第22話 しっかり二度

 いきなりミンラに両肩をつかまれた。

 びっくりして見ると、袖に赤くて長い爪が食い込み、スズランの花がぐしゃりと潰れていた。


 そのまま体を引き寄せられる。

 耳の近くに柔らかいものが押しあてられ、変な音がした。

 私を捕まえている腕の力が緩み、ミンラと目があった。彼女は笑っている。


 とっさに私は理解した。

 これが、タカシが言ってたやつだ。私は適当にあわせることができたのだろうか?

 ミンラが微笑んでいるので、きっと上手くやれたのだろう。彼女が満足ならそれでいい。もう終わったことだ。


 でも、スズラン型の袖は両方とも握り潰されてシワくちゃだ。

 元に戻らなかったらどうしよう。


 私を捕まえているミンラの手に、ぎょっとするほど大きな指輪をみつけた。薬指と小指をあわせた指二本分の太さで、小指の爪から下が全部隠れるくらい長くて、美しい透かし模様の金属で覆われている。

 これで手刀打しゅとううちされたら痛いだろうな、そんな的外れなことをぼんやりと思った。


 肩の肉に指輪の堅さを感じ、それがわずかに背中側へ滑った。

 私の体が再び引き寄せられる。さっきとは逆の頬に唇が押し当てられ、パイプの詰まりがとれたような音がした。唇が離れる瞬間、ねっとりした口紅に捉えられた頬の皮膚が、わずかに引っ張られる感覚があった。


 私はすっかり混乱していた。二回目があるなんて、思ってもみなかったから。

 ミンラは笑いながら、赤いマニキュアの爪で、ちょちょっと袖をつまんだ。こわごわ見てみると、両肩のスズランは何事もなかったかのように、ふっくらと咲いていた。


 彼女が片手を横へ泳がせると、隣から大きな手が伸びて彼女の手を下から支えた。太い指にごつい金の指輪をはめた手だ。


 まっすぐ立つと、ミンラはかなり大柄な女性であるのがわかった。隣にいる恰幅かっぷくの良い紳士とほとんど同じ背丈だ。二人は親しげに言葉を交わしている。彼が差しのべた手を、今はミンラの両手が包んでいる。

 この男性がミンラの夫、つまりボスに違いない。触れたらチクチクしそうな髭に囲まれた唇の色が生々しい。


 あっという間に一度で済むと思っていたものが、しっかり二度もあったショックから、私はまだ立ち直れずにいた。

 ボスの挨拶も名前も聞き取れなかったけれど、気にしている余裕はない。絞り出すような声で「リサ」とだけ言って会釈をし、奥歯をかみしめ、頬を堅くして備えた。


 ところが、ボスは軽く頷いただけで、私には触れなかった。そして、次に挨拶すべき人を身振りで示した。


 その人は地味なスーツ姿の若い男性だった。細長い顔にメガネをかけている。彼の第一声は「ハロー」ではなかった。なにを言ったのかほとんどわからなかったけど、名前がフィリップというのだけは理解した。

 ボスがしなかったことを、この人がするはずはないだろう。用心深く会釈すると、彼はちょっと口角を上げて軽く会釈を返した。予想どおりだ。私はすばやく部屋全体を見回して、他には誰もいないことを確認し、大きく息をついた。


 とすると、タカシが憎らしげに「あいつかよ」と言っていたのは、このフィリップのことだろう。タカシが嫌う人なら、私は好きになれそうだ。だから、努めて愛想のよい顔をつくり、私は味方だということを笑顔と視線でアピールしようとした。その時、フィリップとボスとで、なにか含むところがある視線を交わしたのを見てしまった。


 了解。あなた方はミンラとは違う。

 採用面接とか婚約発表とかの大人の領域に、私のような子供の居場所はない。この招かれざる客をどう扱うべきか、あなた方が困惑するのは当然だ。信じてもらえないかもしれないが、私だってそう思ってる。


 心配しないで。近寄ったり、話しかけたりしないし、構ってもらおうなんて思わないから。私のことは透明人間だと思って、どうぞお構いなく。


 と、英語で伝えることはできないので、口ほどにものを言うはずの目で思いきり訴えてみた。けれど、ほんの少しも通じた様子はなかった。


 それでいい。

 そんなことが可能なら、通訳は必要なくなってしまう。ママが失業してしまうではないか。

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