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石上あさ

第1話3,話5,話,最終話

章分け

心臓狩り

指揮者

非現実世界



最初の交差点の場面で、現場検証が行われているとかでもいいかもしれない、


序章 不死身の心臓狩り(ルビ シザーハンド)

 

 チバ・メトロポリス内に位置し、経済特区にも指定された〈エリア3ー東雲区〉。

 その区域内に林立する、偽物の空に突き刺さらんばかりにそびえる摩天楼の一室。

 真っ暗な室内には警報が鳴り響き、床には三つの死体が転がっていた。

 そのすべてに鋼鉄の爪によって引き裂かれたような裂傷があり、流れ出る血がカーペットを赤黒く染めている。椅子に腰掛けているかつてこの部屋の主だった男の胸からは、身体の内側から引きずり出された心臓がズタズタに引き裂かれ、破れた水風船のように大量の血液を垂れ流している。

 そんな中で唯一の光源であるパソコンの液晶が放つ光が、この惨憺たる現場を作り出した男の顔を暗闇の中にぼうっと浮かび上がらせている。

「――よし、ブツは手に入った。ちょろい仕事だな」

 男はそう呟くと、金属製の指をパソコンの側面から引き抜く。

 指は引き抜かれた途端、接続端子の形から「一般的に人の指と高確率で認識される形」へと変形する。右腕を機械化したこのサイボーグは、自らの体内に盗み取った機密情報を保持し、このままクライアントの元へ届けに行こうというのだった。

 続いて男は右手を猛禽類の爪のような鋭い形へと変形させる。暗闇の中でもメタリックな輝きを放つそれは裏社会を震撼させている怪人〈シザーハンド〉のシンボルといってもよかった。その金属製の鉤爪によって男は窓を破壊し脱出経路を確保する。

 ……ところが。

 男が部屋の窓を割り飛び降りようと足を掛けたとき、

「あんたが噂のシザーハンドか」

 背後から声がした。

「――――」

 乾いて、枯れた声だった。

 振り返ると、部屋の入り口に細身な黒服の男が立っている。

 全身が、葬式から帰ってきたばかりのように黒ずくめだった。

 ネクタイも靴も中折れ帽も、だらしなく着崩しているロングコートも。このチバ・メトロポリスに住む全ての人間の影を煮詰めたように暗い色をしていて、それが夜の闇に溶け込んでいる中に青白い陰鬱そうな顔が怨霊のようにぼうっと不気味に浮かんでいる。

 年齢は三十代とも六十代ともとれる異様な雰囲気。頬は痩せこけていて鼻が削いだように細く高い。ウェーブがかった白髪が顔の左半分を隠しているが、大きな火傷の痕があることは分かる。ただ、片方だけ露わになっている瞳も帽子に隠されているせいでどんな色をしているのかまでは読み取れない。

 男は問いかける。

「そういうお前もここの警備じゃなさそうだな。なにもんだ?」

 黒服は愉快そうにニヤリと笑って、いや、嗤って、

「そいつをこれから知ることになる」

 サプライズを仕掛ける者が対象の驚く顔を思い浮かべては期待するように、男が自分の正体を知る瞬間が今から楽しみでならないと言いたげな顔をする。

「へぇ、そういうことなら楽しみにさせてもらおう」

 男は黒服の言葉を軽くあしらう。

 そして黒服に次の言葉を継ぐ隙も与えず、素早く左手で銃を構えて発砲する。

 黒服、頭を狙ったこの弾丸を首を傾けるだけで避ける。

「――――」

 圧倒的な場数によって培われた戦闘感覚によってなせるこの回避。

 が、それこそが男の狙いだった。

 弾丸を避けるためのその一瞬の硬直をつき男は黒服めがけて跳躍。瞬く間に懐へともぐりこむと、刃物のように鋭利な機械爪で黒服の胸を一突き。無機質にきらめく刃物の指が黒服の身体を容赦なく貫いた。

 これこそが〈心臓狩りのシザーハンド〉の手口だった。

 ここまでくれば、あとは椅子の上で冷たくなった男と同じ末路だ。心臓を引きずりだして数百キロある握力で握りつぶせば新しい死体ができあがる。

 しかし。

「こいつ――」

 顔色を青ざめさせたのは他ならぬ男の方だった。

「し、心臓がないっ――!?」

 その様子を見て、

「楽しんでもらえたかな」

 黒服は口元をニヒルに歪め、嗤っているのだ。

 気づいたときには手遅れだった。

 瞬時に状況を悟った男は迷わず逃走する決断を下した。

 ところが、黒服も逃がすまいと自分の胸を貫いたままの機械腕を掴む。

「く、――」 

 男は咄嗟に神経と機械腕との接続を解除する。腕のつけ根でガコッ、という音がして腕が外れ人体と機械義手の神経接続部が露わになる。右腕を黒服の身体に残したまま、男は先ほど逃走通路として確保した窓からそのまま飛び降りて脱出しようと試みたが――。

「が、はっ……」

 背中から胸にかけて、ズドン、という衝撃。

 男がつい下を見る。

「…………、っは……」

 骨も皮膚も突き破り、人工の心臓が胸から飛び出して目の前で脈打っている。

 人体に血液を送るための動脈や静脈や、機械腕に動力を送るためのコードやチューブがついたままの状態で。それは本来空気に触れるはずのない、したがって己の眼で直接目にすることのまずありえないはずの代物だった。

 その人工心臓を握っているのは、銀色に光る猛禽類の爪のような右手である。

 それは機械化した身体を武器として改装させているのではなくて、〈鬼〉の異能によって細胞の組成そのものを変化させているのだった。

 本物の(傍点)シザーハンドが侮蔑を込めて呟く。

「あんたの心臓はつくりもんだな」

「ま、待ってくれ。命だけはたすけ――」

 ガキャン、と砕ける音がして金属片や血液が飛び散った。

「…………」

 黒服が無感動に腕を引き抜くと、銀色の爪は瞬く間に人間の手の色と形に戻った。

 皮膚と肉と骨などからなる、ありふれた人体の一部に。

 それから、地面に転がった偽物の右腕を物色する。脳まで機械化されていれば、データベースの中から任意の情報を抽出するのは困難になる。専用の機材と技師が必要になるところだったが、幸い男は機械化された部位が心臓と右腕だったため圧倒的に手間が少なくて済む。黒服が上腕三等筋あたりのくぼみを押すと、接続端子が露わになった。そこにコートから取り出したメモリを取り出して差し込む。

「ありがたいね。おかげで探す手間が省けた」

 本当はデスクにあるパソコンをクラッキングすることまで想定していたのだが、ファイアウォールを突破して情報を抜き取るところまでは新しく増えた死体がやってくれたのだ。

 しかし、無線から返ってきたのは軍人らしい重厚さのある不満そうな女の声だった。

「ああ、まったくありがたい。せっかくそいつに全部なすりつけるチャンスだったのに、よくもまあ台無しにしてくれたものだ。相手はブツを置いて逃げ出したんだからそのまま泳がせてやればよかっただろう」

「他にもなにか掘り出し物があるかもしれないだろ」

 そう言ってメモリを引き抜くと、黒服が今度は男のポケットの中身を改め始める。

「知らなかったよ、お前がそんなに勤勉だったなんて。だが、ブツが手に入ったんなら及第点だ。至急帰投――」

「――――!!」

 突然、真っ暗だった室内を目も眩むほどの閃光で満たすサーチライト。

 とっさに黒服は左手を顔の前にかざす。

 続いて轟きだすけたたましいヘリの飛行音に無線の音声も掻き消される。

「……させては、もらえなさそうだな」

 かろうじて、呆れたような、黒服のハプニングを面白がっているような女の呟きだけがかすかに聞き取れた。

「随分と事を大きくしてくれたもんだ」

 掻き消されないように黒服は声を張り上げる。どうやらヘリは二機いるらしい。

「お前のせいだろう」

 無線の声は呆れてため息をつく。

「いいや、俺じゃない。シザーハンドの仕業だ」

「そうか。だったら今度そいつに会ったとき息の根をとめておいてくれ」

「あいつもそれを望んでるだろうさ」

 そんな話をしている間にも、ヘリの轟音は鳴り止まない。

 サーチライトのせいでロクに目を開けることさえかなわない。

 やがてヘリに備え付けられた機銃筒が回転を始め――。

 数千発を越える弾丸の雨が、黒服のいる部屋へと降り注いだ。



第一章 指揮者(ルビ コンダクター)


『続いて、昨日起きたヘリコプター墜落事件についての速報です。』

 ビル壁面の大型街頭ディスプレイに映しだされたキャスターが原稿を読み上げていく。

『先ほど行われました警察の記者会見によりますと、ヘリコプターの墜落およびその後の爆発による周囲への被害はなかったものの、乗組員が全員死亡。また墜落事故直前に付近のビルに不審な男が侵入する姿が目撃されたとのことですが、この男性を含めた計五人の遺体がビル内において発見されました。ヘリコプター内の乗組員を含めると死亡者は合計で十四人にものぼり、警察は反社会勢力同士の抗争があったとみて捜査を進めているとのことです。なお、連日の無差別爆破事件とは無関係と見られており――』

 それから画面が変わり、また別のニュースが報道される。

 大型街頭ディスプレイに照らされた交差点には自動運転の車が行き交い、その真上には酔っ払った蜘蛛が作った巣のようなデタラメさでモノレールの線路が架けられている。通りを行く人々は息詰まる時代の閉塞感からか過ぎ去った潮流の中に息のできる気安さを求め、退廃的で懐古趣味なファッションを身にまとい無意味に奇をてらう。壁のように人々を囲う高さを競い合う資本主義の象徴みたいな雑多なビル群が空が狭め、その壁面ではさきほどのディスプレイのほかにもネオンスタイルのLED広告がビカビカと光り、水商売の女のような下品さで薄暗い街を妖しく飾り立てる。

「………………」

 交差点から少し離れたところにある旧時代的な鉄道線路が走る橋の下。

 やさぐれた風体のホームレスが、それら二〇四三年のガラクタのような町並みを退屈な映画のように眺めていた。いや、あるいは虚空さえも見つめていないのかもしれない。光を失い濁りきった瞳はそれくらい虚ろだった。

「………………」

 傍らに『GIVE ME MONEY』と書かれた張り紙がしてあり、文字の下には投げ銭用のQRコードが印刷されている。だらしなく壁に背を預けたまま、ホームレスは文字通り死んだように動かない。ウエーブがかった白髪が顔を隠していおり痩せこけた鋭い顔立ちのその男には顔の右側に大きな火傷の痕があった。

 こういう人間も、数年前までは珍しくなかったのだ。〈大厄災〉以来、愛する家族や故郷を失い、その心の隙間を埋めようと薬物を使用し現実から目を背けるその種の人間も、誰もが見慣れるくらいにはありふれていた。

 

 ――〈大厄災〉。

 数十年前のことである。大西洋にある文明の時計がとまったようなある小さな島で、突然島民全員の病気やケガが全快するという超常現象が起こった。いまだ信仰心の篤い島民たちはこの超常現象を島に伝わる伝承になぞらえて〈災鬼喰らい〉と呼んだ。

 この噂は〈災鬼喰らい〉という言葉とともにネットを通じて世界中に伝わった。

 やがて各地からも科学では説明のつかない怪奇現象の報告が相次いだ。そしてついには、その災鬼喰らいの力を宿した怪人、あるいは災鬼喰らいによって産み落とされた怪物たちが世界中で混乱を引き起こす事態となった。

 それら、物理法則を覆し社会に混沌をもたらす怪物を日本では〈鬼〉と呼んだ。

 鬼は人間よりも強い力や超常的な異能を有していたため、現代的な兵器をもってしても太刀打ちできないことがあった。鬼の出現によって日本中が戦場となり、やがて荒れ果てた廃墟となっていった。東京など人口過密な場所ではすぐに交通網が麻痺し、渋滞のために多くの人間が逃げ遅れた。立ち並ぶビル群も、シンボルたる東京タワーも鬼との交戦のためにことごとく破壊され行政はその機能を失いつつあった。

 それでも臨時政府はなんとか千葉県まで撤退し、そこを防衛の拠点とした。ある程度戦線が膠着してくると次なる一手をいかに打つべきかの議論がなされたが、日本人らしいとでも言えばいいのか、致命的な問題が立ちはだかった。この極めて重大かつ責任の問われる局面においてリーダーシップを発揮できるまともな人材が内閣に存在しなかったのだ。早いときには数ヶ月ごとに首相が交代する有様だった。日本存亡の危機におけるこの体たらくに逃げ延びた国民も業を煮やし政府への不信感を強めていった。

 

 そんな中である研究者が自分にチャンスをくれと名乗りを上げた。

 その研究者は対話型人工知能の世界的権威であり、自分の開発・育成したプログラム〈アマテラス〉がこの難局を打開する解決策を授けてくれると言うのだった。無論平時であれば誰もこんな研究者の発言になどまともに取り合わなかっただろうが、幸か不幸か状況が状況なだけにどんな知恵でも喉から手が出るほど求められていた。

 ところが、この後誰もが予想できない展開を迎えた。

 〈アマテラス〉は類い稀なる名采配で次々に鬼の侵略を退けると、人命救助や資源確保をいともたやすく成し遂げていった。無論、たかが人工知能ごときの支持に従っていると知れば反感が起こるため〈アマテラス〉による内閣への助言は秘密裏に行われたが、その功績を足がかりにして次第に信頼を強固なものにしていった。

 次に〈アマテラス〉が着手したのが超巨大なドーム型メガストラクチャー〈ナカツクニ〉の建設だった。さすがに反対や疑問の声があがらないではなかったが、それに対する返答は『代案があるならばそれを検討する』というものだった。まもなく着工が宣言された。そしてここでもその辣腕はいかんなく発揮された。

 人手不足を解消するという名目でサイボーグ化を希望する国民には手術をほぼ無償で行うよう補助金をたんまり出し、医療・介護の分野で利用されていた筋電を脊髄から読み取り作業を補助するパワードスーツを応用して、念じるだけで遠隔操作することのできる「テレボディ」を〈アマテラス〉自ら設計、開発した。これにより障害者や高齢者も女性や子どもでさえも認知機能が認められさえすれば建設労働力として認められほぼ国民総出で〈ナカツクニ〉建設が行われた。他にも重機や人工知能でさえ、建設のために必要とされるものはなんでも〈アマテラス〉自ら生み出し、ただ一円の報酬も求めなかった。

 やがて千葉県ほぼ全域を覆う巨大な壁とドーム状の天井が完成し、人々は本物の星空をその目で見ることはできなくなったけれども、鬼からの侵略や地球の気温変動に左右されない快適な生活を手に入れた。

 

