第18話 恋する少女は安堵する

 中庭に近づくにつれ、花の香りが強くなっていく。

 庭を見た時から思ってたけど、このお屋敷は植物が多い。

 ここに落ちてきた時にチラッと見えた庭は緑でいっぱいだったし、玄関先にも観葉植物みたいなのが飾られていた。

 そういえば、客室にもお花があったなぁ。

 でも、勇輝って、そんなに花とか植物とか好きだったっけ?

 そんなことを考えているうちに、中庭に繋がる扉の前に来ていた。

 扉の前にはサオリさんとアンズさんが待っていた。


「お待ちしておりました。準備は整っております」

「そうか。ありがとう」


 「えっ、もう?」と思ったけど、フォルの反応を見るにこれが普通なのかな。

 メイドさんって凄い。


「扉を開けてくれ」

「かしこまりました」


 サオリさん達がゆっくりと扉を開ける。

 その瞬間、心地よい風が私のすぐ側を吹き抜けた。

 その風に乗って、植物達の香りが私の鼻腔をくすぐった。


「わぁ、すごい……!」


 目の前に広がる中庭は、色とりどりの花々が見事に咲き誇っていた。

 見たことのあるものから全く無いものまで、様々な花が風にその身を任せていた。


「気に入ったか?」

「うん! ありがとう、フォル!」


 思わず駆けだしそうになって、自分がヒールを履いていたことに気づく。


「危ないから走るなよ?」

「わ、わかってるよ!」


 フォルにクスッと笑われて、私は恥ずかしさと怒りから、プイッと顔を逸らした。

 彼は、そんな私の手を取った。


「焦らなくても時間はたっぷりある。ゆっくり見て回ろう」


 さっきも思っていたことだけど、彼の大きな手には私の手がすっぽり収まってしまう。

 小さい頃から私を振り回してきた手が、今は大人の男性の手になっていた。

 記憶の中にある手とは違うけど、握られているととても安心する。


「……何だか、私が迷子になった時のことを思い出すなぁ」

「ああ、家族同士でキャンプに行った時のか?」

「うん。私が森に入って迷子になった時、勇輝が真っ先に見つけてくれたでしょ? 皆のところに帰る時、泣きじゃくる私の手をずっと握っててくれたよね」

「握ってたというか、ハナがその場から動こうとしないから引っ張ったというか」

「それでも、その時の私には勇輝がかっこよく見えたよ」


 私を心配しながら、ギュッと握ってくれた手の感触は今でも覚えてる。

 不安でどうしようもなかった私を救い出してくれた彼は、その時の私には勇者ヒーローのように見えた。

 思えば、その時からかもしれない。

 私が、彼のことを好きになったのは。


「なあ、ハナ。それって、もしかして……」

「あ! ねえ、あれって何?」


 視線の先にビニールハウスのようなものが見えたから聞いてみたんだけど、うっかり彼の言葉と被ってしまった。


「ごめん、今なんて言った?」

「……なんでもない。あのビニールハウスが気になるのか?」

「う、うん」


 またはぐらかされた気がする。

 聞きたいことがあるならちゃんと聞いて欲しいのだけど。


「あそこには珍しい花が植えてあるんだ。行ってみるか?」

「ビニールハウスで育ててるってことは、環境とかに気を遣わないといけない花なんだよね。そんなところに私が入って大丈夫なの?」

「問題ないって。それに、俺がハナに見せたいんだ」


 彼に手を引かれながら、ビニールハウスの中に入る。

 ビニールハウスと言ってたけど、透明なビニールじゃなくて黒いビニールが張られているから、中は光が透過してなくて真っ暗だ。

 でも、その暗闇の中で光り輝いているものがあった。


「あれって……」


 私は髪飾りにそっと触れる。

 光り輝いていたのは、一本の木だった。

 青い葉の間に咲く白い花が、暗闇の中に浮かび上がっている。

 その花は、私の髪留めについているものとよく似ていた。


「ハナミズキに似てるだろ?」

「でも、違うものだよね? ハナミズキの花が光るなんて聞いたことないし」

「多分な。俺も詳しくは知らない。そもそも、この木は今はもうここにしかないから」

「え?」

「元々ある森にしか生えてなかったんだが、その森が戦火で焼かれた時にこの一本だけ助け出したんだ」

「助け出したって、そんな危ないこと……」

「好きだったんだ」


 フォルが光る花に近づいていく。

 彼はその花弁にそっと触れた。


「この花を見ていると、心が安らいだ。俺は、この花を失うのが嫌だったんだ……」


 花を見つめて目を細める彼は、どこか寂しそうに見えた。


「……ハナは、俺に前世の記憶がなかったのを知ってたか?」

「うん。でも、私と会った時には思い出してたよね?」

「いや。俺はハナの顔を見て、そこで初めて思い出したんだ」


 彼が私の方を向く。

 その瞳は優しく細められ、口元は嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「俺がこの花を好きなのは、きっと無意識のうちにハナのことを思い出していたからだろうな」

「……どうして?」

「うーん、多分、この花がハナミズキに似てたからじゃないか?」


 ……違うよ。私が聞きたかったのは、そういうことじゃない。

 何で、私のことを思い出したらその花のことを好きになるの?

 どうして、私を思い出すような花を見て、フォルの心が安らぐの?


