第7話 恋する少女は名前を知る

 彼に抱かれながらお屋敷に入ると、数人の男女が待ち構えていた。

 彼らは全員、漫画やアニメなんかで良く見る執事服やメイド服に身を包んでいる。


「――――」


 その中の一人、髪をポニーテールにしている女性が恭しく頭を下げた。

 その人は、彼の腕の中にいる私を訝しげに見つめた。


「――?」

「――」


 女性が私のことを彼に尋ねたのだろう、ということはわかった。

 でも、彼が屈託のない笑顔で何かを言った時、女性が驚いた顔をしたのはどういうことだろう?


「あ、ハナにも紹介しないとな。彼女はこの屋敷の副メイド長をやっているメイ・リィーンだ」


 彼がそう説明してくれたけど、当の本人であるメイ・リィーンさんは困惑した表情でこちらを見ていた。


「ん? どうかしたのか?」


 それに気づいた彼が問いかけると、それに対しても彼女は困ったような顔をするばかりだった。


「……ねえ、もしかして、何を言っているのかわからないんじゃない?」

「え? でも、さっきまで話通じてただろ?」

「ううん。私は他の人達と勇輝が会話してる時、なんて言ってるのか全然わからなかったよ」

「マジかよ!」


 驚いた様子で彼はメイ・リィーンさんに何かを聞いた。

 彼女は申し訳なさそうに首を横に振る。


「そうだったのか……てことは、俺、ハナに自然と日本語で話しかけてたのか」

「意識してなかったの?」

「ああ。……それにしても、言葉が通じないとなると、色々不便だよな」


 彼は首を捻って何か思案し始めた。

 ふと、私はメイ・リィーンさん達の方から視線を感じ、そちらに顔を向けた。

 彼らは私達をじっと見つめ、微笑みを浮かべていた。

 私は自分がまだ彼の腕の中にいるのを思い出し、急激に顔が熱くなるのを感じた。


「ゆ、勇輝! いい加減おろして!」

「ん? 尻はもういいのか?」

「尻って言わないで! 大丈夫だから、おろしなさいってば!」

「ああ、わかったわかった」


 彼の腕から解放され、私はホッと胸を撫で下ろした。

 顔を上げれば、彼は思案顔のまま、私を見つめていた。


「俺、あんまり補助系魔術は得意じゃないんだけどな……まあ、やるだけやってみるか。ハナ、ちょっと耳に触るぞ」

「えっ、なんで……」


 最後まで言う前に、彼の大きな手が私の両耳に触れた。

 転生前は私の方が背が高かったし、手だってこんなに大きくなかったのに。

 今では私の方がずっと背が低くて、彼の手は私の顔をすっぽり覆ってしまえるほど大きくなっていた。


「――」


 彼が何かを呟くと、私の耳がほんのり温かくなるのを感じた。


「よし、これで大丈夫だろう」

「な、何をしたの?」

「この世界の言葉が翻訳されて聞こえるようにしたんだ」


 彼はそう言うと、メイ・リィーンさんの方を向いた。


「メイ、彼女に挨拶を」

「はい。初めまして、イチカ様。私、フォルティ様のお屋敷の副メイド長をしております、メイ・リィーンと申します。どうぞ、メイとお呼びください」


 ――本当にちゃんと日本語で聞こえた!


「は、初めまして」


 私がそう言って頭を下げると、彼が苦笑いをする。


「その魔術だけだとハナの言葉は翻訳されないんだ。だから、そう言っても伝わらないぞ」

「そうなの?」

「ああ。だから、俺が通訳してやるよ」


 彼はメイさんに、「壱花は初めましてと言ったんだ」と伝えた。

 彼女は私に深々と頭を下げた後、再び困ったような顔になった。


「こちらの言葉は翻訳されているようですが、言葉が通じないのは不便ですね」

「俺が通訳をするから問題ないだろう?」

「しかし、フォルティ様はお忙しいではありませんか」

「最近は落ち着いてきているだろう」

「ですが、今現在も毎日働いていらっしゃるでしょう。たまにはまとまった休暇をとることも必要だと、メイド長や執事長共々申し上げているはずです」

「……そうだったな。ではこうしよう。彼女がここの生活に慣れるまで、俺は休暇をとる。仕事の割り振りをしなければならないから、すぐにはとれないだろうがな」


 彼の言葉に、メイさんが目を丸くする。


「失礼ですが、イチカ様のサポートをするのであれば、それは休暇ではないと思います。我々がイチカ様をサポートいたしますので、フォルティ様はゆっくりお休みになられるのがよろしいかと」

「いや、慣れない地で知らない人物と共に過ごすより、見知った相手と過ごす方が彼女への負担も少ないだろう。それに……」


 彼が私の方をちらりと振り返る。

 そして、見惚れてしまうほど美しい笑みを浮かべた。


「俺は、彼女と離れたくない。彼女といられるのなら、俺は喜んで通訳をしよう」


 その微笑みは記憶の中にある勇輝のものとは違っていて。

 彼が大人の男性なのだと、まざまざと見せつけられた気がした。


「……かしこまりました。それでは残っている仕事について確認してまいります」

「ああ。頼んだ」


 どこかへ行こうとしたメイさんと視線がぶつかる。

 彼女は温かい眼差しで私を見つめていた。

 な、なんであんな目を向けられたの?