 臨時政府は〈ナカツクニ〉建設後、その名を復興政府と改称し、〈ナカツクニ〉内部を日本と呼称することを公式に宣言。そのほか、日本を十のエリアに分け、そのエリアごとにさらに十の区画を設定した。特に経済の発展したエリアはチバ・メトロポリス、行政の中心となるエリアはネオ・トウキョウと俗に呼ばれることとなった。〈アマテラス〉も特別国家顧問として表舞台に登場し、絶大な発言権を得た。一応建前としては人間が総理大臣を務めてはいるもののただの傀儡にすぎず、実態としては〈アマテラス〉が事実上の行政権を掌握し、しかもそれを拡大する動きを見せている。しかし何の報酬も求めないことや手柄の全てを内閣のものすることに快諾していることなどからこれは黙認されていた。

 事実〈アマテラス〉が開発したテレボディにより、肉体労働に代わる「操縦労働」という概念が誕生したことは高齢者や鬼との戦争によって負傷した身体障害者に働くことを通した生きがいや自尊心を取り戻させた。『日本に不要な国民など誰一人存在しない。我々はあなた方ひとりひとりの力を必要としている。今こそ国民の総力を決して日本復興を成し遂げる時』という首相の演説が広い層に受け、選挙において圧倒的な支持を獲得した。

 そうして次第に政治も経済も〈アマテラス〉を中心とするものへと代わっていった。 

 〈ナカツクニ〉建設のために新たに開発された様々な技術により、それまで人間が行っていたほとんどの事務や接客、製造などの仕事を人工知能が引き受けるようになった。これにより事実上経済の中心が人工知能に奪われたことには批判が多く集まったけれども、国民にも反対できない理由があった。

 というのも、人工知能にも労働力として超格安の賃金を支払なければならないとするように労働基準法を改訂した上で、〈アマテラス〉が開発した人工知能に支払われた給与についてはベーシックインカムとしてすべての国民に還元されるとする「国民保護法」を新たに制定したからだ。これにより企業は人間よりも安価に労働力を得ることができ、人間は働かずとも生活が保障されるうえに、労働の所得分が上乗せされるという極めて魅力的な提案だった。

 〈アマテラス〉の改革によって失業した人間も多くいたけれど、生み出した新たな職業も多かった。〈ナカツクニ〉内の気象を調整する天候技師や、欠陥や破損がないか点検する壁整備士などなど。そもそも、働かずとも最低限の生活は保障されているため、一時的に失業したところでそれが生活への打撃となることはほとんどなかった。

「……………」

 ゆえに、このようにホームレスとして道ばたで乞食をする者は例外的と言えた。

 ――それでも。

「あらあら、大丈夫?ちゃんとご飯食べてるの?」

「…………?」

 どこにでも奇特な人はいるもので、このホームレスの元にも慈悲深い人間がちょうど施しをしようとしているところだった。

 それは身なりのよく、人柄もいかにも良さそうな年配の淑女だった。この女性は機体化していないと見えて、ポーチからタブレット端末を取り出すと乞食のQRコードにかざした。

 電子音が鳴り、決済がすまされる。

「お前さん、身体には気をつけるんだよ」

 そういってホームレスの肩をぽんぽんと叩く。

「……」

 感謝を示すつもりなのか、あいまいに頷いてお辞儀のような仕草をする。それを見て女性はニコニコと柔らかく表情を和ませて去って行く。そうして例の交差点の雑踏の中へと溶け込んで消えていき、後にはさきほどと変わらないホームレスだけが残された。

「――――」

 いくらの施しを受けたのか確かめるべく、ホームレスがポケットから端末を取り出す。すると本来は金額を数字で表示するはずの画面に奇妙な文字列が並んでいた。 

 『e6bcabe596ab』

 それは組織(傍点)からの呼び出しであった。

「…………ふう」

 それを目にしたホームレスがいかにも気だるげに溜息をついて立ち上がる。背筋にうんと伸びを与えてやって長いこと動かしていなかった関節をボキボキとならした後、また猫背に戻って歩き始める。背中を曲げたその容貌からは言いがたく異様な不気味さが漂っている。もうかれこれ何百年も獄卒にむち打たれながら深い地の底で苦役に従事してきたとでもいうように、骨張った自分の身体を運ぶのですら大義であるといった感じに長い背を曲げて引きずるように歩く。

「……ああ」

 数歩だけ歩いてから何かを思い出したようにホームレスがポケットに手を伸ばす。それから注射器を取り出すと、ためらいなく首元に打ち込んだ。

「あ、あぁ――――ふぅ」

 快楽に身を震わせるように人工の空を仰ぐと、すっきりしたとでも言いたげに注射器を道端に投げ捨て、まるで別人のように背筋を伸ばしてスタスタと歩いて行った。

「――」

 ホームレスが去っって行った後、自動化された清掃ボットが捨てられた注射器をひろいあげる。けれども少し路地を入っていけばそこら中がゴミに溢れているため清掃ボットには休み暇はない。

「おい、ぼさっとしてんじゃねえぞ!」

 それだけでなく通行人からないがしろに扱われることも頻繁にあった。それは単に、人間よりも当たり散らしやすいからというだけの理由によるものがほとんどだった。

「――」

 転倒させられた掃除ボットが複数ある脚を使って起き上がろうとしていると、高度な画像認識ソフトを搭載したそのカメラに、大型街頭ディスプレイの広告が映った。

『今の自分とは別の人生を歩んでみたいと思ったことはありませんか?このゲームならそれが叶うんです。現実よりもスリルに満ちた刺激的な毎日を送ってみましょう。[アンリアリスティック・ワールド]Z.Games』

 

 ホームレスが足を運んだのは〈エリア4-秋葉区〉だった。

 ここはその名の通り旧台東区にある秋葉原を模した電気街である。電子機器やソフトウェアを扱う業者やホビーショップ、アニメショップだけでなく、現在では機体化の各種部品の闇市や、近頃流行している完全没入型VRゲーム機の違法改造を行う専門店も数多く立ち並んでいる。

 ホームレスは勝手知ったる場所といった様子で、複雑な路地を迷いなく折れ曲がってはより暗く狭い所へと入っていく。電子ドラッグの売人の横をすり抜け、複合ビルの階段をのぼっていき、そうして最終的に入店したのは[萌え萌えParadise]という店名とアニメ調のキャラクターのネオンサインがあしらわれた漫画喫茶だった。

「いらっしゃいま――」

「いつもどおりで頼む」

 店に入るなりホームレスが店員に言い放つ。

「かしこまりました。コミック席三時間パックですね、五百円になります」

 レジにある読み取り機に、さきほどコードを受信したタブレット端末をかざす。電子音が鳴り、決済が完了する。

「ごゆっくりどうぞー」

「…………」

 店員が言い終わらない内からレジを後にし、ドリンクサーバーにもこの時代には珍しい紙媒体の漫画本で埋め尽くされた本棚にも目を向けずホームレスは真っ先にシャワー室へと向かう。五つの扉が並ぶ中から「故障中につき立入禁止」とボードが吊されている扉の前に立つ。

 ホームレスがそのガサついた不衛生な手でドアノブを握ると、かすかな機械作動音がして間もなく扉の電子セキュリティが解錠された。一見なんの変哲もなく見えるこのドアノブには、実は指紋認証と、近赤外線透過による指静脈認証センサーが取り付けられていたのだ。

「……」

 後ろ手にドアを締めて、素早く目と耳でシャワー室内の様子を確認する。敵が潜伏している痕跡はない。ほとんど未使用なこの一室だけは他のシャワー室とは違いほとんど新築同様の清潔さを保っており、磨き上げられた真っ白な壁に囲まれた必要最低限の広さしかないこじんまりとした空間は無菌室を思わせるほど潔癖ですらあった。それだけ見れば、やや綺麗すぎるだけのありふれたシャワー室にすぎなかった。

 着替えを入れるための籠の中に、いかにも無骨な外見のジェラルミンケースが容易されてさえいなければ。

 ホームレスは先ほどのタブレット端末を無造作に籠の中に放り投げると、乱雑に衣服を脱ぎ散らかしてシャワーを浴び始める。

 手早くシャワーをすませぞんざいに身体を拭き、ジェラルミンケースを洗面台の縁に置いてから開ける。中に入っているのはクリーニングされたてのスーツ一式だった。ビニール袋を破りモーニング・カットのスラックスに脚を通すと違和感に気づいた。

「……」

 ホームレスの身長と比較していくらか丈が足りないのだ。フレンチカラーのドレスシャツとソリッドのダービー・タイ、スーツジャケットを取り出してみると、ケースの底からホログラム投影装置が顔を出した。

 それを床に設置し起動すると光の粒子で描かれた立体映像の中に等身大の日本人男性の姿が現れた。真面目そうに引き締まった顔立ちをしているが、どこか危うい目つきをしている。これが今回の標的なのか、それとも自分が化ける皮(傍点)なのか。

『こんにちは、レイ・マーロウ。気分はいかがですか』

 投影装置から機械音声が発せられる。

「――全身の細胞が炭酸水を浴びたみたいに爽快さ。挨拶はいいからとっとと身長を教えてくれ」

『一七二.四センチメートルです』

「靴のサイズは?」

『二十七.〇です』

「なるほどな」

 そういうとレイの身体は十数センチばかり縮み、身につけたスラックスがオーダーメイドで仕立てたようにしっくりと馴染んだ。

『体重は五十七.六キログラム、痩せ形であまり筋肉質ではありません』

「指紋や細胞のサンプルは?」

『もちろんご用意しております。身体の造形を終えてからご確認ください。では、プロフィールの説明に移らせていただきます。氏名は須藤周作――』

「不要だ。どうせヴァレンシュタインから説明があるだろ」

 レイは音声による説明を遮ってスーツを着用し終えると、まじまじとホログラムの顔を眺めてから洗面台の鏡を覗いた。そこに映ったレイの顔は、ホログラムの中の須藤周作と全く同一のものだった。それから籠の中からタブレット端末を拾い上げ、内蔵カメラで自分自身の顔を映す。

『一致率九十二.四%』

 ホログラム投影装置が判定結果を伝える。

「悪くない。次は骨格の照合を頼む」

 そういって体重を測定するかのように投影装置の上に乗る。立体映像としての須藤卓己とレイの異能による変化で化けた須藤周作が重なり合う。

『全体的にスタイルが良すぎます。具体的には――』

 その後、数分かけて骨格や指紋や細胞レベルでの細かなすりあわせが行われた。



三章 実体をもたない狂気(ルビ ヴァーチャルインサニティ)


 〈エリア4-秋葉区〉にある漫画喫茶[萌え萌えParadise]の上の階。

 磨りガラス越しに向かいの店のケバケバしいネオンが薄暗い部屋の床にに淡いピンクやグリーンといった色彩豊かな光を投げかけている。

 テナントが撤退した直後のような閑散とした殺風景な部屋の中央に、手術台のような無機質さで簡易ベッドが置いてあり、そこに黒いコートを着た白髪の男が腰掛けている。

 傍らの作業台の上にはには部品の一つ一つを吟味して組み上げられた最新型のコンピュータが載せられており、作業台の前にはサングラスをかけたスキンヘッドの黒人男性が座っている。

「――で。フォックス、解析結果はどうだった?」

 パソコンの画面を見つめながらエドワード・フォックスが答える。

「大当たりだね。連中がゲーム内で行われたのと同様の犯罪が現実でも起こる危険を把握していたのは間違いない。しかも世間じゃ連続爆破事件だけが取りざたされているが、この反社会行動リスとやらを見るに指揮者(コンダクター)はどんな種類の犯罪でも引き起こせる可能性がある」

 エドワードは、ホログラフ投影装置を起動すると、パソコンの画面を空間に投影して、それを指で示しながら伝える。

「窃盗、傷害、強姦に――殺人。反社会行動のデパートだ。もしかしたら偽シザーハンドも契約を結んだ産業スパイじゃなくて、操られていただけってことも考えられるな」

 そしてホログラフパネルを指で操作する。それから反社会行動リストを項目ごとにソートし、一番上に来た人物のプロフィールを拡大表示した。

「けど一番の目玉は、これを使えば次に爆破事件を起こすホシの目星がつけられるってことだ。そいつをゲーム内でも現実世界(こっち側)でも監視すりゃあ、未然に犯行を阻止できるだけじゃなく、うまくすりゃあ指揮者の手口も明らかにできる」

 レイはホログラフを眺めながら呟く。

「五十嵐治……日本人、職業は大学生、身長百七十センチ、体重は五十三キロ。こいつを張り込めばいいってわけだな」

(ここで五十嵐の外見描写)

 するとエドワードがなにやらごちゃごちゃと部品が組み込まれ、後頭部からケーブルの伸びるヘルメットのようなものを取り出す。

「そ。そこでお前さんにはこれをつけてもらう」

 レイは訝しげな顔でそれを受け取る。

「なんだ、これは」

「VRゲームをプレイするためのヘッドギア。今じゃ全国民の三人に二人は持ってるぜ」

「そういやあんたもゲームが好きだったな」

「そりゃそうさ。なにせ自分がゲームの世界に入って好き放題できるんだからな。オレの一番のおすすめは[サキュバス・ホテル]。これをプレイするには専門店に行かなきゃならないんだけど、そこに行けば文字通りどんな夢でも叶えてくれるんだぜ。理想通りの絶世の美女とお好みのシチュエーションで、あんなことからこんなこと……!」

 鼻の下を伸ばしながら、エドワードが興奮気味に顔をとろけさせる。

 そうして能面のような無表情でベッドに腰掛けるレイの肩をバシバシ叩いては、鬱陶しそうに振り払われる。

「なあなあお前もいっぺんやってみろって。ホント、ありゃ世界が変わるぜ。お薬使うよりもずっとずっと気持ちいいんだって。間違いねえ。オレが保障する」

 するとそれを聞いたレイが、ホログラフパネルに映し出された反社会行動リストをスクロールし始める。

「なるほど、ならまずはお前がこのゲームでどんなプレイをしているのか見せてもらおう。もちろん感想も教えてくれるんだよな」

 それを見たエドワードが慌てて元の画面に戻す。

「いやいやいや、それは無駄だぜ。オレはちゃんと偽造したアカウントでプレイしてるからな。本名も住所もバレっこない。……が、一応それくらいにしておいてくれ」

「――ふん。さっさと話を続けろ」

「あ、ああ、そうだな。で、レイにはそのヘッドギアで実際にゲームの世界に入って、この五十嵐治を監視してもらう。現実の方はオレが監視カメラをハッキングして動向を追えるし、五十嵐の住居内にも潜入してすでにカメラや盗聴器をしかけてあるからな」

「…………」

「市販されてるヘッドギアはもう少し洗練されたデザインなんだけど、そいつは逆探知やらを防ぐためにゴチャゴチャした見た目になってる。あんたは不死身だから何をされても死ぬ心配はないだろうが、プレイ中は脳みそをゲームと接続するわけだから、最悪記憶を盗み見られたりする可能性もある。それを防ぐために打てる手をすべて打ってあるってことな。ここまでで質問は?」

