第32話 赤い塊

 ミンラの話で思いだした。「ピーターと狼」を作曲したのもプロコフィエフだ。音楽の授業でやったのに忘れてた。

 彼女は音楽にもバレエにも歴史にも詳しい。そんな人の話相手なんて、たとえ日本語でも私には無理。


 ここはひとつ、ミスター首席に期待しよう。私はフィリップの目をまっすぐ見ながら質問した。


「あなたはバレエが好きですか?」

「そうでもない」

 フィリップは即答し、それっきり黙ってしまった。

 なんで期待にこたえないんだ!と彼に詰め寄りたいけど、そもそもは人任ひとまかせにした私が悪い。


「フィリップにはバレエ好きの『お友だち』なら、いるんじゃないですかね?」

 タカシが割りこんできて、お得意のスマイルこぶと下品な高笑いを撒き散らした。今回は、ボスも餌はやらない方針らしい。


 あえてママの顔は見ず、タカシの笑い声を蹴散らすように腹の底から声をだした。

「アーイ」

 みんなの注目を集めると、普通の声で言い直した。

「私には友だちがいます。彼女はジョナス・ジョイスの大ファンです」


 一瞬にやりとしたミンラが、はしゃいだ調子で話にのってきた。

「私にもジョイスの大ファンの友人がいるの。この前の電話で、彼女はニューヨークへ行くと言ってた。

 彼の『ジゼル』が素晴らしすぎて、絶対に見逃せないって。バレエを観ている時間より、飛行機に乗っている時間の方が長いって教えてあげたら、五回分のチケットがとれたから問題ないんですって」


 ちょっと混乱した。「ジゼル」の男性の主役アルブレヒトは、ロマンティックバレエ作品中最低最悪の二股男ふたまたおとこだ。そんな役柄でファンが楽しめるのだろうか?

 私は偽物にせもののファンなのでわからないけど。 


「彼女はジェインというの。とっても楽しい人。そのうち東京に来るから、あなたに紹介する」


 それは困る。バレエ鑑賞に言葉は不要でも、バレエファンの間には言葉が必要だ。日本語の通じない人を紹介されても困る。もし彼女が日本語を話せたら、私が偽ファンなのがすぐにバレてしまう。どちらにしろ勘弁してほしい。


 ボスがミンラに、彼女がいつ来るかを尋ねた。そこから、ジェインとその夫の話題が続いた。

 

 その間に片づけられていく皿を横目でチェックした。

 黄色い花が残っている。やはり食用ではなく飾りだったのだ。

 ここの料理の味は素晴らしいけど、見た目がエキゾチックすぎて気疲れする。次は日本語の説明をお願いしよう。そうでないと、せっかくの食事を楽しめない。


 ところが今度は一目でわかる料理だったので、説明してもらう必要はなかった。

 

 白い丸皿の上で、おしゃれなサフランライスの細い列が大きな輪になってフォークダンスしている。踊りの輪の中心に、キャンプファイヤーのように盛り上がった赤いかたまりがある。

 殻が外され身だけになっていても、これが横綱サイズの海老であることは一目瞭然だった。悪い予感がした。


 みんなの視線を感じながら、平静をよそおって一口食べた。まずければいいのに、と念じながら。大きな海老は、思わず頬がゆるむ美味しさだった。


「気に入った? タカシが言ったの、あなたの好物はロブスターだって」

 きっとタカシは得意になってる。象のように大きな耳をパタパタさせて、感謝と称賛の言葉を待ってるに違いない。ミンラを見つめて返答した。


「こういうのを食べたのは初めてです。とても美味しいです」

 これだけで真意が伝わるかは、大いに疑問だ。


 れた象が、これまで婚約者の娘にしてやった親切の数々について自慢しはじめた。私は耳障りな鳴き声に耐えながら、黙々とロブスターを切り分けては口へ運んだ。愚か者には、夢中で好物を頬張っている子供に見えるだろう。


 楽しげなダンスの輪をフォークで崩していく。こんな仕打ちにも関わらず、こんなにも美味しいサフランライス。間違ってる。こんなのは全て間違ってる。


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