第28話 歓喜の気泡

 ボスとミンラとフィリップの三人は、先に着席していた。

 川端さんがミンラの向かい側の椅子を引き、ママを優雅に座らせた。次は私の番だった。緊張しながら見よう見まねで腰をおろした。

 私の向かいはフィリップだった。いつのまにか川端さんは、タカシのグラスにシャンパンを注いでいる。


 その人、帰りも運転しますよ!


 という私のテレパシーは、またしても感知されなかった。

 グラスの中では、憎たらしい陽気な泡が尽きることなく湧き上がっては消えていく。ママの胸の内でも、こんなふうに歓喜の気泡が無数に立ち上っているのだろう。そしてそれが、ママの唇の両端を押し上げているのだ。


 フィリップがママに声をかけた。「私は酒を飲まないので……」みたいなことを。ママは愛想よく、短い言葉を返した。


 ちょっと手を挙げて川端さんの注意を引くと、フィリップはミネラルウォーターを頼んだ。私も後に続こうとして、ぱっと高く腕を伸ばした。

ミートゥー私も

 思ったより大きな声がでてしまい、大人たちの笑いを誘った。


「リサ、あなたはシャンパンを飲まなくていいの。安心して」

 そんな感じのことをミンラに言われて、頬が熱くなった。まるで酔っぱらいのように見えたことだろう。

 

 私のグラスに川端さんが水を注いでくれる。

 シャンパンと同じように、グラスの底から白い泡が細く連なって揺らめきながら浮かび上がってくる。そういう作りの特別なグラスなのか、それとも川端さんのわざなのか。


 ボスが乾杯の音頭をとった。あまりにも堂に入っていて、声に有無を言わせぬ力があったせいで、つい私も調子をあわせてしまった。

 祝う気持ちなど、これっぽっちも無いのに。


 グラスの泡粒をにらんだ。さっきから調子がくるってばっかりだ。

 私は怒りたいのに。怒気はどんどん湧いてくるのに、水面に届いた瞬間に外の空気に飲みこまれてしまう。


 腹立ちまぎれにグラスを傾け、ごくりと水を飲みこんだ。

 刺すような刺激が舌を焼き、喉から鼻の裏側にまわって思わずむせた。

 なんなの、この水。辛くて苦い。


 ママが私の背中をさすりながら、耳元でささやいた。

「それ炭酸水。知らなかったの?」


 知らなかった。世の中に単なる炭酸水を好んで飲む人がいるということを。

 炭酸水って、飲み物の原材料だよね? 炭酸飲料とかカクテルとかの。


 恥ずかしくて顔を伏せた私の鼻先には、大小のナイフやフォークやスプーンが並んでピカピカ光っていた。食欲がそがれる光景だけど、こういうものは両端から使っていけばいい、と一応は知ってる。実践したことは無いけど、たぶん大丈夫。向かい側のフィリップやミンラのマネをすればいい。


 ところが、見たこともない食べ物を実際に目の前にすると、全く大丈夫じゃない気がしてきた。

 おそらくこれは、スープだろう。

 断定できないのは色のせいだ。トマトでもコーンでもカボチャでもない。スープというより、トロピカルなアイスクリームって感じの色をしている。

 しかも、長い松葉のようなものが斜めに刺さっていて、細い花びらのようなものが浮いている。

 とてもきれいだ。食べ物だと思わなければ。


 大人たちの動作を盗み見ながら、炭酸水のような失敗をしないように、ちょっぴり口に含んだ。

 味は、わからなかった。

 わかったのは、このスープが冷たいということだけ。冷めてしまったのではなく、わざと冷やしてある。


 落ち着け。世の中には冷製スープというものが存在する。

 こんなにぜいを尽くした屋敷で、おかしなものをだすはずはない。ミシュランガイドに載るような高級店では、きっと当たり前の料理なのだ。私が知らないだけで。


 ママが感心したように「とても美味しい」と言ってるけど、お茶の一件があったばかりだから、その評価を鵜呑うのみにはできない。

 フィリップの皿は早くも空になっている。しかし、ドリンクの原材料で満足する彼の味覚も信用するわけにはいかない。


 ミンラにスープの感想をきかれたので、笑顔でうなずいてやり過ごした。無難に同調してばかりの自分を引きむしってやりたい。


 私は覚悟を決め、たっぷり一匙分ひとさじぶんを口にふくんだ。

 斬新な見た目とは裏腹に、口当たりが良くて優しい味がした。なにからできているのか想像もつかないけど、なんとなく馴染み深い旨味うまみがある。


 大人たちの手が次々にとまるので、急いで残りを平らげた。松葉は残してもいいらしい。花びらは飲み込んでしまった。ママの皿の底を横目で覗く。それでよかったみたいだ。


 手際よく、各自の皿が片づけられていった。

 甘くないソーダ水に温かくないスープ。次はいったい、どんな料理が登場するのやら。

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