「ゲーム内での五十嵐の住所や出没する時間帯は?」

「住所については『案内人』をすでに待機させてある。時間帯にしても問題はない。やっこさんは大学から帰ると起きてる時間のほとんどを仮想世界の中で過ごしてる。まずいると見て間違いない」

「了解した。それじゃ早速プレイしよう」

 そういってヘッドギアを被りベッドに横たわるレイ。

「あー……一応言っておくけど、ゲームの中に入れってしまえばログアウトするまでオレ含めてこっち側とは一切連絡が取れなくなる。つまり、もしお前の正体が財前にばれれば、殺されたり記憶を盗み見られたりはないだろうけど、仮想世界に閉じ込められたまま一生ログアウトできなくなるかもしれない。もちろん、そうなったらそうなったですぐオレがどうにかするつもりではあるけど……まあ、説明だけ」

 患者に病気の説明をする医者から知識を残して自信だけ奪い取ったような様子で旅立つ前のレイへと言葉をかける。それに対して当の本人は、

「問題ない」

 一言答えたキリだった。

 そうしてヘッドギアの電源を入れると、まもなく意識の接続が身体から仮想世界へと切り替えられ、外部のあらゆる情報が遮断された。


 ――[アンリアリスティック・ワールド]

 Z.Game社から発売された完全没入型VRゲームのソフトで、現在業界で最も売れているもののひとつだ。

 そのコンセプトは『非現実的な日常』。ところが、その世界観は現実を極めて精巧に再現したもので、初めてプレイしたものは誰もがまず最初に自分がいる世界が仮想のものであることに必ず驚く。そんなリアリティある舞台で出生や容姿や学歴や収入、性別にすら縛られず、しかし自分の内面や記憶だけは保ったまま、まったくの別人として新しい人生を送ることができるのだ。

 プレイヤーは自分のアバターを初期設定において自由自在にカスタマイズし、さらに無料で得ることのゲーム内通過を消費することによってどんなファッションや料理でさえも楽しむことができる。

 そして最も魅力的なのが、この世界の中ではどんな選択も許されることだ。丸一日中魚釣りをしていてもいいし、性転換していつもとはひと味違うセックスを味ってみても刺激的かもしれない。現実では許されない犯罪をどんなに起こしても罰せられることはないし、たとえゲーム内で殺されたとしてもすぐに生き返ることもできる。ビルの屋上から飛び降りをして度胸比べをする、なんて遊び方さえ流行ったことがある。

 現実にはありえない、なんの制限も受けることのない「真の自由と平等」がここにはあり、まさしく無限の可能性を秘めた人生を送ることができる――。そんな風にも叫ばれていたのだ。

 実際にユーザーを招き入れての運用が始まるまでは。


『ようこそ[アンリアリスティック・ワールド]へ』

 真っ暗闇の中からそんな声が聞こえたかと思うと、突然目の前が色鮮やかな光の行き来する電脳の海の映像へと変わる。白を背景とした無限に奥行きの続く世界の中で、いくつものカラフルなラインが伸びたり、流れたりして幾何学模様を描いている。天地もなく、どこが上か下かも分からない。とてもポップで明るい空間だった。事前に聞いていたゲームの光景とは違うからおそらくロード画面なのだろう。

「――――」

 それにしても、ロード画面からして相当に手が込んでいる。それとも他のVRゲームもこれくらいの水準が当たり前なのだろうか。全身の感覚を使って仮想世界に造られた電脳の海を体験するというのは初めてだから、その新鮮さゆえに過敏に反応してしまうだけなのかもしれない。

 それからまた画面が暗転し、そうして再び世界に光が戻ったときには、今度こそきちんと重力も大地の感触も全身で感じていた。

「…………」

 目を覚ますと、まったく見覚えのない天井を見つめていた。

 これがどうやらこのゲーム内において自らに与えられたリスポーン地点らしい。新規登録をする際の面倒な手続きやチュートリアルを省くために、すでに用意してあったアカウントを使用してプレイしていることを考えるとおそらくこれでも目覚めとしてはマシな部類なのだろう。

「……」

 身体を起こして改めて驚かされる。

 シーツの感触も、手足の身体感覚も何から何まで現実そっくりだった。試しに手を握ったり開いたりしてみてもなんの違和感もない。思わずシーツを握ってみても現実との違いが全く分からない。

「よくできたもんだ」

 実はこれがゲームではなく、あのヘッドギアがただ人を気絶させるためだけの装置で、眠らされている間に見知らぬ場所へ運ばれただけなのだと説明されても納得ができる。

「――――」

 〈鬼〉としての変化の能力が奪われていなければ。

 さきほどから能力によって自分の身体を変化させようとしているが、いっこうに変わる気配がない。このゲームの開発者も〈鬼〉にプレイされることまでは想定していなかったとみえる。

「ふん、さすが[アンリアリスティック]というだけある」

 たったそれだけの事で、このほとんど完璧に現実を模倣、再現した空間を仮想世界だと理解した。精巧に容易された映画撮影のためのセットでもなく、眠っている間に運び込まれた場所でもない。本来は物質として現実には存在しない場所なのだ。

 そうと決まれば話は早い。

 レイはベッドから起き上がると、部屋の内装を確認する。どうやらよくある無機質で量産型の集合住宅の一室らしい。家具は実用に耐えうる程度の品質のものが、必要最低限な種類だけ置かれている。スパイか何かの隠れ家のようだ。内装もまるで飾り気というものがない。

「…………」

 部屋にひとつだけある窓から外を窺うと、二人の男が激しい殴り合いをしている。

 おまけに部屋の外のそこら中から銃声や悲鳴が聞こえてくる。

 が、外のことを気にしても仕方がないので部屋の探索を開始する。

 机の上に鏡が置かれているので覗き込んでみると、そこには見覚えのない顔をしている男がいた。その程度のことはレイにとっては日常の一部でしかないが、これはこの世界に入ってきた全てのプレイヤーが経験することなのだ。

 それでも元来が好奇心に乏しい性質なので、そういったことにとらわれることなく机の引き出しの中身を検めはじめる。まず出てきたのが一丁の拳銃。なんの面白みもない安上がりの量産品。カートリッジを取り出してみると、ちゃんと弾丸も用意されている。だが、能力が使えないこの世界ではないよりかはずっとマシだろう。他にもナイフ等の装備がないか探してみたがなにもない。『案内人』とやらに会ってから受け取る手はずになっているのかもしれないが、その案内人に連絡をするための端末らしきものも見当たらない。

「……」

 この世界で目覚めたときにスポーン地点で準備していなかった人間が、果たしてこのまま待っていてもやってくるものだろうか。

 考えあぐねて、視界に表示されているいくつかのウィンドウを開いてみたり、拡大したりしてフレンドリストのようなものがないか探してみるが、やはりこれといった発見はない。体力だとか魔力とかいった概念もないらしく、右下に所持金と左下にミニマップが表示されているくらいのもの。そしてそれらの表示もすべて消すことができる。『仮想世界でもうひとつの人生を』と宣伝する割には随分と味気ないデザインをしている。

「…………」

 このまま待っていても仕方がないので、レイは銃を構えてひとまずこの建物だけでも探索してみることにした。

 部屋を出ると、向かいの扉に503とナンバープレートがかかっている。ということはここは地上五階にあるらしい。振り返ると、さっきいた部屋のナンバーは501。手始めに隣の502,向かいの503,それからもうひとつの504号室のドアを開けてみようとしたがどれも鍵がかかっていた。

「――――?」

 一度建物の外に出て状況を確かめようとしたとき、階下から足音が聞こえた。

 その足音は着実に一段一段、こちらへと近づいてくる。

 レイはすかさずわきへ身を潜め、のぼってくる人間にとっての死角となる場所から来訪者を待ち構える。

「――!?」

 そして人影が見えた瞬間、背後から襲いかかりまたたくまに組み伏せる。

「動くな」

 そうして来訪者が事態を把握しきる前に後頭部に銃をつきつける。

 素早くボディチェックをすませるが、なにか不審物や武器になるものを持っているわけではない。強いて気になるものといえば、襲いかかった拍子に来訪者が落としたトランクくらいのものか。

 あれはなんだ、と聞こうとすると組み敷かれた男が笑う。

「ヒヒ……さすが、ずいぶんなご挨拶でさぁ」

 声も姿もこのゲーム内における仮のものなのだろう。見覚えも聞き覚えもなかったが、この来訪者とはどこかで会ったような覚えがある。

「……」

「あっしは狐に呼ばれたんですが、旦那はなにに誘われたんです?ピンクの象とか?」

 ヒヒヒ、といかにも下卑た笑い方をする。

 やはり、そのいかにも小悪党な話し方には心当たりがあった。

「……ビリー・カーターか」

 エドワード・フォックスのことも自分の薬物中毒も知っている人間といったらそれしかありえない。

「へえ、どうもご無沙汰しておりました」

 独特の危うい目つきと卑屈そうな顔が、必死にこちらを振り向こうと首をひねる。

「あんたがここの『案内人』というわけか」

 状況を把握したレイが解放すると、ビリーは立ち上がって汚れを払ってから。

「よろしくお願いしやす」

 と挨拶した。

「その中身は?」

 さきほど聞きそびれたトランクを銃で示しながら訊ねる。

「ちょっとした銃火器でさぁ。ここじゃおっ死んじまう心配はありゃしませんが、ホシを追いかけている最中に邪魔でも入っちゃ困るでしょう?そういうときのために用意しておいたんです」

「たしかにやたらと外が盛り上がってるみたいだな」

 受け取った武器を確認しながらそう呟くと、

「世紀末が楽園に思えるくらいのもんですぜ」

 刑務所内の古株が物を知らない新入りにムショの常識を教えるみたいな口ぶりでビリー・カーターが言うのだった。

「ホシはこっから十分とかからない所を拠点にしてます。それじゃ早速向かいましょう」


「外にあるガレージに車があるんでさぁ」

 そう言って階段を降りていくビリーの後ろをついていく。

 すると前を歩くビリーが可笑しそうに話し出す。

「それにしても、こんなに皮肉な話もありませんぜ、旦那。元々このゲームには、犯罪抑止効果があるという期待もされていたんだそうで。なんでも、普段抑圧している鬱憤が暴発する前に、適度にガス抜きする場を与えてやることによって現実でのリスクを減らすことが出来るとかなんとか」

「つまり、他のゲームに比べて犯罪率が高いのはむしろ喜ぶべき傾向だと?」

「おかげで現実の犯罪が減るんですからね、理論上は」

「が、フタを開けてみるとゲームで起こしたことを現実で起こすやつがいた」

「それすらもごく一部の例外で、統計によると全体としては有意な結果を出していると言う学者もいるって話でさあ。たとえば、一日の半数以上を仮想世界で過ごすゲーム依存症の犯罪率は最も低いんだそうです。現実にこだわらないし、恨みを抱くほど誰かと関わることがないんで、現実世界で犯罪を起こす動機がそもそも芽生えないんだとか」

 しかし、そんな話にも、

「興味が無いな」

 とレイは言い放つ。

 ビリーも機嫌を損ねた様子はない。

「ヒヒ、旦那のことですからそういうとおもってましたよ。……でもあっしは面白い話だと思いやすよ」

「そうか」

「どっかの映画にありそうな話じゃないですか?ストレスを発散させるため月に一度だけ、国民全員どんな犯罪でも許される日を設けることにした……それのゲーム版でさぁね」

「とするなら、犯罪行為に興味がある連中がここに集まるという訳か」

「もちろん、そういう見方もあるそうで。少なくとも、背徳的な興奮に飢えた連中が大勢いるのは間違いありません。それこそがこのゲームの最大の売りであり、他のゲームにないものですからね」

 そんな話をしていると、とうとう玄関まで辿り着く。

 依然として銃声と悲鳴はなりやまず、おそらくすぐ近くでも殺し合いが行われているのだろう。それでもそういったことに何の恐怖も抵抗もない不死の怪人はためらいなくドアノブに手をかけ、扉を開ける。

「――――」

 そこには、常人であれば発狂をまぬがれないほどの惨憺たる光景が広がっていた。

 道端のそこら中で人と人とが理由もなく殺し合っている。ルワンダの虐殺やヨーロッパの魔女狩りを思い起こさせるような悪夢の再現だった。人々は台所にある包丁、安酒のワインボトル、バットですら構わずに武器になりそうなものを手にとって殺せるだけの人間を殺そうとお互いの手と顔を血で汚し合っている。

 あるものは銃殺、あるものは絞殺、あるものは撲殺、とにかく人間のあらゆる罪業、欲とエゴと憎悪と言った醜い側面だけを絞り出して煮詰めたような光景だった。

 そのうえこの異常な光景に、さらに狂気を加えているものがある。

 なんと道を行くすべての通行人がそれら受け入れがたい暴動がまったく目に入っていないかのように無関心に通り過ぎていくのだ。

 恐らく、殺し合いをしているのがプレイヤーで、無関心なのがNPCなのだろう。ただ、そうは分かっていても到底納得のできるような代物ではない。腹の底から吐き気のするほど身の毛もよだつおぞましさは、一度見た物をそれがどんな方法であれ虜にする。悪夢となって夜を蝕むか、あるいは愉悦となってその者の心を掴むのか。

 少し奥のほうでは女が何者かによって車の中に引きずり込まれようとしているところだった。あわやまさに引きずり込まれる、という間一髪のところで姿が消えた。ログアウトをしたのだろう。直後に男が苛立たしげに車から出てきて、また新しい獲物を探す。

「…………」

 レイはそれを無感動に、無表情に眺めていた。いや、心の中では見下してすらいた。

 その表情はひどくうんざりしていて、興味のない通販番組を延々見せられているような退屈さだった。いい加減嫌気がさしたのかその場を去ろうとした、そのとき――。

「死ねええぁあ!」

 突然、背後からの強襲。

 レイは振り向かずにそれをかわす。そして刃物を持ったまま虚しく空振った男の腕と襟とを掴んで近くの壁に力強く叩きつける。一度、二度、三度。その度に肉と骨とがコンクリートにぶつけられる腹に響くような音がして男の頭からは血が飛び散る。四度目でとうとう男がナイフを落とし、ふらふらと頭を抑えていると、それを拾ったレイが躊躇うことなく男の喉元を掻き切った。

「…………」

 噴水のように血が溢れ出す。街中で行えば当然耳をつんざくほどの悲鳴が鳴り響くべき凶行に、しかしこの場の誰も関心を示しすらしない。憎しみと殺意に目を曇らされたか、あるいは最初からそれらに反応するためのプログラムを設定されていないのか。どちらにせよ、ここにまっとうな人間など一人もいないのだ。

 息絶えた男の上には残り六十秒と表示された円形のウインドウが現れて、それが徐々に減っていく。おそらく仕留めたプレイヤーから物資を漁るのには時間制限があり、一定時間が立つと拠点にリスポーンするのだろう。

