第27話 アルカイックスマイル

 ミンラはママにも勧めた。

 ママは美しく微笑み返して時間稼ぎをしながら、隣のタカシの反応を待っていた。タカシは石像のように動かない。結局ママは、お茶を一息に飲み干して、咲きはじめのつぼみみたいに唇をほころばせた。


 ママのほうを向いているミンラの表情はわからない。でも、これが決定的なミスであることを私は確信した。


 タカシの了承りょうしょうが得られなかったという理由で、未来の雇い主の好意を中途半端に拒んだのだ。その結果としてママは今、苦渋を味わっているはずだけど、それはミンラが望んだことではない。新しく豊かな世界への扉を示されたのに、タカシの顔色をうかがい、判断を誤って彼女の好意を台無しにした。本来なら、こんな愚かなミスはしないはずなのに。


 しかも、お茶を一気に飲んで美しいアルカイックスマイルを披露してしまった。味覚に深刻な障害があるという解釈もできなくはないが、恐ろしいほど隠しごとが上手だと思わせた可能性のほうが格段に高い。

 大事な判断をタカシにゆだねる嘘の上手い女が、自分に相応しい通訳者であると思うほど、ミンラは甘くないだろう。


「この実は……」

 急いで出しかけた助け舟は、よく通る川端さんの声で掻き消されてしまった。食事の準備がととのったらしい。もちろん、私たちの様子を観察していて、タイミングを見計らって終了のゴングを鳴らしたに違いない。


 ボスとミンラが連れだって部屋の奥へ進んでいく。行く先には壁しかない。それでも夫妻はずんずん歩く。すると、まるで幕が開くように壁が消え、その先に豪奢なダイニングルームがあらわれた。


 ママは感嘆の声を上げ、この感動をわかちあおうとタカシを覗きこんだけど、相手は目もあわせず先に行ってしまった。

 この隙を逃さずママに追いつき、さっきの助け舟を小声で披露した。タイミングは逃したけど、これからミンラのところで働くのなら、知っておいて損はない。


「ものすごい味のお茶だったけど、先に実を食べて、口に甘さが残っているうちにお茶を飲めば丁度いいよ。茶道の抹茶と和菓子みたいなものだと思う」


 無視されてしまった。飲み干して微笑んでみせた手前、ものすごい味だったことを認めたくないのかもしれない。

 気を取り直して、さっきから気になっていたことを質問した。


「満月将軍って、本当にいた人?」

「知らない。黙ってて」


 ママは早足でタカシに追いつき、さっきみたいに手をからめた。


 ママは何をしているのだろう?

 なぜミンラよりタカシを気にかけるのか。これではママの就職面接ではなく、タカシの婚約報告ではないか。


 ママの本当の望みは何なのだろう?

 お金でも就職でもないなら、まさか結婚だろうか。よりによってタカシと、あの下品な疫病神と、本気で一緒になる気でいるのだろうか。

 もっとママに相応しい、まともな男性の中からいくらだって選べるはずなのに。


 通りすがりに観察すると、行きどまりの壁に見えたものは何枚もの引き戸だった。今は端にきっちり寄せて重ねてあるので、一見すると柱のように見える。


 派手な演出の裏には巧妙な仕掛けがあるものだ。ママとタカシの関係にだって、きっとトリックがあるはず。それを見破ることができれば、驚いたり傷ついたりしなくてすむのに。

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