第30話 海老だもん

 残りの大きい方も口に入れた。米とは別に、もっと弾力のある何かが入っている。それに、さっきのスープと同じような旨味もある。

 この味の正体を知っている気がしてならない。生まれて初めて食べた料理なのに、前から好きだったように思えるのはなぜだろう?


海老えびだもん」


 向かいの席から声がした。フィリップは自分の皿に視線を落としたまま、小さく頷いている。じっと見ている私に気づくと、彼は「何?」という表情になった。あわてて首を振ると、彼の視線はさっきから熱弁をふるっているボスに移った。


 驚いた。

 言われてみれば確かにそうだ、海老の味がする。

 でも、どうして?

 頭の中にとどめていたつもりの言葉を、今度こそ無自覚に声にしてしまったのか?


 もしそうだとしても、フィリップが日本語で私の質問答えるはずはない。

 さっきのは確か、こんな会話だった。

「アイムソーリー。日本語で話していただけますか?」

「ごめんなさい」


 だから私は、フィリップが日本語を話せないと思ったのだ。

 でも、もしかしたら、私の英語を日本語に訳しただけだったのかも。


 彼はさっきの状況で、両頬にキスマークをつけた私から、唐突に日本語クイズを出題された思ったのだろうか? 

 もしそうならフィリップの発想は不思議すぎる。そういえば彼は二酸化炭素フレーバーの水を好む人だ。それほどの変人であるという可能性も捨てきれない。


 考えこんでいたせいで、みんなから遅れをとってしまった。今は考えないことにして、ペースをあげて食べた。

 そしてミンラの味覚への信頼は確かなものになった。じっくり味わうヒマがなくて惜しいと思うほど美味しい。


 一息ついて、ちらりと大人たちの皿をのぞく。慌てなくても遅れは取り戻せそうだった。


 横目でママの様子をうかがう。

 シャンパンが片づけられ、ワインに替わっていた。タカシのグラスを確認すると、ワインはもうほとんど残っていない。たまらず、ママにささやきかけた。


「あの人、飲んでいいの?」

「あれくらい平気」

「帰りは、運転しないの?」

「大丈夫」

 

 ママは微笑んでいるが、目は笑ってない。


 私は黙って食べ続けた。美味しくも不味くもない。海老の謎なんか、もうどうでもよかった。


 ミンラとママが、私について話していた。

 ミンラが「バレエ?」と言って眉を上げ、納得したように頷いた。


 次にママが言ったことは、はっきりわかった。

「もう踊りはやめました。彼女は踊るより観るほうが好きなので」


 思いがけないものを口に入れてしまったというように、ミンラは唇をへの字に曲げた。

 できることなら絨毯と床の隙間に隠れてしまいたかった。ママはバレエにも私にも興味がないから、的外れな発言をした自覚がない。釈然としない表情のミンラに、真偽を尋ねられたらどうしよう。

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