第2話 恋する少女は異世界を知る

 その日は、5月なのに夏の日のような暑さだった。

 日差しが強く、勇輝がいたなら「絶好の散歩日和だな!」とか言って、私が承諾する前に散歩に連れ出されていたことだろう。

 でも、そんな彼は私の近くにいない。

 この世にも、いなくなってしまった。


「まだ中学生でしょう? 可哀想に……」

「確か、歩道を歩いていた猫を助けようとしたんだって?」

「それで居眠り運転のトラックに轢かれたそうね。そんなに優しい子なのに、亡くなるだなんて……」


 私のすぐそばで、大人達がそんな話をしていた。

 今日は、勇輝の葬式が行われている。

 親族に混じり、彼と家族ぐるみで親しかった私の家族も呼ばれた。

 私は学校の制服に身を包み、白装束の彼と対面した。

 棺の中の彼は、とても死んでいるとは思えないほど綺麗な顔をしていた。

 まるで、眠っているかのようだった。

 名前を呼べば、目を開けてくれるんじゃないかと思った。

 でも、棺に縋る彼の母親がどんなに呼びかけても、彼が目を覚ますことは無かった。


 葬儀は滞りなく終わり、大人達は会食の準備に追われている。

 私は、会食が行われる部屋を出て、外で呆然と突っ立っていた。

 見上げた空には、雲一つない。

 勇輝はそんな空が好きだと言っていた。

 青一色の空を見ると、何だか幸せな気持ちになれるのだと。


「……全然そんなことないじゃない。勇輝の嘘つき」


 空を見上げても、ただ悲しみが募るだけ。

 彼の声も、彼の体温も、もう二度と感じることはできない。

 誰にも気づかれないよう、私は声を潜めて泣いていた。


「……もし? そこのお嬢さん」


 不意にかけられた声に、私は慌てて涙を拭いた。


「だ、誰?」


 辺りを見回すが、人は見つけられない。

 すると、足元から声が聞こえてきた。


「ここですよ、ここ」


 そう言われて、私は足元に目をやった。

 そこには、真っ白な猫がちょこんとおすわりしていた。


「初めまして。花水木壱花さん」

「ね、猫が喋った!?」

「いえ、私は猫ではありませんよ。この姿はこの世界に顕現するための仮のものです」


 猫(仮)が、男性の声でそう言った。


「えっと、じゃあ、あなたは一体何者なんですか?」

「そうですね……人間の言葉で言うなら、天使に近いでしょうか」


 とんでもなくファンタジーな存在だった。

 いや、猫が喋っている時点でファンタジーか。


「その、天使様が一体何の御用でしょうか?」

「まあまあ。混乱していらっしゃるでしょうが、ひとまず落ち着いて。少々長い話になりますので、あちらで座って聞いてください」


 自称天使の猫が示した場所にはベンチがあり、私は言われた通りに腰をかけた。


「では、まずは貴女に聞いておきたいことがあります」


 私の隣に座った猫が、優しい声でこう告げた。


「壱花さん。貴女は、勇輝殿に会いたくはありませんか?」

「……え?」


 ――勇輝に、会いたくないか?

 それは、どういう意味なんだろう?


「それは……会いたいに決まってます」

「そうですか! いやぁ、良かった。断られたらどうしようかと思いましたよ」


 ホッとした様子の猫に、私はますます首を傾げる。


「ああ、突拍子のない質問をしてしまってすみません。実は、私は上司からとある頼み事をされまして」

「頼み事、ですか?」

「はい。それにはまず、勇輝殿の身に起こったことを説明せねばならないでしょう」


 猫は私に、あの日勇輝に起こったことを教えてくれた。

 勇輝はいつもより少し早い時間に家を出て、遅刻しないように行動しようとしていた。

 でも、通学途中に猫が轢かれそうになっているのを見て、咄嗟に身体が動いてしまったらしい。

 彼は亡くなってしまったけれど、猫は無事だったそうだ。


「そして、その猫が、実は私の上司のペットだったんですよ」

「……えーと、天使さんの上司って、まさかとは思うんですけど」

「はい。人間が言うところの神様ですね」


 どうやら、彼が助けたのは神様の愛猫だったらしい。

 というか、何故神様が飼っている猫が人間の世界にいるのだろうか?


「神の話によると、仕事の関係で下界に降りる穴を開けていたら、うっかりそこから猫が落ちていってしまったそうです」

「……それ、神様の不注意ということですか?」

「……そうですね」


 私は、ふつふつと怒りが湧いてきていた。

 神様の不注意で彼が死んだのだと言われたのだ。怒りが湧いてこないわけがなかった。


「貴女のお気持ちもわかります。神も、今回のことは本当に申し訳ないと思っています」

「……じゃあ、生き返らせてくれたっていいじゃない」


 怒りに身を任せてそう言えば、猫は申し訳なさそうに頭を下げた。


「それはできません」

「なんで? 神様なんだからそのくらいできるでしょ?」

「人間が思うほど、神という存在は万能ではないのです。過去に戻ることも、死んだ人間を生き返らせることも、神や我々にはできないのです」

「じゃあ、どう責任をとってくれるの!? 勇輝にもう会えないなら、どんなことをされても私は神様を許さない!」

「……ええ、そうでしょうね。ですが、会えないとは言っておりませんよ。先程尋ねましたでしょう? 『勇輝殿に会いたくはありませんか?』と」


 それは、つまり……。


「勇輝に、会えるの……?」

「はい」


 にっこりと笑って肯定する猫に、私も思わず笑みが零れる。

 でも、すぐにそれを引っ込めた。


「……でも、それってつまり、私も死んじゃうってことですよね?」

「え?」

「だって、勇輝に会うってことは、冥界に行くってことですよね? だったら私、まだ行けないというか……」

「ちょちょ、ちょっと待ってください。別に私は貴女の魂をもらいに来たわけではありませんよ。ていうか、それは別部署の者が担当ですし」


 ……天使にも部署とかあるんだ。なんだか会社みたい。

 なんて一瞬思ったけど、私は猫の言葉に再び首を傾げた。


「じゃあ、どうやって冥界にいる勇輝に会いに行くの?」

「あのですね、そもそも勇輝殿は冥界にはいませんよ」

「え? じゃあ、彼は今どこにいるんですか?」

「勇輝殿は今、『アース』にいます」


 アース? それって……。


「この地球にいるってこと?」

「……ああ、そう言えばこの世界は多種多様な言語が存在するのでしたね。そのうちの一つに同じ呼び方をするものがあることをすっかり忘れていました」

「?」

「えっとですね、私が言った『アース』とは、この世界のことではございません。こことは異なる世界――すなわち異世界に勇輝殿は転生していらっしゃいます」

「い、異世界転生!?」


 そんな、トラックに轢かれて異世界転生だなんて、小説みたいなことが起こっていただなんて!


「ま、まさか、凄い力を手に入れて魔王を倒そうとしてるわけじゃないですよね?」

「ええ、違いますよ」


 その言葉に、私がホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。


「勇輝殿は既に魔王を倒し、世界に平和を取り戻されました」


 という、爆弾発言を食らったのだった。

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