「あんたの説明に従うんなら、これがこのゲームの醍醐味ってわけだ」

 血のついたナイフをぞんざいに投げ捨てて、どうでもよさそうに言い放つ。

「俺は全然楽しくないがな」

 それから、

「第一、能力が使えない時点で不便だ」

 そういうとビリーは、身体の筋肉が引きつって笑顔以外の表情をつくれないかのようにまた笑って

「そりゃあ毎日毎日、能力を使って人を殺しまくる生活してりゃ何しても物足りなくもなりますよ。旦那くらいですぜ、ゲームの中で現実より不便な思いする人なんざ」

 それからビリーはガレージの扉を開けて奥に引っ込む。

 すると数名がそこへ押し入ろうとしていたので、今度は受け取った銃を使ってその者らの頭を撃ち抜く。五〇口径の弾丸を食らった頭は、浜辺の余興で砕かれるスイカのようにいとも容易く砕け散った。その銃弾というよりかは小さな砲弾と表現すべき威力と鼓膜が痺れるほどの銃声に周囲の注意がいくらかこちらに向く。

「まるでゾンビ映画だ」

 右手を武器に変化させることができないため、もう一丁銃を構えて押し寄せる敵に応戦を開始する。左手が残り四発。右手が残り五発。いくらか派手に蹴散らせば、怯んで何人かは去って行くだろう。

 銃を所持しているもの、自分への距離が近いものから優先的に排除していく。

 あっという間に九発の弾丸はつき、手動で排莢し、また手動で装填する。その瞬間こそ好機と迫ってくるナタや包丁を、慣れた動きでのらりくらりと交わしながら素早く一丁分、五発だけの装填を終える。そしてまた反撃に打って出ると、今度はいくらか相手の攻撃の手が緩んだ。

「そんなに死体を積まれちゃ、車が出られませんぜ」

 ガレージの中からビリーが言う。

「轢き殺せばいいだろう」

 レイがそう答えて車に乗り込むと、

「ヒヒ、死人をどうやって殺せって言うんでさぁ」

 そういって勢いよく発車する。

 通常の自動運転ではこんな粗暴極まる運転などできようはずもないので、今回はビリーがハンドルを握っている。外見からして少なくとも防弾仕様であることは分かるが、もしかしたらエンジンもいくらかいじっているのかもしれない。

「少しふわっとしますぜ」

「――!」

 ビリーがそう言って何かのレバーを下げると突然轟音をたてて車が宙に浮き始めた。

「これは……空陸両用車か」

「現実じゃまだ一般普及しちゃいませんが、ここじゃ乗りたい放題でさぁ」

 ゲームの中の世界はいつでも現実の数歩先にある未来を歩んでいる。

「よくこんなものまで調達できたな」

「お頭が必要経費ってんで奮発してくれやした」

「相変わらず金遣いの荒いやつだ」

 レイはバックミラーを見て追跡を警戒すると、一台だけ追いかけてくる車がある。

 乗っているのは一人、車を自動運転にして追尾させたまま、銃でこちらに攻撃をしかけてくる。ただ、被弾していても大した損傷はないらしく、車がパンクしたところで空を走行できるので問題はないもののいくらか鬱陶しくはある。

 弾薬を二丁分装填してから窓を開けて身を乗り出すと、

「死ねば最初の地点に送り帰されます。あっしはあんな状況の中で迎えにいくのは御免被りたいんで、そのときは旦那ご自身で脱出してくださいよ」

 運転席が楽しそうにしている。

「送り帰されるのはやつらの方だ」

 そう言うとレイはタイヤではなく、運転席に座る追跡者自身でもなく――。

「――――」

 ボンネットに向けて引き金を引いた。着弾してすぐ黒い煙があがり、事態を察知した運転手が車を急停止させ降りようとしたが。

「……」

 間に合うことはなく、逃げ出す直前に爆発した。

「これで俺も爆破事件のリスト入り――」

 突然言葉を切ったレイにビリーが訊ねる。

「ん?どうしたんですか、旦那」

「いや……なんでもない」

 けれどレイの瞳は大きな気がかりが湧き上がったことを物語っていた。


 群がるゾンビのような暴徒を振り切ったことを確認してからレイが窓を閉める。

「ビリーがいるなら、俺がわざわざ足を運ぶ必要もなかったな」

「まあそう言わずに。この景色を観光気分で楽しんでみてもいいんじゃないですか」

 運転席の不審な男は低く押し殺すような笑いをもらす。

 当然、車窓には道行く人々が醜く争い合う姿が映る。

「ずいぶんとハイソな趣味だ」

 だがしかし、ある意味においてこの非現実世界は現実よりも忠実に分かりやすい形で「人間の本質」を現しているとも言えた。

 狭いドームの中に閉じこもり、〈鬼〉という脅威も忘れ、人工知能〈アマテラス〉の実権掌握にも気づかないふりをする。この世界の本当の危険を薄々は察していながらも決してそれに立ち向かおうとはせずに現実から目をそらし続ける。

 表面上は平和的に見える町並みにも目をこらせば閉塞感と危うさが隠されている。 

 脆い平穏は一度裏返してしまえば、いとも容易く、あっという間にすべてが崩壊する。このゲームの中で殺人が日常となっていることが最も端的にそれを表しているだろう。現実でも、路地を一本曲がるだけでヤクの売人がいるし、昼間は愛想を振りまく女が夜になれば金をもらって見知らぬ男とベッドの上にいる。礼儀正しく真面目そうなサラリーマンも裏社会の構成員だったり、違法に改造したゲームを売りさばいては小銭を稼いだりしていることに誰も疑問を抱かない。

 まるであの殺戮に無関心なNPCたちののようだ。

 システムに操られ、命じられるままに動く。見かけこそ人の形をして動いてはいるが、その脳みその中にはなにも人間らしいものなど入ってはいない。ただ腐った膿が詰まっているに過ぎないのだ。どぶ川が溢れ出すみたいに、見えない腐敗が街全体を覆い尽くす。いつしかこの仮想と現実の垣根もまったくなくなり、ここで行われていることがそのまま現実でも起こるようになるだろう。

 この事件の本質は、それをごくほんのわずか加速させたにすぎない。

 本当は連続爆破事件など、別にとるに足りるほどの大事ではないのだ。

 全体で起こりつつある事に比べれば。

「………………」

 まるでここは鏡の中の世界のようだ。

 先ほど見つけた万民の万民による闘争こそが人々の無意識に巣くう本性であり、それらに対し無関心に通り過ぎるあの通行人NPCこそが現実での人々のありふれた姿なのだ。

 このゲームの中には国家も法律も存在しない。

 宗教に根ざす倫理観も、共同体に共通する行動規範もなく単純にプレイヤーのマナーが問われる場所なのだ。ゆえに、ここは人間の本性を映し出す鏡となりうる。抑圧された自我が開放される場所となる。

 理想化された自己イメージが溢れ、日常のなかで押し殺されてきた無意識の欲望が剥き出しになって曝される。現実とよく似た町並みの中で、現実では起こりえないことが起こっているわけではないのだ。現実でも起きていることが、ただ現実よりも露骨で分かりやすい、建前を取っ払った形で「再現」されているにすぎない。

「…………」

 車は進み、やがて人通りが少なくなる。

 視界から人間が消えて雑然とした町並みだけが迫ってくる。

 狭いドーム内をいっそう狭くする超高層ビル。

 肥大化した欲望のような巨大な壁面広告。

 品のないビカビカとした光を撒き散らす視覚的にうるさいネオンサイン。

 急ごしらえで作り上げた閉塞的なメガストラクチャーを行儀良く見せようとするいくつかの試みが透けて見える近未来的な町並み。

 ドームに遮られているので空は見えず、明かりも人工的なものだ。空の色はメンタルヘルスを考慮して時間によって変更されるけれども本物ではない。といって、本物の空の色を覚えている人間がどれだけいるのだろう。それを見たいと望む人間がどれだけいるのだろう、仮想世界での娯楽におぼれたこの都市の人間の中に。

 そうして、その偽物の空を見上げながら、レイが言う。

「この空の上から財前のやつが下界を見下ろしている。箱庭を覗く創造神にでもなったみたいにな。やつらの狙いや動機になんざ興味はないが、なんにせよやつを引きずりおろす材料を見つけるのが今回の仕事だ」

 すると危機は去ったと判断したビリーが車を自動運転に切り替えてから、レイにタブレットを渡した。その画面にはどこかの集合住宅の出入り口が映し出されている。

「それがターゲットの拠点でさぁ。この世界じゃリスポーン地点、つまりプレイヤーが拠点に指定した区域は爆破などによる破壊はもちろん侵入さえもできやしません。そういうわけで、当然カメラも仕掛けられない次第なんででこうやって外から定点観察してるんでさぁ」

「ここ数日の行動は?」

「毎日似たようなルーティンです。大学が終わるなり即ログインしてはデイリーミッションをこなしてはゲーム内通過を稼ぐ。最も効率のいい方法でそれを延々繰り替えしては、残りの時間はああして部屋の中にこもりっぱなし。気を違えてるとしか思えませんね」

 レイは変わりばえしない定点カメラの映像を見るともなしに見ながら、

「爆破事件の準備か?」

「でしょうねえ。もうすでにここで三度もやらかしてます。駅で二回、ショッピングモールで一回。そうして次が四度目です」

「その周期は?」

「だんだん短くなってきてます。ゲーム内通過の稼ぎ方や爆弾の製造の仕方も板についてきたんでしょう」

 その言葉には引っかかるものがあった。

「造る?爆弾をか」

 その言葉を待っていましたと言わんばかりにビリーがにやりと笑う。

「ヒヒヒ……そうなんです、そこがここに来た人間が一番驚くことなんでさぁ。ここじゃ本当に何から何まで現実が成功に再現されていやがるんです。たとえば――」

 そういってビリーが一丁の銃を取り出す。

 そして突然それを分解しはじめる。

「この銃だってたったひとつのオブジェクトじゃないんです。こんな風に一つ一つの部品までアイテム化されていて、爆弾を造るにしても他人から出来合のものを買い取るだけじゃなくって、部品を購入して自分の手で作り上げることもできるってわけでさぁ。それほどまでに自由度の高いゲームはこの業界でも類を見やしませんよ」

 そうしてまた銃を組み立て始め、あっというまに組み直し終える。

「言ったでしょう?現実を模しているって。素人が買ったら足がつきますぜ。だから材料や工具を集めて自分で一から作るんです」

「なるほど。実践でも役立つシュミレーションってわけか」

「平たく言やぁ、そうです。この世界そのものが犯罪予行練習場みたいなもんなんです」

「便利な世の中になったもんだ」

 それからもつまらなさそうな表情でモニターを眺めていたレイの表情に、突然変化が起こった。モニターをカメラ映像から地図表示に切り替えながら、

「おい、やつが動き出したぞ。追跡装置は?」

「もちろん、車に発信機を取り付けてありまさぁ」

 それを聞いたレイがモニターを操作して、地図上に五十嵐の現在地を表示する。さらに小型のホログラム投影装置を起動してビリーにも見えるようにする。

「こりゃあどこに向かってるんで?」

「おそらく駅だ。言ってたよな、四回の爆破のうち三回は駅だと。この先には[エリア4ー和泉区]で最も人が集まる和泉駅がある。しかも東口と南口には駅と直結したデパートまである」

 和泉駅には鉄道、モノレール、新幹線、地下鉄に加えて都市高速道路の乗り換え口まである交通の要であると同時に、豊富なショッピングモールやデパートが軒を揃える繁華街でもある。五十嵐はおそらくここを標的とした予行練習を行うつもりなのだろう。

「合点、先回りしちまいましょう」

 ビリーは再び手動運転に切り替えて、激しくハンドルを切り空中で急カーブする。

 道路を無視して最短距離で駅へと車を飛ばし、近づいてきたあたりで目立ちすぎることを避けて道路へと着陸する。

 そのまま五十嵐よりも先に到着すると駅の真ん前に車を停める。

 レイは銃をジャケットの内側に隠すと、車から出て振り返らずに告げる。

「あんたはここで見張ってろ。俺は中で待ち伏せる」

 タブレット端末を取り出して五十嵐も駅に到着したのと同時に、視界の左下に表示されているゲーム内チャット欄にビリーからのメッセージが届く。

『ターゲット到着』

 レイもウィンドウを開き、頭の中で入力する言葉を念じ返信する。

『了解』

 すると、まもなく先ほどモニターしたのと同じ恰好の五十嵐が現れた。服装から背負っているリュックサックまで定点カメラに映っていたもので間違いない。

『ターゲット視認。尾行開始する』

 五十嵐は人混みが苦手らしく不器用に周囲にぶつかっては舌打ちされながらも、進路だけは迷いなく地下鉄へと向かっている。その様子からは事前に入念な計画が練られていることを感じさせた。

 レイも追いかけて地下鉄のプラットフォームに降りると、ちょうど対象は一両目へ乗り込むところだった。そのまま同じように乗り込もうとしたが、車内から吐き出される人込みが多すぎて阻まれてしまう。

「ちっ……!」

 車内に入ることを諦めてプラットフォームから窓を覗き対象を探す。一両目にはいない、二両目にもいない。クソ、見逃したか?そう思いながら三両目の車両へと辿り着くと、出荷される家畜みたくぎゅうぎゅうに詰まった人と人とのひしめく中に押しつぶされながら居心地悪そうにしている五十嵐を見つけた。

『対象発見。如月本線のぼり。』

 すかさずビリーに報告する。

『了解。移動開始する』

 レイは視界の邪魔となるチャット欄のウィンドウを消して、強引に人混みをかき分けて三両目に乗り込んでいく。

 今こうしている間にも、なんらかの方法で誰かが五十嵐に現実でも爆破事件を起こすように干渉している可能性があるのだ。一刻も早く対象に接近し監視する必要がある。もちろん、ゲームの中では〈鬼〉の異能を行使することは不可能であるため限りなく不可能に近いとは思う。ただ、現実にも〈鬼〉という物理法則破りが存在するように、このゲームにもシステムの隙間を縫ったなんらかのチートのようなものがあるのかもしれない。

 だからこそ、もし存在するのだとしたら、それがどのような方法によるもので、どのように作用するのか確かめなければならなかった。

「…………」

 レイはそうして、五十嵐の真後ろにまでこぎつけた。

 今まさに目の前にある肩掛けリュック、五十嵐が背負っているそのリュックの中に爆発物が隠されているのだろう。そして数分と経たずにここは爆破され数十人か悪ければ数十人のプレイヤーがリスポーン地点送りになる。起爆方法は分からないが、時限式かタブレットなどによる遠隔操作かのどちらかである可能性が高い。

