第21話 踏み潰してやる、そんなものは全部

 扉の向こう側の絨毯には、葡萄ぶどうの模様が織りこんであった。

 私は、わざと葡萄の房を踏みながら歩いた。私の足の下で、葡萄の皮が破れて果肉が潰れて種が砕けるところを想像しながら。


 大人たちが挨拶を交わしている声がする。タカシが婚約を報告し、驚きと祝福の声が高く響きわたる。


 踏み潰してやる、そんなものは全部。

 次の葡萄を潰しにかかったとき、その先にキラリと光る緑色の何かが見えた。


 エメラルド色のペディキュアに彩られた足の指。素足に金色のミュール。

 濃厚な花の香りが鼻をつき、はっとして顔を上げた。女の人と目があった。彼女は小さな子に話しかけるように腰をかがめ、私を見上げてにっこりした。


「ヘッロウ」


 もちろん「ハロー」と挨拶したのだ、と自分に通訳していたから、とっさに口を開くことができなかった。彼女がマダムに違いない。私が黙っていてもお構いなしに、なんだか上機嫌で話しかけてくる。内容は全く理解できない。


 こんな人は初めて見た。古代エジプトの壁画に描かれた人みたいに、目のまわりをくっきり縁取るアイラインを入れている。

 私は改めて反省した。出かける前、ママに「化粧が濃い」と言って怒鳴られたのは当然だ。ママは目尻にラインを入れているだけだもの。ママの化粧は全然濃くない、この人に比べれば。


 彼女は、ふっと黙って私を見つめた。それから、ゆっくり

「ミンラ」

 と発音して、眉をあげた。私が何か言うのを待っているようだ。返事を期待されても、なんと言えばいいのか全くわからない。


 彼女は自分の喉の下を指先でトントンと叩いて、さっきと同じことを繰り返した。

「ミンラ」

 そんな英語は知らない。聞いたこともない。どうしようと絶望的になった次の瞬間にひらめいた。名前だ。

 彼女はミンラという名前で、私の名前を知りたいのだ。やっと言うべきことが見つかって心底ほっとした。


 落ち着いて彼女のマネをすればいい。鎖骨の間を指先で叩き、自分の名前を言う。

「リサ」

 真っ赤な唇が三日月のカーブを描いて裂けると、白く整った歯並びの奥で舌が波打った。深いところから響く、包み込むような声で私の名が繰り返された。


 彼女の目線が、点検するようにゆっくりと下に降りていく。胸の高さのところで、ちらっと険しい目つきに変わり、緊張で息がつまった。服がシワくちゃなのか、汚れているのかと焦ったけど、おかしなところはなかった。濃いアイメイクのせいで、厳しい表情に見えただけかもしれない。


 再び私と目を合わせると、彼女は満足したように微笑んで「会えて嬉しい」みたいなことをさかんに言っている。

 信じられないけど、ミンラは私に会えたことを本当に喜んでいるようだった。私は訳もわからず連れてこられただけの赤の他人の娘なのに。言葉も通じないし、美しくも可愛くもないのに。

 好かれる理由がわからないので、なんだか彼女をだましているような気になってきた。とても居心地が悪い。

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