「しばらくここに来れてなかったけど、ちゃんと綺麗に咲いていてくれて良かったよ」

「……うん、本当に綺麗」


 聞きたいことを聞けないのは、私も同じだ。

 今この疑問を彼にぶつけたら、この関係が壊れてしまうんじゃないか。

 そう考えたらすごく不安で、何も聞けなくなる。

 だから、私もはぐらかすような質問しかできなかった。


「でも、まさか勇輝が植物を好きになるなんて思わなかったよ」

「うん?」

「だって、ここだけじゃなくて、お屋敷の前とか中にも植物が多いじゃない? それって、勇輝――フォルが植物を好きだからじゃないの?」

「まあ、好きと言えば好きなんだが……きっかけがなぁ」


 彼が照れたように頬をかく。


「何かきっかけがあったの?」

「うん、まあ」

「……教えては、くれないの?」


 彼の歯切れが悪いのを見て、私は何か言いたくない事情があるんだと思った。

 例えば、昔好きな女の子からお花を貰ったからだとか、そんな理由かもしれない。

 聞きたくないと思う反面、聞いておきたいとも思った。

 彼が他の女性を好きになる可能性があるなら、私がここにいる意味がないと思うから。


「っ! それは、反則だろっ……!」

「へ?」

「何でもねーよ! 教えればいいんだろ、教えれば!」


 な、なんでちょっと怒ってるの? 私、聞いちゃいけないこと聞いた?

 そう戸惑っていると、彼はまるで観念したかのように口を開いた。


「……昔から、夢の中にハナが出てきたんだ」

「私が?」


 あ、そう言えば、あの天使がそんなこと言ってた気がする。


「でも、その時は前世のことを覚えてなかった。だからなのかもしれないが、ハナの髪飾りがやけに気になってな」

「髪飾りって、これのこと?」


 髪留めを指さすと、彼が頷いた。


「植物図鑑を片っ端から探して、植物学者の著書なんかも読んで……そんなことしてるうちに、植物が好きになったんだ」

「……もしかして、この花を見つけたのも」


 目の前で輝く白い花を指すと、彼は恥ずかしそうに頷いた。


「……ああ、そうだよ。夢の中で見た髪飾りの花と似たような花が咲く木があると聞いて、森に行って見つけたんだ」

「ずっと探してたの?」

「……まあな」

「何でずっと探してたの?」


 そう聞くと、彼は眉をひそめて露骨に嫌そうな顔をした。


「い、言いたくないなら別に」

「……いや、言うよ。言っておくべきことだと思うし」


 一つ息をついた彼は、意を決したように口を開いた。


「……ハナに、会えるような気がしたんだ」


 それだけ言うと、彼は口を閉ざしてしまった。

 だけど、私にはそれだけで充分だった。


「私に会いたいと思ってくれてたの?」

「まあ、ハナの名前も覚えてなかったけど。でも、今ならハッキリと言える。俺は、ハナに会いたかったんだってな」


 そっか……そうなんだ。

 私だけが会いたくて、彼は会いたくなかったらどうしようかと思ってた。

 でも、そんな心配はいらなかったんだ。


「良かった、勇輝も同じ気持ちで」

「俺“も”?」

「うん。私も、勇輝に会いたくてここに来たんだ」


 私は安堵して、彼に微笑んだ。


「私、また勇輝に会えて嬉しい。どんなに姿が変わってても、勇輝が勇輝のままで変わらずにいてくれて嬉しいよ」


 確かに少し変わったと思うところもあるけど、それは変わったと言うより成長したからだと思う。

 それに、こうやって話していると、変わった感じはあんまりしない。


「……俺だって、ハナに会えて嬉しいさ。だが、ちょっと勘違いしてるんじゃないか?」

「何を?」

「俺は、そんなに変わってないわけじゃないぞ」


 そう言うと、フォルは私の手を引き寄せた。

 急に引っ張られて前のめりになると、彼に抱きとめられた。

 彼の鍛え上げられた胸に顔が当たり、思わずドキッとしてしまう。


「ゆ、勇輝?」


 見上げると、彼の顔がすぐそばにあった。

 それこそ、鼻と鼻が触れそうな……ううん、もう少しで唇が触れそうなところに、彼の顔があった。

 彼は何も言わず、私に顔を近づけてくる。

 も、もしかして……私、キスされる……?

 私はその瞬間に備えて、そっと目を閉じた。

 彼の息が、私の唇にかかる。

 もう少しで唇が触れ合う、そんな時だった。


「……おい、今どうなってるんだ!?」

「く、クリス様! 押さないでくだ――きゃああ!」


 ――バタバタバターンッ!

 私達は咄嗟に、音がした方向を見る。

 そこには、ビニールハウスの入口で折り重なるサオリさんとアンズさん、そして、メイさんと見たことの無い男性がいた。

 その男性が、ゆっくりとフォルの方を見た。


「あー……お邪魔だったか?」

「……お前達、いつからいた?」

「えっと、僕はちょっと前くらい?」

「わ、私達も少し前からです」


 メイドさん達と男性は、立ち上がるとすぐに頭を下げた。


「「「申し訳ございません!」」」

「すまん、フォル!」


 あれ、あの男の人は「フォル」呼びだ。

 ということは、フォルの友人なのかな?


「……そうか。じゃあ、凍っておけ」

「じゃあって何――ひぎゃああ!?」


 冷ややかな声でフォルが言い放つと、男性だけが足元から凍っていった。


「な、なんで僕だけ……」


 その言葉を最後に、その男性は完全に氷漬けにされてしまったのだった。

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