「……」

 そんなことを考えていると電車が動き出す。次第に加速していく。

 けれど不審な人物が五十嵐に近寄る気配はない。

 それとも視界から外れたあの数秒の間に仕事を終えたのか。

 ――いや、違う。

 レイにはすでに、おおよそのトリックの見当はついていた。

 ただ、それを証明するだけの材料がない。

 元より証明不可能なトリックなのだ。虚数解とでもいえばいいのか。 

 そんなことを考えている間も電車は進み、五十嵐は一向に動かない。

 そうして何事もなく電車が次の駅につく。

『到着』

 ビリーもこの駅に追いついたらしい。

 するとここでようやく五十嵐に動きがあった。出入りする人混みにぶつかりながら自然な動作でリュックを置き去りにしていく。レイはそれを拾い上げると周囲の人間に舌打ちされるのも構わずに通路の真ん中で中身を検めた。

「……ほう」

 予想通り、リュックの中には爆弾が入っていた。それがどういった仕組みなのかは分からないが、分かる必要もない。この手の仕事はセバスティアン・テルフォードの専門領域なのだから。レイはスクリーンショットを数枚撮影すると、飲み終えたペットボトルを捨てるみたいにそのままリュックをその場に置いて五十嵐の追跡に向かう。

『対象降車』

 爆弾を目撃した車内の人間がやたらと騒いだり悲鳴をあげながら我先にと逃げ惑うことよりも、これが五十嵐の耳に届いて爆破を中断されないかということの方がレイにとっては気がかりだった。できるだけこのゲーム内での犯行を済ませてもらって現実で実行してもらわなければ現場を押さえて逮捕することができない。

 もちろん爆発物を所持している段階で捕まえることもできはするが、もし仮になんらかの干渉ないし誘導が行われているのだとするならば犯行の直前に捕まえた方が、その効果のほどや痕跡を明らかにしやすい。

 地上にでると、ちょうど駅の改札を出て行くところだった。

『発見。南口改札』

 改札を後にしてまるで友だちと待ち合わせでもしているみたいにタブレット端末を取り出し、操作すると――。

「――――!」

 直後、足下が抜けるかと錯覚するほどの爆発音とともに駅そのものがずしんと揺れた。悲鳴が飛び交い、ログアウトによって周囲で次々に人が消えていく。また、あまりの爆発のリアルさに戸惑ってこれがゲームだということを忘れたのか、もはや手のつけようのない切羽詰まった形相で出口へと詰めかける集団もある。

 そんな中、NPCたちは次々に突き飛ばされながらも、やはり鳥肌の立つくらい不気味なまでに超然としている。それが人の形をしているだけにいっそう恐ろしかった。なにか人としての情緒とか精神の領域に重大な欠落のある得体の知れなさとでも言えばいいのか。爬虫類を見たときに感じるときの本能的な恐怖に近いかも知れない。

 それはおよそ人間らしい血の通ったいかなるものもを対象から読み取ることができないゆえに、どう転んでも理解し合ったり助け合うことの不可能であることを直観したときの嫌悪感と恐怖心が入り交じったものなのであろう。

 そうして、それら吐き出される人波に紛れて五十嵐治の姿もまた消えてしまった。

 すると、ビリーからメッセージが届く。

『駅に乗り捨てられた車にて待機する』

 レイは見失った落胆からため息をつきながら返信する。

『了解』


 その後、二人はレイの拠点で合流した。

 五十嵐はNPCの営業するタクシーに乗ってひとつ前の駅に戻ってきた。その後自分で車を運転して真っ直ぐ自身の拠点へ戻ったきり、なんの動きも見られなかった。

 ビリーはそれでもモニターを眺めながら、

「結局使用される爆弾と起爆方法は分かりましたが、どうやって操っているかまでは辿り着けませんでしたねえ」

 という。しかしレイは、

「そうでもないさ」

「何か心当たりがおありで?」

「まあな」

 問題はその証拠をどうやって突きつけるかなのだけれど。

「俺はこれから現実のあいつの行動を追う。ビリーは?」

「あっしはもうしばらく。せっかく経費で贅沢できる機会ですからね。だらだらあそんでまさあ」

「そうか」

 もはやこれ以上ここに留まる理由もなくなったので、ログアウトしようとウィンドウを開いたが、ふと思い立って聞いてみる。 

「ビリー、お前にもときどきときどきあるのか」

 ビリーがモニターから顔を上げてレイを見つめる。

「――どうしても人が殺したくなるときが」

 するとビリーはやはりヒヒ、と押し殺したような笑いをもらして、 

「ヒヒヒ……どうでしょうかねぇ」 

 と呟いたきりだった。

「…………」

 レイがまだ何か聞こうと振り返ると、しかしそこにはもう誰の姿もなかった。



第五章 蜂の巣の暴動(ブリーチングザドア)


 [萌え萌えparadise]も入っている雑居ビルの一階。

 そこにある旧時代の、埃を被ったゲームセンター。

 電源をいれれば動きそうなものも見受けられるが、ほとんどは廃墟の中に置き去りにされた遺物のような有様だった。そのレースゲームの座席やら、メダルで遊ぶパチンコの椅子やら、簡易的なホッケー台の上やらに公社の面々が思い思いに座っていた。

 そこへ入り口から黒いコートに黒い帽子を被った男、レイ・マーロウがやってきて集まった面子を見るなり早速口を開いた。

「それじゃフィリー、改めて五十嵐に憑依したときのことを説明してくれ」

 右手にエリマキトカゲのぬいぐるみを抱えてUFOキャッチャーの筐体を興味深そうに覗いていたフィリー・クインシーが、呼びかけに振り返って答える。

「一言で言えば、どこに出しても恥ずかしくない立派な社会不適合者ね。

 両親の自己愛の犠牲者で、生まれながらにエリートになる以外の選択肢を与えられていなかった。子どもを自己満足の道具としてしか捉えない親と、生徒に権力で逆転されて怯えながら授業をする先生の元で育ったから、人と関わることに困難を抱えてきたみたい」

 するとホッケー台の上に腰掛けているエドワード・フォックスが、

「でも今じゃお喋りしてくれる会話型人工知能だってたくさんあるだろ」

 フィリーは仕方なさそうに肩をすくめる。

「あたしに言われても。――そりゃ、あなたにはゲームの中にだってお友達がいるのかもしれないけど。

 とにかく、そのせいで新興宗教にはまるような連中と同じ精神状態だったわけ。でも、なまじっか頭が変な方向に冴えるものだからそんな場所にすら居場所を見いだすことができなかったの。そんなときに鬱屈した自分の感情を発散できる暇つぶしを見つけた」

「――爆弾による殺人」

 レイの相槌に、ジェーンも加わる。

「はっ、負け犬が思いつきそうなおつむ(傍点)の足りない考え」

「そうね。自分にすら価値がないと思ってるんだもの、当然他人に価値があるだなんて思うわけない。で、最初はただゲームの中でだけの楽しみだったんだけど遊んでいるウチにだんだん物足りなくなってきて――それこそゲームのNPCを殺すような感覚で――少しでも刺激を得ようと……現実世界でも、バン!」

 フィリーが両手を開きながらぬいぐるみを宙に放り投げる。重力に従って落下してきたそれをキャッチして抱きしめなおしてから、最後に、

「趣味が高じてめでたく実行犯ってわけ」

 ところがこの話に納得しないものがいた。エドワードが質問を飛ばす。

「おい、ちょっと待ったフィリー、それってどういうことだよ」

「さっき話した通りよ」

「じゃあ指揮者(傍点コンダクター)とかいう黒幕は?」

「あたしが知るわけないじゃない、それを調べるのがあなたたちの仕事でしょ?」

「そりゃまあ、そうだけどよ……」

「少なくともあたしの力じゃ辿り着けなかった。他の実行犯の頭の中も覗いてみたけど、みんな五十嵐と似たようなものだった。そりゃ記憶にはいくらか欠落があるけど、それが自然に忘れ去られたものなのか、人為的に消去されたのかまではあたしには分からない。

 ――でも、少なくとも明らかな干渉を受けた形跡はゼロだし、ある日突然振る舞いや行動原理がかわったなんてことはなかったわ」

 淡々と告げる冷静なフィリーの態度に、エドワードが顔の前に持ってきた両手を前後に動かしながらグチをこぼす。

「なんてこった、これだけ調べて結局振り出しに戻ったってのかよ」

「ま、そういうことじゃない?でもどうしてか分からないけど、お姉ちゃんはあなたたちののこと買ってるみたいだし。せいぜい期待を裏切らないことね」

 話しは終わったとでも言いたげに、金髪の少女はまたぬいぐるみへと視線を戻す。

「無茶だ。実行犯全員の記憶を洗い出してもなにも出なかったんだぜ?

 完全にお手上げだよ、もう何も調べればいいかすら分からない」

 チームの中でも最も感情表現の豊かなエドワードが首を振りながら悲嘆にくれていると、その態度に対しジェーン・クラウスから苛立たしげな声が飛んでくる。

「あーはいはい。いいからその臭い口を閉じな」

 レーシングゲームの筐体にふんぞり返りながら、美しく長い指でエドワードを指さす。

 するとレイが、

「そうでもないさ」

 その一言で、みんなが振り返る。

「あん?」

「ヒヒ、そう言やあ旦那はゲームの中でも何か感づいたって言ってましたねえ」

 地べたに座り、壁に背中を預けていたビリー・カーターが初めて声を発する。

「そうだ。何も分からないということが分かったんだ」

「あー……それもしかして冗談?だったらさっさと本題に入った方がいい。でないとそのドブの詰まった腹を割いてその中から引きずりだしたハラワタであんたを絞め殺す」

 ジェーンの脅迫まがいの言葉も涼しい顔で受け流す。

「足のつきようのないトリックを使ったってことだ」

 一番まともに反応を返したのがフィリーだった。

「完全犯罪……って言いたいの?」

 レイは腕を組んで頷く。

「ああ。だからどのみち状況証拠しか集められない。どれだけ調べても決定打には欠けるってことだ。だがまあ、それだけでも一応固められるだけ固めておいが方がいいだろう」

 そう言うとコートの内側から取り出した注射器を首に打ち込む。

「ふぅ……は、あぁ……」

 それからすっきりした顔になり一人一人を指さして、

「フォックスは財前秀雄が開いてる全ての口座の履歴を調べてくれ。裏金や税金対策も全てだ。クラウスは戦闘準備を。テルフォードはヴァレンシュタインに連絡を頼む。これからお出かけをするってな。フィリーとビリーは待機。事態が変わったときに備えておいてくれ」

 そうしてゲームセンターの外で出て行こうとする後ろ姿へフィリーが尋ねる。

「レイは?」

 男は振り返らずに

「ショッピングだ」


 そこは骨董通りにある、看板のない階段を降りた先にあるバーだった。

 扉を開けてまず目に飛び込んでくるのは、緑色の光を放つ三六〇度のアイランドカウンター。しっとりとした音楽が鳴り響くラグジュアリーな非日常空間。

 ここではいわゆる「ファッションの最先端」をいく不埒な若者達がグラス片手に音楽に合わせて踊ったり、薄暗い店内で初対面の人間が囁き合ったりしている。そしてほとんどの人間がなんの機能性も合理性も見いだせない、言い換えると、前衛的かつ近未来的な恰好に身を包んでいる。

 その人混みを素通りして奥に進むと、両脇をガードマンに守られた青い扉がある。

「――――」

 ガードマンにアイコンタクトで挨拶を交わすと無言で扉が開かれて、またも地下へ続く階段が現れる。それを降りるとまたも扉が待っており、それを開いた先で待っているのは先ほどとはひと味違った雰囲気の、しかし、やはりバーだった。

 証明は夕陽を思わせる落ち着きのあるブラウン。

 ひとつひとつの家具にもこだわった洗練された内装も見事だか、一際目を引くのはやはり色鮮やかなステンドグラスのカウンターバックだろう。しかもその下には、希少なモルトのボトルたちが一面に並んでいる。

 客はただ一人だけ。カウンター席に腰掛けている女だ。

 その、カウンター席の先客がこちらを振り向いて挨拶をする。

「ハロー、何十年ぶりかしら」

 偉大な芸術家が彫刻に残したような、はっきりとした顔立ちの美しい女だった。

 そして、彫刻のように何十年も前から変わらぬ若さを保っている。

「知った香水の匂いと思ってたらあんただったのか」

「あら、覚えていてくれてたのね?昔はあんなに忘れっぽかったのに」

 そう言ってイタズラっぽく笑う目元には、懐かしさからくる喜びと、長いこと会うことのできなかったことからくる切なさとが影のようによぎっていた。

 しかしあくまでもレイは無愛想に応じる。

「昔話をしにきたわけじゃない。さっさと武器の取引を――」

「まあそんなに固いこと言わなくてもいいじゃない。お互い時間だけはあるんだから」

 どこか浮き世離れしたところのある女は、レイと対照的に落ち着き払って、隣の席をすすめるのだった。

「…………」

「あなた、今は人に雇われて働いてるんですってね?だったら営業先で世間話の一つくらいできなくっちゃ」

「ふん。昔は身体を売っていた女が今じゃ武器を売るようになったんだから世の中の変化も分からないもんだな」

 どうやら断るほど長引きそうだと判断してレイも椅子に座る。

「あなただって、小娘に首輪つけられてお使いに精を出してるんでしょう?まあ、いいから何か頼みなさいよ」

「じゃ、青汁でももらおうかな。健康に気をつけているもんで」

 酒を断る皮肉のつもりでそういうと、しかしバーテンダーはおもむろにジューサーを取り出した。アシタバ、レタス、ほうれん草、春菊、小松菜を放り込むと、果物ナイフで器用にリンゴの芯をとり慣れた手つきでレモンの皮と種を除くと。ジューサーのスイッチをいれ、瞬く間にできあがった青汁がなぜかショットグラスに注がれて目の前に出される。

「…………」

 この間、バーテンも客も無言。

「…………」

 仕方なしにレイも曖昧に頷いて手に取ると、一息にぐっと飲み干す。

「――――」

 すると女が、

「昔はあんなに自分の力で生きることにこだわってたあなたが、今じゃご主人様にしっぽ振って喜んでるだなんて、誰に話しても信じてもらえないでしょうね」

「誰だって、長い時間が経てば望むと望まないと関わらず変化していくものだろ」

「ええ、そうよ。だから何も死に急ぐことだってないんじゃないかしら」

 それを聞いて女の意図に察しがついたレイは露骨にうんざりした顔をする。

「――そんなつまらないことを言うためにわざわざ出張ってきたのか」

「ほら、またせっかちになってるわよ」

 今すぐにでも席を立ちそうなレイをなだめて、女が続ける。

「ねえ、きいて。あの時いきなり消えてから私たちはみんなすごく驚いたわ。それからみんな口々に、あんまり大きく騒ぎすぎたからどこぞの地下牢にでも監禁されてるだとか、とうとう寿命も命運も尽きてあの世にいっただとか好き放題に噂してたわ。そうしてすべてがそれらしく聞こえた。それきり音沙汰が途絶えたまんま数十年たったものだから大方どれかの噂が正しかったんだろうってみんなあなたの話をしなくなったわ」

