第13話 自分の持ち物を他人に欲しがらせる天才

 まだママは喋り続けていた。

 横断歩道の信号が赤になり、タカシはハンドルに向き直る。もう見られていないのに気づくとママは口を閉じた。


 今度はタカシがしゃべりだした。

「心配すんな。うちのマダムには、おまえの価値がわかるはずだ。言っとくけど、オレの情報が早いおかげで、まだ競争相手はいない。パーフェクトな人材だって、ボスに真っ先に推薦しといたから。一生に一度、あるかないかのチャンスだ。しっかりつかめよ」


 いったい何の権利があって、この男はママを「」と呼ぶのだろう?

 でも、ママは怒りの火花さえ見せない。

 ただ、ずっと悩まされてきた問いをそっと言葉にしただけだった。

「どうして、こんなに待たされたの?」


 一学期が終わったら引っ越すと知らされたのは、バレエ教室をやめた日の前日だった。住み込みで働くことになったので、都心に引っ越すのだと。もうリョウコ先生のところには通えないから、先生にやめると伝えなさいと。


 タカシはわざとらしく肩を落として、大きなため息をついた。

「あのマダムに振り回されて、みんな大変な目にあってるよ。おまえはひと夏くらいで済んだからまだいいほうだ。オレなんか二年も待たされてる」

 まるでタカシが一番損をしているような言いかただった。


「ボスが東京に拠点を移すことが決まって、あの屋敷を手に入れたのが、一昨年のことだったかな。こっちはそのつもりで、いろいろと当てにして動いたのにさ。

 後からノコノコやってきて屋敷を一回りしたマダムが、バルコニーを広げるって突然言いだしたんだ。バカじゃねぇかと思ったね。


 まあ、ガイジンだから日本の建築基準が世界一厳しいのを知らなかったんだな。あんな文化財に指定されそうな古い洋館のバルコニーがそう簡単に広げられるかよ。でも、どうしてもやるって言い張るもんだから、しまいにはボスも折れてさ。おかげで、このご時世に建築屋は耐震補強工事込みで大儲け。こっちは大損害」


 頭蓋骨の内側でタカシに毒づきながら、これが全て、なにかの間違いであってほしいと祈っていた。今日、タカシに会ったことも。今、ママと彼の車に乗っていることも。これは悪い夢だ。


「あの時はホントに腹が立ったが、まあ、できあがりは立派なもんよ。バルコニーのついでに、オレたちスタッフの住居スペースもリフォームされたし。人の金であんな場所に住めるなんて最高だろ? 損して得取れ、とはよく言ったもんよ」

 そう言って、タカシは変にかすれた高い声で笑った。


「なんといっても、マダムはプロだからな。まず、ちょいとくたびれた城や屋敷を手に入れて趣味よく改築する。次に彼女のセレブ人脈を動員してゴージャスなパーティを開く。マダムは有名な篤志家とくしかだから、難民救済だの難病支援だのとパーティの口実には事欠かない。


 それで、ここからが面白いんだが、そんなことを繰り返してるうちに成金どもが『素晴らしいお屋敷を是非とも譲ってほしい』って連絡してくる。

 マダムは『自分が長く住むつもりで丹精込めたものだから』なんて最初は断ってさ。ネズミをいたぶる猫みたいに相手を焦らしておいて、最後は『あなたには負けたわ』って話をまとめるんだ。


 もちろん、しっかり儲けてる。上手いもんよ。あの人は自分の持ち物を他人に欲しがらせる天才なんだ。


 おまえ、今みたいな仕事は辞めたいって言ってたよな。マダムの下で働きながら、彼女の技を盗めるだけ盗んでおけよ。オレはオレでボスの元で修業を続けるから、いずれは独立して一緒にビジネスしような。オレたち、最高のチームになるから」


 ママは辛抱強くタカシの高笑いがおさまるのを待ち、話の続きが無いことを確信できるだけの間をとってから、さっきと同じ質問をした。

「改築が終わったのは半年前なのに、どうして今日まで待たされたの?」


「だから、マダムのせいだって。工事が終わって再来日したマダムと話をまとめようとした矢先に『東京の暑さは我慢できない』って、突然どっかに行っちゃってさ。

 どんなに涼しい所に逃げたのかと思ったら、行先はドバイだってよ。バッカじゃねぇの。東京より暑いところに行って避暑になるかよ。


 おまえのことがあるから、オレだって頭にきたさ。でも、バタさんは静かに『奥様らしい』って微笑んでたよ。バタさんはオレよりも、あの夫婦と付きあいが長い。おまえもバタさんくらい人間ができてないと、マダムと上手くやっていけないからな」


「バタさんって、誰?」


「お屋敷の執事。すごい人だよ、プロ中のプロ。同じ日本人として誇らしいね。

 オレがエディンバラにいた頃、バタさんはロンドンにいてさ。オレとバタさんの間には、同じ時期に英国で苦労したっていう、戦友的な仲間意識があるんだ。

 まあ、向こうで会ったことはなくても、その頃の話になると互いに深く通じるものがあるわけよ。そのへんのところ、おまえだってわかるだろう?」


 ママは否定も肯定もしなかった。

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