第15話 ニュースで考える

 私には代案がある。

 もっと安全で、もっと確実で、これまで大勢の人が選択してきた解決策だ。

 ママを説得する自信は、まだ無い。

 ただし、いつチャンスが来てもいいように準備はしてある。


 週に一度、提出する学校の宿題「ニュースで考える」のワークシートは、ずっと煩わしいものでしかなかった。


 学校の先生たちは、宿題にして習慣づければ報道に興味を持ち、社会勉強になると思っているのだろう。でも、見知らぬ誰かの問題に関心が持てるのは、身内に問題のない幸せな子だけだと思う。ママが抱えている困難だけでも雪崩なだれが起きそうな私の頭に、他人の不幸の最新情報まで詰めこまれてはたまらない。


 こんなことを学校で言うわけにはいかなかった。

 ママが私にさえ隠そうとしている秘密なのだから。


 ささやかな抵抗として、美しいものや楽しいものを紹介している記事だけを取り上げ、素晴らしく中身の無いワークシートに仕上げた。提出期限は守っているし、体裁も整っているから文句はないはずだ。

 ママが必死に守っている秘密が私からほころびるよりは、やる気が無いとか、できない奴とか思われるほうがいい。


 それが変わったのは、誰もが知っている大企業が破綻した日からだった。

 巨額の負債を抱えた大企業を再生させるため、銀行が返済を免除し、国が援助することが決まった、というニュースが新聞でもテレビでもネットでも、連日大きく報じられた。


 無性に腹が立った私は、このニュースを取り上げ「借金は何があっても返すもの。銀行が大企業だけを助けるのは不公平、国が援助するのは税金の無駄遣い」と威勢よく書いてワークシートを提出した。


 そして、すぐに後悔した。

 大人の世界で決まったことに対して、生意気で否定的な態度をとるのは普段の私らしくない。ついカッとなって、いつもと違う一面を見せてしまったけれど、今回はなにかの間違いだったと思われるように工夫しよう。

 次回からはこれまでと同じように、季節の花や動物の赤ちゃん誕生のニュースでしのげばいい。


 翌日、そのワークシートが、これまで見たこともない派手な花丸と「中小企業や個人を助ける制度もあります。調べてみましょう」とのコメント付きで戻ってきた。


 どうしても聞きたいと思って、放課後に先生を探した。

「借金が返せないのに銀行や国が助けてあげるのは、おかしくないですか? 負けたら退場、それが世の中のルールでしょう?」


 先生は私の質問に、ぎょっとした表情をちらりと浮かべた。

「負けたら退場、それがルール」はママの受け売りだけど、私の言いかたが変だったのかもしれない。


「まあ、会社はそれでいいかもしれない。でも、その会社で働く人や、その家族は?」

 人だって同じだ。負けたら退場。それがルールだから迷いなく答えた。

「仕方ないです」


「そうかな? たとえば夏が暑くて冬が寒いのは、昔から仕方ない。でも、そこで昔の人が全員そういうものだとあきらめていたら、今の冷房も暖房も存在しない。


 社会の仕組みも同じ。昔は、小作人の子は小作人にしかなれないけど仕方なかった。大名の子は大名になる。ただし長男だけ、それも仕方なかった。勝手に結婚相手を決められたり、男の人は兵隊にされたり、女の人には選挙権が無かったり。そういうのを全部、仕方ないって我慢させられる人生って、どうよ?」


 そんなの嫌だ、あり得ない。


「借りたものは返すのが当然だけど、頑張っても返せないことはある」

 私は黙っていた。


「それについては、これまで世界中でいろんな方法が試されてきた。たとえば、借金を返せない人を専用の刑務所に収容することにしたら、上手くいくどころか無茶苦茶になったからやめた、とかね」

 刑務所、と聞いても表情を変えないように頑張った。


「人間の賢さや愚かさって、昔も今もそんなに変わらないと思う。昔の人がまじめに取り組んで失敗した方法は、今の人がやっても多分うまくいかない。だから、やるなら別の方法を試す」

 私は小さく頷いた。


「そうやって人々が山ほど試行錯誤してきた結果が、今、ここ」

 先生は私のワークシートを指差した。


「もちろん、自分勝手に帳消しにはできない。法的に決まった手続きがあって、そこで認められれば清算できるってだけ。お金を貸す側は、返済不能になるケースが一定数あるのを見越して限度額や利子を設定している。借金が返せなければ人生終わり、なんかじゃなくて、手続きを踏んで一から再出発できるほうが、ずっといい世の中だと思わない?」

 持ち上がりそうになる両頬を、口の両端に力をこめて押し下げておく。


「昔あった『仕方ないけど嫌なこと』を無くしてくれた人に、時間をさかのぼって感謝や感動を伝えることはできない。だから、今ある『仕方ないけど嫌なこと』をぶっ壊して、より良いものにして未来の人にプレゼントする。それができたら、すごいと思わない? 最初は小さなことでいい。ちょっと先の自分にプレゼントすることから始めてもいい」


 口元がゆるんだまま、小さく頷いた。そして決心した。

 その法的な手続きについて調べて、ちょっと先のママにプレゼントしよう。


「無いと諦めたら何も見つからないけど、あると信じて探すと結構見つかるよ」

 先生が言ったとおりだった。

 そして少しずつ知識を増やしてきたから、もう私にはわかっている。ママに必要なのはタカシじゃなくて弁護士だ。無料法律相談の連絡先やネットでみつけた清算手続を印刷してファイルし、いつでもママに渡せるように準備した。


 私の言葉は列をなして行進の合図を待っている。それでも私の口は開かない。


 理由はわかっている。蟻地獄のように滑り落ちていく現実よりも、ママを怒らせることのほうが、私にはずっと怖いからだ。


 ママは約束に関しては全く融通ゆうずうの利かない人で、約束を破るのは人間のクズがすることだと決めつけている。返す約束で借りた金を帳消しにするという提案は、ママにとっては「人間のクズになれ」という侮辱と受け取られかねない。

 そうなったら、ものすごく怒られてしまう。 


 今、私は後部座席にできるだけ浅く腰掛けて背筋を伸ばし、不規則に揺れる車の中で、両腕をめいっぱい使って体を支えている。

 これ以上、服にシワをつけないために。


 時間を遡ってあの時の自分に伝えたい。知識の贈物おくりものだけでは足りない、と。

 私の呼吸は浅く、舌は口蓋こうがいに貼りつき、足元はグラグラしている。こんな状態でプレゼントの箱を開けることはできない。


 ママの怒りに怯まず、落ち着いて話ができればいいのに。

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