「…………」

「そうかと思うと数年前にいきなり不死身の殺し屋が現れたなんて話が出てきたから、あたし、呆気にとられたわ。でも本当に驚くのはそれからだった」

 それから体ごと向いて意志の強そうなまっすぐな目でレイを見つめる。

「聞いたわよ。あなた、よっぽど死にたがってるそうじゃない。災鬼喰らいを操るエージェンとに出会う度に自分を殺せるか試してるそうね?」

「それがどうした?」

「どういう気持ちの変化なの?」

「仕事にも、あんたにも関係ない話だ」

「まあ応えたくないならそれでもいいわ。でもあんまり不用意にそんなことをするといつか本当に死ぬ日が来るわよ」

「願ったりかなったりだな」

 きつさを増してくる追求に機嫌を損ね、バーテンの方を向き、

「この店、ヤクは?」

 バーテンは無言で首を振る。

「それなら酒でいい。一番強いのを」

 自分をほったらかして酒を飲み始めたレイの腕をつかみ、女が続ける。

「その日がくるまではみんなそういう風に考えられるものよ。でも、あたしにはあなたは本当は生きたがってるように見える。億万長者が金をただの紙切れとしか思えなくなるみたいに、今のあなたは時間や命の価値を忘れてしまっているんだわ。でもあたしから言わせれば、永遠なんてものはどこにもないの。あたしもあなたも変化したように、いつかどんなことにも終わる日がやってくるの。それこそあなたの言うように望むと望まないとにかかわらずね」

 レイは女の方さえ向かず、酒を一口で飲み干してから

「もう一杯くれ」

 そうして出てきた酒に早速口をつける。女はただただ、賢明に訴えかける。

「あなたはそしてその日が来ることを知るや否やこう思うの、ああ、やめておけばよかったってね。退屈に倦んだ人が平穏な生活を投げ捨てた後のように。でもあなたは生きたがってる。死ぬのにも生きるのにもそんなに変わりがないのにわざわざ破滅に向かって行く必要なんてないじゃない。それでもあなたが死を求めてるのは、つまりあなたが生きてる実感を求めているからよ。ひりつくような生きているリアリティにあなたは飢えているの。そうして科学を越えた能力者たちとの戦いのスリルの中にそれを見いだそうとしてる…………」

 話を聞き終えたレイはグラスをテーブルに置いて、一言だけ言い放つ。

「言いたいことはそれだけか?」

 女は俯いて、手応えのなさを噛みしめるように手を組み合わせる。

「ええ、そうね、世間話はこれでおしまい。……くだらないおしゃべりに付き合わせて悪かったわね」

「仕事さえこなしてくれれば不満はない」

「……これが、ご所望の品よ」

 いくらか意気消沈した様子の女は、しかし自分の足下からペリカンのハードケースを拾い上げると、それを小綺麗なテーブルの上に置いて開いた。

「これは対ドローン電波妨害兼電磁式高周波発生装置。ドローン(ミツバチ)を駆除する兵器だからグリズリーとも呼ばれてるわ」

 中に入っているのは、銃口のない散弾銃の形をした黒い何かと、その銃身と同じくらいの二枚の黒い板だった。女はそれらを取り出すと、やり方を示す通販番組の司会者というより、武器の扱いを示す上官のような慣れた手つきで組み立てる。

 まず、散弾銃のようなものを取り出し、垂直に立てると、先ほどの黒い板のようなものの一枚を銃身と平行になるように取り付け、もう一枚も同じようにする。

「これだけで組み立ては終わり。簡単でしょ?」

 できあがりはとしては、中央の銃身を挟み込むような形で、両側に板状の装置が取り付けられている。そして通常、排莢が行われるコントロール部分にはつまみや電源ボタン、残量を示すメーター、計器や各種スイッチがついている。引き金はあるものの、肝心の銃口がなく、これでは弾丸を発射することは不可能に思える。

「さっきも言った通りこれは対ドローン兵器なの。だから機械相手じゃなきゃ無意味。鈍器としても使えないだろうし、どうしようもないポンコツね。でも、ドローン相手に戦うのであればこれ以上に有効な兵器は二つとない。文字通り生かすも壊すもあなた次第になる」

「で、その機能とやらは」

「大きく分けて三つ。一つ目が『妨害』。二つ目が『指令』。で、三つ目が『破壊』」

 女は銃の撃鉄に当たる部分についている電源ボタンを押して起動すると、スイッチのひとつを押した。

「これが一つ目の妨害モード。仕組みは至って簡単。名前の通り操縦者からの信号を妨害して攻撃するの。遠隔操作で動いているドローンならこれだけでただのガラクタに早変わりし。重力に従ってその場に落下する。利点としては、破壊せずに無力化できるから証拠品の押収に使えたり、ドローン以外でも普通の通信機なんかでも無効化できることかしら」

「なるほど、次は?」

 またスイッチを切り替える。

「二つ目の指令モード。こっちはさっきのよりも進んだやり方。単に電波妨害したり撃墜するだけじゃなくてドローン自体の通信プロトコルの弱点を利用し指令を出すことができるの。デフォルトでは指令は『帰還』つまり、コントローラーなり信号を発している端末なり、操縦者のもとに強制帰還させることができるわ。これでドローンを無力化するだけじゃなくて相手の居所まで割り出すことができる」

「なるほど。オスバチ(ドローン)を使って巣の場所や女王蜂を見つけ出すってわけか」

「そういうこと。ここまでで何か質問は?」

「さっきの二つはドローンが遠隔操作されていることが前提の攻撃方法だった。だが人工知能を組み込んだ完全自律型の武装ドローン相手だったらどうする?」

 女は敏腕のセールスマンが、わざとして欲しい質問の答えを自分から言わずにとっておいた時のような「その質問を待っていた」という顔になって

「もちろんその答えも用意されているわ。そういうときはこのスイッチを入れる。三番目の破壊モードね。これは局所的な高高度電磁パルスを発生させることができるの。もちろんそれだけでなくて、このつまみを操作することによってエネルギーを調整できるわ。軽度な電磁パルスは低レベルの電気的ノイズまたは干渉を引き起こし、影響を受けやすいデバイスの動作に障害をもたらす。そして高度な電磁パルスなら、大きな電流や電圧を誘発させ、その機能を破壊する」

 熊に狙いをつけるマタギのようにグリズリーを構えながら熱心に説明する。

「妨害も指令も効かない場合でもこれで対処できるわ。もちろん、ドローン以外にもこの電磁パルスは有効。だから、この機械まみれの街中では不用意にぶっ放さないことね」

「射程と範囲は?」

 レイも受け取って自分で感触を確かめながら質問する。

「有効射程は550m。照準点に向けて三十度の円錐状に対して有効よ」

「弾薬を使わないってことは、完全バッテリー制か」

「そうよ。だから正式には電波妨害機(ジャマー)って呼ぶべきかもしれないわね、実弾を発射するわけじゃなくてあくまで電波を照射するための兵器だもの。で、ご指摘の通り弾の代わりに電気を消費するわ。稼働時間はバッテリーカートリッジ一枚あたり電磁パルスを最大出力にして約八五分。これは本当は二枚つくんだけど、今回は初回特典でもう一枚つけてあげるわ」

「そりゃどうも」

 レイも片手で構えたり、両手で照準を合わせたりと準備に余念がない。

「重量自体はちょっとあるけど、一応一般的なショットガンと同じ構え方で使用できるわ。もっともM500を当たり前のように二丁持ちでぶっ放す人には関係ないでしょうけど」

「ああ、この程度の重量ならなんの問題もない」

「じゃあ……取引は?」

「ああ、成立だ」

 グリズリーをケースに戻し、閉じる。

「そう。ならこれもオマケしてあげる」

 そう言うと女はテーブルの上にカクテルシェイカーのようなものを取り出した。

「それは?」

「LPP爆弾。もともとは窒素爆弾を造るつもりだったんだけど、なかなかうまくいかなくて試行錯誤してたときに誕生した副産物がこれ。ただ、まだ試作品だから威力にものすごくムラがあって、下手をすると使用者も爆発四散するっていう優れものなの」

 レイは平然とテーブルの上に置かれた爆発物を眺める。

「どう?あんたにぴったりでしょう」

「……もらっておこう」

 やおらLPP爆弾を手にとってコートの中へ突っ込む。そして代わりにクレジットチップを取り出すと女に渡した。

「これが約束の金だ」

 女はチップを読取機にかけて、金額を確認する。

「たしかに」

「それじゃあな」

 レイは本題を終えるなり、早速ペリカンケースを手に立ち上がる。

 そのまま店を去ろうとしたところを、しかし女が呼び止めた。

「ねえ、待って!」

「――」

 レイがゆっくりと振り返る。

「金に不備はなかっただろ」

「違うの。そうじゃなくて……あなた、今はなんて名乗ってるの?」

「――レイ・マーロウ。組織でのコードネームだ。それが何か?」

「そう……レイ、これは私の今の連絡先よ。他の売人よりも安くしておくわ」

 差し出されたのは、紙の名刺。

「ずいぶんアナログなやり方なんだな」

「情報を守るにはこれが一番いいのよ」

「……もらっておこう」

 そう言ってレイは受け取った名刺に一度だけ目を通す。

「デュポン……これが新しい名前か」

「ええそうよ」

「じゃあな、デュポン」

 そうして再び背を向けるレイ。それに再び話しかけるデュポン。

「レイ。私たち、また会える?」

 レイは今度はもう振り返らずに、

「それはあんたが売る武器次第だな」


 

 [エリア8ー出雲区]。ドームに覆われる以前は海に面していた倉庫街。

 武装した警備ドローンや警備ロボットが徘徊し、頭上からはサーチライトが地を嘗めるように這う。それらか身を隠す二人の人物の姿がコンテナの陰にあった。

「よし、とりあえずは到着した」

 通信で連絡をしながら、レイがペリカンのケースを開けて手際よくグリズリーの組み立てを始める。

『OK。にしても、オレたち本当にあのZ.Games社のデータベースに入り込むんだよな。やっべえよ、久しぶりに興奮してきたぜ』

「フォックスが言ったんだろ、『外部からの侵入は不可能、内部から直接ハッキングを仕掛けるしかない』」

『そりゃそうだけどさ――』

 すると二人の会話にジェーンが入り込む。

「だいたい、あんたは年がら年中盛りのついた猿みたいに興奮してんだろ」

『余計なお世話だ』

 それからジェーンは、対象となる倉庫を覗きながら不思議そうに呟く。

「あれがオフィスを無菌室みたくしたがるクソッタレ成金男の本丸?」

 それにエドワードが答える。

『ああ。あの中にもうひとつのチバ・メトロポリスを創り出す神秘の装置が隠されてるんだ。元はマイニングファームだったものらしい』

「おいクソオタク。もったいつけた言い方して調子に乗ってんじゃねえよ。アタシにも分かるように説明しな」

 無線からはため息が漏れてくる。

『はあ……マイニングファームってのは、その名の通り仮想通貨のマイニングをするための巨大なコンピュータ施設のことだ。強大な計算能力を実現するため広大な敷地に数千台のコンピュータを並べてある。スッゲエ電力を消費するから、電力料金と土地が安い所に設置される――まあざっとこんな感じだな』

「…………へ、へぇ」

 そのマイニングとは何かについては、さすがに尋ねられず黙り込むジェーン。

 代わりにレイが質問をする。

「あいつの経歴に仮想通貨ビジネスは記載されてなかった。誰かから買ったのか?」

『ご名答。財前は仮想通貨で借金を抱えた大学の同期から、数千万の借金を肩代わりしてやる代わりにコンピュータごと倉庫を譲り受けた。それを元手に会社を立ち上げ完全没入型VRゲームで一山当てて、それが今じゃ日本指折りの億万長者』

「なるほどな。――それで、中の警備は?」

 グリズリーを組み立て終えたレイが尋ねる。

『そりゃもう銀行並に厳重。こないだの会社見学のこともあるし。でも関係ないよな、それくらいの任務は何度もこなしてきたし、なんたってお前さんは不死身なんだし』

「少なくとも任務続行が不可能になったことはないな」

『ヒュー、一度は言ってみたいね。ただ今回は今までとひとつだけ違う点がある』

「言ってみろ」

『さっきも言ったように、あそこじゃ何百、何千という勤勉なコンピュータ様が不平も言わずに労働なさってる。そういうわけであの中の気温はちょっと高い。ざっと九〇度くらい。まあ平均的なサウナの温度だよ』

「警備ドローンと追いかけっこするには若干暖かいかもな」

「いいね、誰かさんのハゲ頭で温泉卵作れそう」

『ゆで卵スライスにされた後ドレッシングかけられないだけ親切だな』

 するとレイが

「空調も外からはハッキングできないのか?」

『無理だ。外からはかなり厳重に電脳的に守られてる』

「なるほどな、つまりこういうことだろ。俺がまず入り口のセキュリティを能力を使ってクリアした後、フィンランドサウナに突入して冷房を入れてくる。老人ホームみたいに快適な気温になったあとクラウスと合流して敵の本拠地を落とす」

『ま、そういうことだ』

「だったらさっさと始めるぞ。おいジェーン――」

 レイがグリズリーを携えて振り返ると、ジェーンもなにやら物騒なものを肩に担いでいるところだった。

「……なんだそれ」

「無反動砲。見て分かんないの?」

 冗談でしょ?とでも言いたげに眉をひそめながら平然と言い放つ。

「お前、まさか――」

 腕を掴んでとめようとした瞬間、無反動砲を残してジェーンの姿が消えた。

「――!!」

 瞬時に事態を悟るったときには、腹、みぞおち、ふくらはぎ、うなじに同時に打撃を食らい吹っ飛ばされていた。倒れたまま見上げると、いつの間にかその場に戻っていたジェーンが無反動砲を構えているところだった。

「白髪ジジイはすっこんでな」

 そう言って口の中のガムを吐き捨てると(ガム噛んでる描写必要)迷いなくミサイルを発射した。

「開けゴマ」

 直後に入り口へ命中。警報が鳴り響き、警備ドローンが慌ただしくあたりを巡回し始める。そのうち何体かは真っ直ぐ彼らが隠れている方へやってくる。

「…………」

 呆れかえったレイが起き上がったころにはもうすぐコンテナの向こう側にまでドローンが迫っていた。無理もない。あんなに目立つ攻撃を行ったのだからほとんど見つけてくれと言ったも同然だったのだから。

