第36話 ザクザクと石を鳴らしながら

 車寄せの石畳が、午後の陽光を白く反射している。

 その先は緩くカーブした一本道。

 ここからでは、あの大きな門までは見通せなかった。


 道の片側はコンクリートの低い壁、その手前に植えられた申し訳程度の生垣いけがき越しに、すらりとした東京タワーが見えた。

 反対側は石垣で土留つちどめされた急斜面で、上から大木が枝を伸ばし、削り取られた山肌を覆い隠そうとしている。


 道は舗装されておらず、砂利じゃりが敷かれている。歩くと思いがけなく大きな音がした。車中で聞いたと思った激しい雨音の正体はこれだったのか。


 タカシの車は見当たらなかった。目の前には一本道と斜面しかなく、駐車場どころか庭らしいものさえない。とにかく、カーブの先まで行ってみよう。


 砂利道は騒々しい上に歩きにくい。雨が降ったら泥がはねて靴も服も汚れるだろうに。ここの住人は徒歩で出かけることが無いのだろうか?


 ザクザクと石を鳴らしながら歩き続けていると、目の端にぴょこんと人の頭が飛び出してきて、心臓が縮こまった。


 花模様の派手なスカーフを頭に巻き、小さなスコップを持った女性だった。足元には籐の籠が置かれている。

 しゃがんで草木の手入れをしていたところに、私が来たので立ち上がったのだろう。


「ハーイ」彼女は片手を上げて、気さくに声をかけてきた。


 つられてハーイと言いかけたが「ハ」で止め、舌先を上の歯の付け根に引き寄せて「ハロー」に変えた。顔が引きつっているのが自分でもわかる。

 ママいわく、知らない人に「ハーイ」と声をかけていいのは陽気な観光客だけ。初対面の人にする挨拶は「ハロー」である、というのがママの教えだ。


 彼女はここで働いているから、ママが採用されれば同僚になる人だ。

 新入りの娘は不愛想でしつけがなってないと噂され、ママの足を引っ張るようなことがあってはならない。


 不法侵入者でないことのあかしとして、ミンラから預かった銀の籠を提示した。

 彼女は神妙な様子で籠を覗きこむと、理解したというように何度も頷いた。


 次に彼女が英語で言ったことに、私はショックを受けた。

「じゃあ、タカシが言っていた『ロブスター好きの娘』って、あなたのことね」


 タカシめ!

 私のことを何も知らないくせに、よくもぬけぬけといいかげんなことを言いふらして。


 ママの評判のため、苛立いらだちを押し殺して笑顔をつくり、食事の時と同じことを言うだけに留めておく。

「私は今日初めてロブスターを食べました。とても美味しかったです」


 話が微妙にかみあわないので、彼女は怪訝けげんな表情になった。

「昼食は素晴らしかったです。ロブスターだけでなく、全部がとても美味しかったです」

 これは本当なので、にっこりするのは難しくない。それに、あの料理を味わった後なら、ロブスター好きを認めるのにやぶさかではない。


 ぱっと笑顔になった彼女は「ついてきて」と言い、建物の方へ戻っていく。砂利道なのに歩くのが早い。彼女の手足は細く、あごも尖っているのに、体幹はたるのようだった。


 私は腕を浮かせてバランスをとりながら、ひょこひょこ後をついていく。四本の足に踏みつけられ、足元の石がやかましく騒ぎたてる。石畳まで戻ると、急に静かになった。ここは繁華街にも近いはずなのに、車の音も人の声もしない。風が木の葉を渡る音と、鳥のさえずりが聞こえるだけ。

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