あなたの言うとおり。今までは、小さくて花も咲かない木としか思ってなかったけど、これは世界でここにしかない『歩くアイメルの木』だね」

 彼女はまた大笑いし、目尻の涙をぬぐった。こんなに人を笑わせたのは久しぶりだった。


 銀の籠から種を一つ取りだして見せた。「ここに一つ、いいですか?」

 細い顎がやさしく上下して、スコップを貸してくれた。

 小さな穴を掘って種を寝かせた。種を包んでいる綿毛が、最後の日差しを反射して白銀色に輝いている。

 土をかけつつ、種に語りかけた。


 また太陽の光を浴びたいなら、芽をだして。

 芽がでたら、この人とミンラと私が喜ぶ。


 少し盛り上がった土を、スコップの背で軽く叩いて立ち上がった。

「じゃあ、上の庭を案内する。こっちよ」彼女は後ろを指さした。

 さっきは気づかなかったけど、石畳と砂利道の境目に、幅の狭い石段が上へと続いていた。


 とても車では上がれそうにない。タカシの車はどこへ行ったのだろう。

「車庫は、どこですか?」

「車庫? 庭じゃなくて?」


 実際に通報するかはともかく、切り札はちゃんと持っておく必要がある。ママの面接が終わる前に、タカシの車のナンバーを覚えなければ。


 本当のことを英語で説明する能力がないので、言える範囲で真実に近いことを言う。

「タカシの車に忘れ物をしたから」

 でも、限りなく嘘に近い説明になってしまった。


 尖った顎が持ち上がって、ゆっくり下りた。どうやら納得してくれたらしい。

「車の鍵はある? タカシを呼ぶ?」

 とんでもない!

「車の窓から見たいだけ。そこにあるか知りたいだけ」


「オーケー」彼女は突進するように、石段の脇の壁に向かっていった。壁際まで歩調を緩めず、あと少しでぶつかる、というところで仁王立ち。

 やっと追いついた私に、にやりと笑いかけ、重々しい口調で言った。

「見ていて」


 彼女は壁に向かって両腕を広げ、音楽を盛りあげる指揮者のように振りはじめた。

 何も起こらない。

 ほかにどうしようもないので、言われたとおりに見守り続けた。


 彼女のスカーフの花々に影がさすようにして汗が広がる。鼻息が荒い。それでも、発電でもしているかのように、彼女は一心不乱に腕を上げ下げしている。


 前触れもなく、幕が上がるように壁が天井に吸い込まれていって、その先に広い車庫が現れた。

 私の口から、これまでの人生最高の自然さで「ワァーオ」という言葉がこぼれた。


 私の反応に彼女は大笑いし、息を切らせながら斜め上を指さした。

「魔法じゃない、監視カメラ。私を見つけて扉を開ける操作をしたのは、川端さんでしょうね。彼は冗談がわかる人だから」


 気の利いた返しができなくて残念に思いながら「ありがとう」と言った。まだ荒い息をしている彼女を残し、一人で車庫に入った。


 タカシの青い車は、すぐに見つかった。

 ナンバープレートを見て、窓ガラスしに何か探すふりをしながら、頭の中で反芻はんすうした。後ろに回って、もう一度ナンバーを見て記憶と照合する。完璧だ。


 入り口で待つ彼女に向かって「ノープロブレム!」と大声で言うと、四方八方しほうはっぽうから返ってきた「問題なしノープロブレム!」の残響ざんきょうが、心地よく肌を震わせた。

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