 絶えず放たれる銃弾の雨がコンテナに当たり、高い音を立てる。

「……ったく」

 ぼやきながらグリズリーの照準を合わせ、引き金を引く。

「――――」

 手応えは――なにもない。

 けれど、たしかにドローンはあバチバチと音を立てあっけなく落下した。それも煙をあげながら。

「ほう、こりゃすごい」

 実弾を発砲したときと違い反動も音も匂いも、何から何までまるで手応えがなく、そこが物足りなくはあるのだが効果だけを見るのであればてきめんと言えた。

レイが改めてグリズリーを眺めていると、

「あんたよりそっちの方が頼りになりそう」

 ジェーンが再び無反動砲を撃ちながら呟く。

「なら、お前にやろうか?ほら、さっさとあの中を通り抜け空調を入れてこい」

「なんでアタシがんなまどろっこしいこと」

 またもミサイルを発射。 

「ブリキのおもちゃにケツ追わせるだなんてゴメンだね。そういうのはアンタの方がお似合い。入り口だってぶっ壊してやったし」

「……そう言うだろうと思ってたよ」

 レイはとうとう呆れ果てて空を仰ぎ見る。

 警報がけたたましく喚き散らし、それこそドローンが蜂のように襲い来る。

 見ると、確かに煙のあがる向こうではドアが破壊されてはいたのだった。もはやかつて入り口だったことがかろうじて察せられるというほどに。

「あれで空調の配線だのがいかれちゃいないだろうな」

「んなことアタシが知るかよ」

「だろうな」

 仕方なく腹をくくる。そしてコンテナから身を曝け出し、地上を移動する警備ロボット二体をまず破壊する。ついで、素早く走り出しながらこちらに照準を合わせたものから適宜破壊していく。

 あるときは硬質化した腕を巨大化させ、それによって地上の警備ロボットを掴み盾として移動したり、またあるときはグリズリーによる攻撃の合間に、掴んでいたロボットをドローンに向かって放り投げてぶつけたりしながら、着実に破壊する。

 またあるときは後ろから無差別としか思われないやり方で手当たり次第に発射されるミサイルが、おそらく神々の助けによって運良く近くのロボットやドローンを吹き飛ばしたりもした。

「――――」

 ここで、ほぼすべての敵機のドローンの照準が自分に向いている状況を脱却する必要性を感じたレイは、数歩の助走をつけ地を蹴ると、突然超人的な跳躍を見せた。

 まるで放たれた弾丸のような一直線の軌道で、地上から十メートルはあろうかという倉庫の壁面に着地(傍点)すると、当然その後は重力に従って自由落下にはいる。その落下の間にレイは身体をひねって回転させながら、三六〇度の敵を片っ端から破壊していく。ちょっとした瞬間移動のような芸当を見せられたドローンたちは、いくら人間より優れたカメラアイと画像認識機能を有しているとはいえ、若干の反応の遅れが出る。

 そうしてコートの裾をはためかせながら、今度は地面に颯爽と着地を決めると、ミサイルによって開けられた大きな穴から倉庫内へと侵入する。

「――!」

 直後に猛烈な熱気により全身が火傷を負う。

「これじゃ温泉卵じゃなくて目玉焼きができそうだ」

 風通しのよくなったドアから外気が取り入れられ、起動したスプリンクラーの気化熱のおかげでいくらか気温が下がっているであろうにも関わらず、およそ非人道的な気温だった。

 その中を熱からくる苦痛をこらえながら空調パネルを探す。通常であれば照明と同じように入り口脇の壁にでも設置されているところだが――。

「…………」

 いくらか破損が見られたものの、無事ではあるらしかった。すぐに表面を覆っているものを力任せに取り去って、基盤やら配線やらを露出させる。

「フォックス。で、どこにさせばいい?」

『太めのケーブルが三本おりあわさってるところの下に長方形の端子があるだろ?』

「ああ」

 そう答えた直後に銃弾が耳元をかすめる。振り返ると、外の巡回警備にあたっていたものだけでなく、倉庫内に配備されていたドローンやロボットまでが押し寄せてきていた。

『そこにささってるケーブルを抜いて、代わりにチップをさしこむ。それだけ』

「少し待ってろ」

 レイはグリズリーを構えると、最も距離の近いものから撃破していく。ときには身体の位置をうまく調整し円錐状の電磁パルス発生域内に複数のドローンを捉え、まとめて破壊することもできた。――その後ろ側に所狭しと並ぶコンピュータもいくらか犠牲になっただろうが。

 そうしてつかのま攻撃が止んだ間に指示された作業を終える。

「完了した」

『OK。すぐ涼しくしてやるから待ってろよ』

「やつらは待ってくれそうもないがな」

 無限に湧いて出てくるのではないかという数のドローンを次々にさばいていく。右を硬質化させながら巨大化させて身体を守りながら、なんとかグリズリーだけは破壊されないように戦う。物量的に圧倒的に戦力差がある状態で遠距離武器まで失ってしまえば、ほとんど撃つ手がなくなってしまう。

『それにしてもすごい音だな』

「ああ。あんたも呼んでやりたいほど賑やかだ」

 するとエドワードが笑いながら、

『はっはは!「蜂の巣をつついたような大騒ぎ」ってか!はははは!」

「…………」

『蜂の巣を――』

「――フォックス」

『なんだよ』

「もう十分だ」

『……そうかい』

 いくらかしおらしくなったように聞こえるエドワードの声を無視して、包囲を抜け出すために倉庫の外にでる。

「――!?」

 するとまたミサイルが飛んできてあやうく被弾しかける。

「おい、クラウス。そのガバガバな照準はどうした」

「なんだよ、ちょっとかすっただけじゃねえかよ。死なねえんだからごたごた文句言ってんじゃねえよ」

 そうこう話している間にも敵は次々に取り囲もうと迫ってきて銃撃も絶え間なく続く。

「アバズレ女には見方とブリキの区別もつかないらしい」

「ああ、確かに区別がつかなくなることはあるね、あんたが人間にしちゃあんまりポンコツすぎて」

 そして、再びミサイルが飛んでくる。今度はまるでわざと狙ってでもいるかのように。倉庫の壁に着弾したそれをレイはすんでのところで回避したものの、爆風によって吹き飛ばされる。コンクリートの地面を無惨に転がったあと起き上がると、エドワードからの通信が入った。

『ようし!空調システムの権限を掌握した!あと一二〇秒で三〇度まで下がるぞ!』

「そりゃどうも。一二〇秒前に聞けたらもっと嬉しかったが」

 しかし戦えども戦えども数が減っていないのではないかと思いたくなるほど敵が多い。

「――!」

 そしてとうとうここへきて被弾する。レイはすぐさまその傷を変化の能力によって塞ぐ。これがこの能力の優れた点だった。髪の短く背の低い子どもにも髪の長く背の高い大人にも姿を変えられるこの能力の最大の長所は、質量保存の法則どころか物理法則そのものを無視して自らの細胞を自由に増殖させたり変質させたりすることが可能なことである。

 四肢の欠損も数秒で完治するし、それぞれの腕を異なるDNAによって構成することもできる。戦闘においては治癒と身体能力強化にしか使えないところに難があるものの、使い方次第ではそれなりに化ける能力でもあった。

「これじゃらちがあかない」

 それでも、闇雲に戦っていてはこちらが無為に消耗していくに過ぎないことは目に見えていた。そこでレイは作戦を変更することにした。

 ひとまず、包囲を振り切るために筋力強化によって倉庫の屋根まで跳躍する。ところが、もちろんすぐにわらわらとドローンが文字通り湧いてくるみたいに現れる。それにも構わず、ある適当な地点まで辿り着くと、ジェーンに通信をいれた。

「おい、クラウス」

「なに?ゾンビ男」

「ミサイルの残りは?」

「あと四発」

「よし。ならそのうちの一発を俺目がけて撃て」

 するとジェーンの返事が滞る。

「……うわ」

「クラウス?」

「どんな特殊性癖こじらせたらそうなるわけ?脳みそ腐ってんじゃねえの?」

 冗談でもなんでもなく、本気でレイを異常性癖のマゾヒストと思い込んでいるようだった。もっとも、この世の男はすべからく嫌悪すべき憎悪の対象であるかのように振る舞ってはばからないこの筋金入りのミソジニストの罵詈雑言は今に始まったことではない。

 レイはさらりと聞き流して続ける。

「これは作戦だ。いいから言うとおりにしろ」

 するとレイの語気から事態を悟ったのか、一応は要求をのむのだった。

「ああ、異常者のマスかきに利用される可哀想なミサイル」

 と言いながら。

 そうして夜明けに山際から顔を出す太陽のように、倉庫の屋根の下から誘導ミサイルが現れてレイをめがけて突っ込んでくる。

「――」

 周辺のドローンはそれを察知してレイから距離を取ろうとする。しかし、それでもレイはじっとしたまま動かない。

「――――」

 ぎりぎりまで粘って、直前まで引きつけて、そうして――。

「――!」

 あわや被弾するというその間一髪の瀬戸際で、その常人ならざる跳躍によって回避した。とはいえ、無論無傷ではすまされない。爆風をもろにうけ、実験などでよく使われる人形のように吹っ飛ばされて屋根の上を無様に転がされるはめになった。

 しかし、もちまえの変化の災鬼喰らいによってたちまち全身の傷を完治させてゆらりと立ち上がる。危機の去ったことを確認したドローン達もわらわらとまた湧き上がってくる。けれど、レイの視線の先にあるのは、先ほどの爆発によって屋根からもくもくと上がっている煙だった。

「…………」

 その煙が薄れていくと、その向こうに薄らと大きな穴が見える。最初に倉庫の入り口が爆破されたのと全く同じように、今この倉庫の屋根にもそれなりの大きさの穴が開いているのだった。

 それを確かめてから、レイがグリズリーのスイッチを『破壊』から『指令』――その中でも『強制帰還』へと変更する。

 そして再び四方八方から放たれる弾丸の雨あられ。

 それを躱したり、防いだり、ときには被弾しながらもレイは次々にドローンのコードを帰還指令で上書きしていく。まもなく、被弾したドローン達が発砲をやめてふらふらと夢遊病にでもかかったかのように先ほど開いた穴の中から倉庫の中へと入っていく。

『レイ……それは強制帰還ってやつか?』

 するとエドワードからの通信が入る。

「ああ」

『けどあいつら完全自律型のはずだよな?』

「もちろん自律型だ」

『じゃあなんで、ああして帰還指令が有効になってる?一体どこに帰ってるんだ?』

「見てれば分かる」

 襲い来るあらかたの敵に指令をぶちこんでから、適当なところで切り上げてレイも穴から降りて倉庫の中へと侵入する。まだいくらか暑くはあったものの、空調を入れたおかげで先ほどのようにいきなり火傷を負うような熱さではなくなっていた。

「最初は俺も完全自律型のドローンだとばかり思っていた。実際その通りではあるんだが、それにしても連携がとれすぎている」

「なるほど。ドローン間で情報共有をするためのネットワークが構築されているってことだな」

「ああ。だからジャミングによって個々の連携を断てると読んだし、もし情報を中継する中央管理システムがあることがあればそれごと破壊できる。すると御覧の通りだ」

「で、これからまさに蜂の巣を潰しに行く――と」

「だな。もともと今日の仕事の七割は蜂の駆除が占めている」

 レイはドローンからの銃弾を避けながら、帰還指令に従うドローンの後をつけていく。

 倉庫の様子はいかにも画一的で無機質だった。

 遠目に見れば黒い箱だか棚にしか見えないコンピュータが所狭しと等間隔に並んでいて、そこからごちゃごちゃと血管のようなコードが伸びている。あるいは、植物の蔓と形容してもいいかもしれない。ともかく、そういったケーブル類が絡まりながら日の光を求めて上へ成長していく植物のように天井へと伸びている。

 サーバーラックではデータのやりとりを示すランプが点滅を繰り返している。

「…………」

 まるで大図書館の書庫にでも迷い込んでしまったかのようだった。――ファンがうるさくなくて、そこから絶えず熱風が吹き出されていなければ。

 ただ、実際的な問題として今現在図書館と呼ばれている施設もゆくゆくは例外を残してみなこうなっていく定めなのかもしれない。なにせこの倉庫ひとつで別次元にある世界――たとえそれが旧千葉県程度の広さだとしても――を支えるほどの力をもっているのだ。

 だからこそ、ドローンもできるだけコンピュータを傷つけないようにレイを狙ってくる。流れ弾の一つ一つが別世界に深刻な障害をもたらしうるからだ。それが分かっているからこそ、レイも努めてラックの傍を走るように心がけている。

「――――」

 すると、帰還指令を出していたドローンたちが、ある大きなラックの前で動きをとめた。どうやら元締めはあそこにあるらしい。

 レイはグリズリーのモードを切り替えて電磁パルスを発生できるようにする。射程距離は五〇〇メートルもある。しかも距離が遠ざかるほど効果範囲は広くなる。この距離からなら一網打尽にすることができる。

「――!!」

 しかし、その瞬間ドローンたちの攻撃が苛烈さを極め始めた。

 ドローンにも危機意識や生存本能があるとでもいうのか。

 ともかく、先ほどとは打って変わって流れ弾にも構わずに銃弾を浴びせ始めてきた。レイはたちまち右足と右手を負傷する。その程度の傷ならばすぐに再生することが可能だが、こうも激しく攻撃されてはターゲットに電磁パルスを浴びせる前にグリズリーが破壊されてしまう。

 一旦その場を離れ、敵の攻撃をかいくぐり、隙を見つけてはドローンを破壊しながらどうにか致命傷を与えるチャンスを窺う。しかし時間がかかればかかるほど、ますます多くのドローンが集まってくる。

 ――そのときだった。

「ハゲオタク、まだ中は涼しくなんねえの?」

 ジェーン・クラウスの声だった。

『いや、今はもう三四度。突入しても問題ない頃合いだ』

「上等。やっと思いっきり暴れられる」

 ここまでずっと苛立たしげにしか喋ってこなかったジェーンが、この任務で初めて楽しそうに呟くのだった。

『ヒュー、切り裂きジェーンのおでましだ(ジェーンザリーパー)』


 ジェーン・クラウスはその報せを聞くやいなや無反動砲を無造作に放り捨てた。

 それからすくっと立ち上がりつま先で地面をノックすると、たちまち両足が変形(傍点)し始める。金属音をたてながら次々に服や靴の中で変形が進んでいき、やがて内側の膨張によって靴が破けると、そこに新しく現れたのは踵にスラスターのついたローラーブレードだった。

 次に手首を上方向に曲げ、下方向に曲げ、それから掌を大きく開くと、太いトンファーのようなものが袖の中から現れる。そのトンファーのグリップ部分にはバイクのブレーキのようなものが取り付けられており、側面にはボタンも見える。そのブレーキを握り混むと、トンファーが展開し鋭利な鎌へと変貌を遂げる。