「ハナ、なんか顔赤いぞ? 熱でもあるのか?」


 その時、彼が急に顔を近づけてきた。


「だ、大丈夫!」


 私は咄嗟に、彼から距離を取った。


「……俺、何か気に触ることしたか?」


 彼が不安そうに眉尻を下げる。

 その顔は親に怒られるのではと怯える少年のようだ。

 ――差が激しすぎる!

 さっきはあんなに大人っぽかったのに、なんで一瞬で子供っぽくなるの!


「ハナ? やっぱり怒ってるのか?」

「ち、違うよ! ただ……そう、勇輝の今の名前を教えてもらってないなって思って!」

「何だ、そんなことか。ハナのこと、怒らせたのかと思ったぜ」


 彼は安堵のため息をつくと、子供っぽい笑みを浮かべた。

 うっ、これがギャップ萌えというものか。


「俺の今の名前は『フォルティ・トゥド・タイムス』って言うんだ」

「フォルティ……?」

「親しい奴からはフォルって呼ばれてるよ。でも、言いにくい名前だし、呼び方は別に勇輝のままでいいぞ」

「……」


 彼はそう言うけれど、私は彼のことを「勇輝」と呼ぶのに少し抵抗を感じていた。

 私は彼に会うためにこの世界にやって来た。

 でも、実際に彼に会って、私は思った。

 彼は、「勇輝」の記憶を持った別人だ。

 見た目が違うだけじゃない。

 その前から何となく思っていたことだけど、メイさんとの会話を聞いて、はっきりとわかった。

 彼には「フォルティ・トゥド・タイムス」としての人格がある。

 彼が私にだけ子供っぽい表情を向けたりするのは、「勇輝」の記憶に引きずられているからじゃないだろうか?

 だから、私は彼にこう告げた。


「ううん。私も『フォルティ様』って呼ぶよ」

「いや、フォル呼びで良いって」

「じゃあ、『フォル様』」

「……なんで様付けなんだよ?」

「だって、今のあなたは皆に尊敬される凄い人なんでしょう? だから、私も様付けで呼ばないといけないなと思って」


 私がそう言うと、彼は酷く悲しそうな顔をした。


「……俺は『時坂勇輝』だし『フォルティ・トゥド・タイムス』だ。だから、どっちの名前で呼んだって構わない。でも、様付けだけは止めてくれ」


 彼の、紺色の瞳が揺れる。


「だって、幼馴染なのに、そんなよそよそしい態度取られたら悲しいじゃんか」


 私は彼の顔をじっと見つめた。

 ……私のことを幼馴染と呼ぶ彼のことを、私はやっぱり「勇輝」だとは思えない。

 でも、それは、私の知らない彼がいるからかもしれない。

 彼が「フォルティ・トゥド・タイムス」として生きてきた時間を、私は知らない。

 その分の時間が「勇輝」を変えた……ううん、成長させたのかもしれない。

 ……それはそれでちょっと悲しいな。

 私も、彼の傍で、彼と一緒に成長していきたかったから。


「……わかった。様付けはしない。でも、私がこの世界の言葉を話せるようになって、公の場に出ることがあったら、その時は『フォル様』呼びにするから」

「……頑なだな」

「だって、呼び捨てにして変な詮索を受けるのは嫌だし。でも、二人きりの時は『勇輝』って呼ぶよ」


 彼の目が大きく見開かれる。

 彼はその状態で固まって何も言おうとしてくれないので、私は仕方なく理由を付け加えることにした。


「別に二人きりなら日本語で話していても問題ないし、そう呼んでも構わないでしょ?」

「……二人きりで会ってくれるのか?」

「え? だって、昔からよく二人きりで会ってたじゃない」

「そうだけどさ。でも、いいのか?」

「何が?」

「知らない顔の、しかも年上の男と二人きりになるのに抵抗ないのかよ?」


 ……いや、確かに知らない顔だけどさ。

 自分で自分は「勇輝」だって言ったのに、今更何を言ってるんだか。


「別に『勇輝』なんだから問題ないでしょう?」

「……そうか」


 彼は何故か、嬉しいのか悲しいのかよくわからない顔をする。


「何? 言いたいことがあるならはっきり言ってよ」

「……いや、お前に危機感が無いのか、それとも俺に魅力が無いのか、どっちなのかと思って」

「?」


 ますます意味がわからない。

 でも、彼はそれ以上喋るつもりは無いのか、急に話題を変えた。


「ああ、そうだ。ハナも疲れてるだろうから、先に部屋に案内するよ。すぐ使える状態にしてもらったから」

「そうやってはぐらかそうとして……確かにちょっと疲れてきてたから、別にいいけど」


 なんだか釈然としないまま、私は彼に客室へと案内された。

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