第20話 フィアンセ

 ママは晴れやかな表情で私の手をつかみ、大きな扉の前で待っているタカシの方へ引っ張っていく。扉が開くと、タカシは私たちを待たずに中に入った。

 

 タカシは背の高い男の人と握手し、反対側の手でべたべたと彼の二の腕に触りながら、大げさな台詞を吐いている。

「ついにこの日が来ましたよ、バタさん」


 相手は100Kg超級の柔道選手みたいな体つきで、太い首や分厚い胸にぴったりあった白いシャツと黒いスーツを身に着けている。微笑を浮かべてはいるものの、制服と礼儀作法で武装しているような印象の男性だった。こんな人になれなれしく触るなんて、タカシの神経はどうかしているとしか思えない。


 タカシはママの方に顎をしゃくって、軽い調子で私たちを紹介した。

「これ、フィアンセのマリコ、その娘のリサ」


 流れるような動作でタカシの手をほどくと、彼は私たちに向き直った。

 ママと私を見ても全く表情を変えず「執事の川端かわばたでございます」と丁寧に挨拶した。私たち親子を見て余計な反応を何一つ示さない人は珍しい。


 川端さんはタカシにも必要なことだけを伝えた。

「旦那様と奥様は、先ほどお戻りになられました。皆様、二階でお待ちです」


「えっ、ボスとマダムの他に誰か同席すんの?」

 川端さんは黙っていたが、タカシは誰だか思い当たったらしく、小さく舌打ちして「また、あいつかよ」と呟いた。

 ママが問いかけるような視線を向けると、今度はにやりとして「まあ、いいや。とにかく行こうか」と歩きだした。


 川端さんが奥の扉を開くと、あたりは淡いバニラ色の光に包まれた。予想よりずっと高い所に天井があり、そこから逆さまに生えた大樹のようなシャンデリアが輝いていた。

 私もママも立ちどまって見入っていると、タカシが得意げに言った。

たいしたもんだろ?」


 川端さんが後を引き取った。

「この部屋のために特別に制作されたものです。まだそれほど有名ではありませんが、奥様が見込んだ照明デザイナーの作品でございます」

 部屋を見回してから、もう一度シャンデリアを見上げてママが言った。

「見事なものね」

「奥様の審美眼に間違いはございません」

 奥様、と誇らしげに口にした時、彼の目尻の皺は一層深くなった。年齢はタカシより十歳は上だろう。


 タカシは見慣れているからか、感心する風でもなくぶらぶら歩き、離れたところからママを眺めてはにやにやしている。


 目の端で、川端さんがわずかに上体を傾けたのがわかった。それが合図となって、皆が自然に歩きだした。

 この人は、私がママの視線をコントロールするのと同じことを、私たち全員に対してやってのけている。


 その先には優美な螺旋階段があった。赤い絨毯が敷かれていて、私たちの足音を一足分ひとあしぶんずつ呑みこんでいく。


 ママとタカシはいつの間にか手をつないでいた。ママの薬指のダイヤモンドがシャンデリアの光を反射して私の目を射る。私は足元に視線を落とす。


 毛足の長い絨毯は目測をあざむき、足を乗せるたびに予想より少し深く沈む。階段の中央を真っ直ぐに上ろうとしても、いつの間にか端に寄ってしまう。螺旋階段なのだから、真っ直ぐではなくて、大きな円を描くように上ればいい。頭ではわかっていても、私のステップは不器用にジグザグを描き続ける。


 やっとの思いで階段を上りきったのに、二階の廊下にも絨毯が敷いてあった。まっすぐ歩けるようになっただけで、相変わらず一足ごとに不器用に沈みながら、大人たちの後をついて行った。


 扉を開ける音。川端さんが英語で私たちの到着を告げる。

 タカシが戻ってきて、私に耳打ちした。

「頬にチュってされるけど、そういうもんだから。適当にあわせろよ」


 いらない助言をされて不愉快だった。私だって知ってる。ハリウッド映画なんかでよくあるだ。

 初対面で顔をくっつけるなんて動物みたい。握手の方がずっと文明的な挨拶だと思うけど、私の考えを感じ良く説明する英語力がないので、黙って適当にあわせるしかないだろう。一度だけで、すぐ済むものなら、ちょっと我慢すれば終わるのだし。


 ちょっと待って。


 そんなことをしたら、結局はタカシに協力することになる。

 それは絶対ダメ。タカシに利用されるなんてまっぴら。


 だから、視線を合わせて感じ良く微笑むかわりに、嫌々いやいやついて来たのが間違いなく伝わるように、うつむいたまま、のそのそと大人たちの後についていった。

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