第34話 黒い食べものと黒い飲みもの
デザートは、チョコレートケーキとコーヒーだった。だからといって、ありきたりなところは全くない。
まず食器に目を奪われた。白磁の丸皿に描かれた金色の輪。荒々しくも優雅な曲線が、細りながら描き始めの位置に重なって閉じている。
金の輪の内側にある、黒く
コーヒーカップとソーサーの黄金色の精緻なデザインは、花模様のようでもあり
注がれたコーヒーは黒々とした丸い鏡のようで、天井から降る光の
今までの色鮮やかな料理とは対照的な、黒い食べものと黒い飲みもの。
チョコレートケーキなんて、いくらでもカラフルにデコレーションできるはずなのに、あえて黒で統一している。指示を出しているのはミンラだろうから、これには彼女の意図が隠されているはずだ。
チョコレートとコーヒーの濃密な香りを胸に吸い込む。美しい器の内側にある、二つの黒い円を同時に見ていると、突拍子もない考えが浮かんだ。
もし、内と外が逆になったら?
漆黒は頭上に広がって夜となり、黄金は小さくなって遠くで淡く灯る。
「ムーンライト」
自分の声が聞こえたので、ひやっとした。幻聴ではない証拠に、ミンラが聞き返した。
「何ですって?」
「私は思いました、これらの食器は月の光や満月を表していると」
考えなしに喋って後悔した。押し黙ったミンラの代わりに、フィリップが繋いだ。
「そうかな? コーヒーの器はクリムトを連想させる」
「驚いた」低い声で呟いてから、ミンラが続けた。
「フィリップ、あなたと同じことを言った人は他にもいたし、決して的外れではない。でもリサが正しいの。満月をイメージして作らせたものだから。ケーキの皿とコーヒーのセットは異なる芸術家の作品なのに、両方とも言い当てたのは彼女が初めて。あなたは素晴らしいわ、リサ」
「ありがとうございます」
思いがけなく褒められて、背中が縮こまる。ママが誇らしげに微笑むから、目の端が熱くなる。
その熱が冷めないうちにママはコーヒーを口にした。コーヒーに目がないのだ。
「すごく美味しい」
「このチョコレートケーキも絶品だし、六本木ヒルズでカフェをやったら大繁盛すること間違いなしだ」
ママは大袈裟な笑顔をつくり、両手を腿の上に揃えてタカシの方に体を向けた。
「オレが、店長やります」
「じゃあ、私はウェイトレス」
ママとタカシは、たっぷり見つめあってから、お
「どうもありがとう」
ミンラの表情と声音から、感謝の言葉にも二つの意味があることに気づいた。文字どおりの意味の他に、「もう、この話はおしまい」という意味。さすがにママとタカシにも伝わったようだ。
ママは、いったい何をしているのだろう?
足にあわない靴を無理やり
タカシはママに相応しくない。
こんなに単純で明白なことを、なぜママはわかろうとしないのだろう?
カフェ開店の夢物語を無視し、ミンラは話をかえた。
「満月将軍の本当の名前は伝わっていない。彼は満月の夜毎にパーティを開いて、身分の上下、年齢、性別、出身、信仰や意見の相違も関係なく、誰でも歓待した。
それで有名になって、いつの間にか本当の名前でなく、幾つもの言語で『満月将軍』と呼ばれるようになった。誰もが受け入れられた彼のパーティは私の理想なの」
夢見るように微笑みながら、ミンラは白い皿を指で丸くなぞった。
「これは特に気に入ってる。私は満月の皿を注文したけど、作者が素晴らしい提案をしてくれた。
金の輪の中に色鮮やかな食べ物があれば、この輪は太陽になって、暗い色の食べ物なら満月になる。そういう風にした方が絶対にいいって。
素晴らしいアイディア、感動的な仕事。
このカップには常にコーヒーが入るから、器は月の光を表している。満月の夜の宴、黄金の愉悦を。
もちろん、私のゲストには自由に楽しんでほしい。でも、私の意図を理解してくれる人に出会えると本当に嬉しい。リサ、わかってくれてありがとう」
理解してくれる人、と認められたことが素直に嬉しい。
ミンラは私のつたない言葉を丁寧に受けとめ、足りないところに美しいピースを補って、私の想像を超えた豊かな世界の広がりを見せてくれる。
ここでママが働ければいいのに。
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