 機械でできた両足と、生身ではあるが隠し持った変形武器による武装。

 これが切り裂きジェーンと恐れられた彼女の戦闘形態だった。

「上等。やっと思いっきり暴れられる」

 そう呟くと口の中のガムを吐き捨てて、スラスターをふかし始める。

「――――」

 そして爆発的なスタートダッシュを決める。それまで隠れていたにもかかわらず突然コンテナから飛び出したジェーンの強襲にドローン達もうまく照準を合わせられない。まして敵は猛然とした勢いで突進してくるのだ。

「――」

 滑るようななめらかな動きで踊るように銃弾をかわす。それでいて速度は一切落とさずに接近すると、地を蹴ると共にスラスターの噴射によって一気に空中のドローンへと急接近する。そして宙で身体をひねりながら遠心力をともなって鎌を振り下ろし、強烈な一撃によってドローンを一刀両断のもとに切り捨てる。

 そして軽やかに着地を決めるとスピードスケートの選手がコーナーを曲がるときのような動きで角度を変え、別のドローンへと襲いかかる。当然襲い来る正面からの銃撃。

 しかし、瞬間――

「――!」

 ジェーンたった一人を除き世界が静止する。〈鎌鼬〉を発動したのだ。銃弾のひとつひとつを箸でつまむことができそうなほどの余裕。ジェーンは悠然と迫り来る弾丸の軌道から身体をそらすと、グリップの側面についているボタンを押した。

 するとトンファーに取り付けたような鎌が発射され、ドローンへと向かっていく。その鎌からは獲物に食らいつかれた釣り竿の糸のようにワイヤーが伸びてゆく。とはいえ、能力発動中であるため、これらのすべてが緩慢とした速度で起こっているのではあるが。

 そうしジェーンが息を吸った瞬間能力が解除され、とまった時間が動き出す。銃弾はあえなく標的から外れ、ジェーンの発射した鎌はドローンに命中し、半分ほど突き刺さる。そしてジェーンは再び能力を発動すると、ワイヤーを固定して振り返りながら鎌の刺さったドローンを別のドローンへと叩きつける。そして再び能力解除。

 音速を超える速さで自分と同等の鉄の塊をぶつけられたドローンはあえなく撃沈され、その拍子に二機とも爆発。ようやく鎌が自由になったジェーンはワイヤーのロックを解除して、巻き取り始める。

「んー!やっぱこうでなくっちゃ」

 この間たった数秒。十秒にも満たないたったそれだけの時間で入り口を制圧したジェーンは、自ら爆破した入り口から倉庫内へと侵入する。その後もスラスターをフルスロットルにして降り注ぐ銃弾を子どもと追いかけっこするような手軽さで避けながら進んでいくと、レイ・マーロウが立ち往生している姿が見える。その先には馬鹿デカいコンピュータとその周囲に浮かんだまま動かないドローン。

「ふふーん、なるほど」

 状況を把握したジェーンはすぐさま再び〈鎌鼬〉を発動する。

 まず、レイの腰から五〇口径の銃を抜き取る。両手でそれを構えてドローン目がけて発砲する。弾はゆっくりと宙を直線的に進んでいく。それがわずか数十センチしか進まないその間にもまた別のドローンを撃ち、そしてまた撃ち、それらを五回繰り返した後、持ち主に銃を返すのでもなく、ジェーンは銃をその辺に放り捨てる。

 すると今度はローラーブレードとスラスターの十分な加速によって助走して、ドローンに飛びかかると、まず回転しながら一体仕留める。ついで、着地したのちフィギュアスケートのような動きで舞うように二体目と三体目を同時に仕留める。流れるような動きのまままた別のドローンに遅いかかり、四体目を撃破。さらにドローンが集中している場所に中心に陣取ると、スラスターの噴射を利用してその場で高速回転をしながら周囲の敵を切り刻む。五体目、七体目、八体目、九体目を撃破。

 最初の五体と合わせ、これで計十四体の破壊を完了した。

 そして、時が動き出す――。


 レイ・マーロウはラックの陰に隠れてドローンたちの様子を窺う。

 下手を打てばその瞬間蜂の巣にされるのは目に見えている。そうかといってこのままじっとしていてもジリ貧になってゆくばかり。こうなったら――

「――――」

 何かがすぐそばを横切った――ような気がした瞬間。

「――!」

 ほとんど爆発音に近い銃声、金属の切断音、それから爆発音、それらの何十という音が一瞬間に圧縮されてまったく同時に鼓膜をつんざく。それだけで十分だった。事態を把握したレイがラックから姿を見せると、十数体のドローンが無惨にも破壊され地面に横たわっており、その中央にはフィギュアスケートでフィニッシュを決めるときのようにくるくると回転している第一級エージェントの姿。

「…………」

 レイが無言で見守っていると、演技を終えるかのような鮮やかな静止を見せてから、ジェーンクラウスが無言で肩をすくめる。

「――――」

 いかにも挑発的で、得意げな態度で。その顔に「このくらいのこともできないわけ?」と書いてあるのは誰の目にも読み取れた。

「助かった、見事な手並みだ」

 そういってレイはグリズリーをコンピュータに向けて構える。ただ、ジェーンが射程範囲ないにいると機械性の義足にも影響が出る。銃口を左右に少し振ってどいてくれ、と合図をすると、好きに暴れて機嫌をよくしたのか、それともレイの珍しい賛辞がまんざらでもなかったのか思いの外素直に横へどいた。

 安全を確認してからレイはグリズリーの引き金を引く。金属の火花が飛び出し、なにからしらまずそうな音がしてコンピュータが沈黙する。続いて、倉庫内のドローンが次々にダウンして糸の切れた人形のように地面へ落下していく。

 それを確認してからエドワードに連絡をいれる。

「これでお膳立ては整った」

『らしいな。オレもひとつ学んだよ。便利さは用途を間違えれば脆弱性にもなりうるってね』

「これからどの部屋に行けばいい?」

『ちょっと待ってくれよ……えーっと?目当てのものがありそうなのは、サーバールームかライブラリってところだな』

「二つあるのか」

『ちょうど二人いる』

「クラウス、あんたはどっちにする?」

「どっちでも。どうせ似たようなもんでしょ」

「だな。なら、俺がサーバールームに行こう」

 ネットワーキングルームの制圧を完了した彼らは、階段をのぼり二手に分かれる。その直後にはもうジェーンの姿は見えなくなっていた。安全のためのことだろう。通常の速度であれば被弾を免れない地雷や、赤外線式、あるいは感圧式のトラップ、さらには待ち伏せだろうとあの超音速の動きを持ってすれば容易に回避どころか反撃まですることが可能だ。ゆえに、ジェーンは大抵の場合部屋の移動には能力を使うのが習慣になっていた。

 一方レイの目の前には閉ざされた防火扉がある。ミサイルで入り口を爆破し、スプリンクラーが作動したときに降りたのだろう。ところが、やはりというべきか、この防壁ですらレイの前では障害たりえなかった。

「…………」

 右腕を爪の形に変化させると、おもむろに隙間へと差し込む。それから力任せにこじあけてほんの少し開いてきたら、今度は両手でゆっくりと両脇へ押しやっていく。。

「――――」

 やがて閉店後のスーパーの自動ドアを動かすくらいの簡単さで、暑さ数十センチ、重さ数トンはあろうかという防火扉をあっというまに開ききってしまった。

 扉の向こうは、ブラックホールを思わせるほど真っ暗だった。

 さきほどまでのコンピュータラックの様々な明かりが明滅していた場所とは違う。先ほどの戦いによって電気系統がいかれたのかとも考えたが、それにしても不気味なほどに鎮まりかえっており、やはり、暗すぎるのだ。こうも暗いということはこの部屋には窓もなにもないということになる。そうまで厳重に守り抜く場所であれば、予備電源のひとつやふたつくらいあって然るべきだ。にもかかわらず、なんの明かりもない。

 つまり――これは罠。

「…………」

 それだけのことを気づいていながら、それでもレイはたった一人でその暗闇の中へと足を踏み出す。ここが本丸ならば、自分がこちらを選んだのは正解だった。

 張り詰めた静寂の中、靴音だけがいやにうるさく響く。

「――」

 やがて彼が数歩進む。

 すると重厚な音を響かせながら背後で防火扉が勝手に閉まっていく。

『―――っ……――』

 ノイズが走り、エドワードとの無線も途絶える。

 なんの手がかりもない中で、完全に退路を断たれてしまった。

 けれど、レイの表情には微塵の焦りも感じられない。

 それどころか、アクシデントが起こるのを待ち望んでいるようですらあった。

 なにせ彼の正体は、不死身の心臓狩り(シザーハンド)なのだから。

伏線をひこう

圧倒的な人気を誇る理由は、実はあの仮想世界は本物だから

どういうことかというと、映像やらなんやらを見せる他のゲームと違い

アンリアリスティックワールドは、人の意識の抽出に成功して

で、その意識を仮想世界内に複製し、そこでの記憶を新しく人格に上書きする

だから、実体験、

黒い噂がたえない会社。

これを潜入時に分かったことにしよう。

意識の抽出なんて他のどの会社もやってない

さすが天才みたいなかいわ


で、釣りの狙い、が調べていくうちにわかった

意識の抽出、複製、上書きができること



窒素爆弾を造ろうとして偶然できた副産物だけどまだ威力が安定しないから



第六章 未実現世界(アンリアリスティック・ワールド)


 物理的にも電波的にも外界から断絶された空間。

 そこを満たす、肌にまとわりつくような暗闇。

 その暗闇の中から声がする。

「――随分と、無粋な訪問の仕方をするものだね」

 やけにもったいつけた、ゆっくりとしたしゃべり方である。その声の主が誰であるかなど思い返すまでもない。この城の支配者、財前康成その人だった。

 そしてその声が合図となったように照明が点灯する。

 明らかになった部屋の全貌は、明らかにそれまでの区画とは雰囲気が異なっていた。

 一言で表現するなら、玉座の間とでもいうのが適当だろうか。ともかくそれに似た荘厳な雰囲気を漂わせている。無機質なコンクリートの壁の手前には円形に並んだ幾本もの柱がそびえ立つ。その奥には巨大なコンピュータが鎮座しており、絡まり合った植物の蔓のようなケーブルの類が、コンピュータから天井へと伸びている。

 財前康成は、そのコンピュータの前に立っているのだ。

 そして財前の背後の棚には石像のように無数のドローンが沈黙している。 

 レイは芝居がかった登場の仕方に辟易しながら、一応の返事をする。

「少しだけノックが強すぎたかもな」

 素っ気ない返答にも、しかし財前は嬉しそうに、

「ふふ、ここに来る途中の君たちの戦いぶりは見させてもらった。初めまして、ミスターシザーハンド。お会いできて光栄だよ」

 微笑みを投げかけまでした。どこか恍惚の表情を浮かべながら。

「光栄に思うんなら握手でもするか?」

 レイは銀色の爪で応える。財前はにこやかに首を振りながら、

「遠慮しておこう。君に触れるとケガをしてしまいそうだ」

「元から臆病な性分なんだろ。人間不信で有名らしいな。だからあんなブリキのおもちゃで身の回りを固めてる」

「確かに、警備ドローンでは足止めをすることさえできなかった。まったく返す返す残念でならない」

 微塵もそう感じさせない声色でわざとらしく嘆いてみせる。

 レイの声にわずかな苛立ちが混じる。

「……白々しいやつだ。どうせまだ奥の手を隠してるんだろう?本社ビルを要塞に改造するようなイカれた人間が最重要拠点にこの程度の守備しか敷いていないとは思えない」

「ふ――ふふふ、さすがはミスターシザーハンド。裏社会にその名を轟かせるだけはある。だがまあ安心してくれたまえ。ここでならゆっくりと話が出来る」

 心臓狩りと恐れられる不死身の怪人を前にしているとは思えないほどの落ち着きぶり。そして何より、まるで話をすることこそが当初からの悲願でもあったかのような口ぶりで話し始める。

「日本防犯公社――君たちのことは知っている。どういう目的で来たのかも。だが、断言しよう。私を黒幕だと決めつける証拠など、君たちはなにひとつ持ち合わせてはない」

「………………」

「違うというのなら、是非とも反論を聞かせてもらいたいのだが」

 まるで挑むように、試すように、味見をするかのようにうっとりと愉悦の笑みを浮かべる。底知れぬ不気味さを漂わせる鳥肌のたつような笑みだった。

「――確かに、あんたの言うことももっともだ。まだ確実と言えるほど証拠は固まっちゃいない。今のところはな。だから固めにきたんだ」

「具体的に言うと、君は私にどんな疑いをもっているのかね?」

「全てだよ。あんたは自分が運営するユーザーを誘導して、現実世界でも同様の事件を起こすよう仕向けたんだ」

「どうやって?」

 いっそう財前の口角があがる。最早その恍惚こそが証拠と言ってもいいくらいだった。誰がどう見ても、目の前の男の顔には事件の真相を網羅していると書いてある。

「簡単なことだ。『快楽』を利用したんだ。

 そういうと、レイはコートから注射を取り出して首筋に打ち込む。

 ぞくっと身を震わせて吐息をもらすと、空になった注射器を投げ捨てた。

「まず、あんたは少し気を抜けば現実と見分けがつかなくなるほど精巧な仮想世界を創り出しその中にどんな違法行為も見逃さない〈神の目〉を設けた。見覚えがあるだろう?」


 ホログラフ投影装置を起動し、Z.Games本社に潜入して入手した反社会行動リストを映し出す。

 それは社会で実際に運用されている監視カメラよりも遙かに高度なセキュリティだった。どこを探してもここまで高度なシステムには達してはいない。アンリアリスティックワールド内の監視プログラムは誰がどんな動きをしたかだけじゃなく「歩く」だとか、「殴る」だとか、ひとつひとつの行動が具体的にどのような概念によって想起される動作なのかまで判別できる。

 だがその真骨頂はさらに別のところにある。〈神の目〉は仮想世界ですでに起こった事象とその因果関係まで理解することができるのだ。たとえば、ある人間が爆発物を電車内に置いて去ったとしても、その人物は他人をを殴るとかナイフで刺すような直接的な暴力行為を行ったわけじゃない。動作で言えば、歩き、電車に乗り、何かを置いてゆき、そして電車を降りただけなのだ。単なる動作でいえばまったく違法な行為は行っていない。

 しかし〈神の目〉はその後に起こった爆発という事実から、その原因となった人物とその動作を断定し、それらを因果関係によって結びつけるという高度な思考までやってのけるのである。これをつきつめてしまえば、いつかすべての法律と判例を網羅した人工知能が人を裁く日とてそう遠くないかもしれない。

「これがあればいつ誰がどんな犯罪をゲーム内で犯したか瞬時に知ることができる。あとは簡単だ。爆破事件を検知した瞬間にそのユーザーの脳に快楽をもたらすように電気刺激を送る。五感すべてを掌握している完全没入型VRゲームならとるに足らない容易なことだし、これなら足がつく心配もない。あんたはそうやって自分は闇の中に隠れながら他人を操り、世の中を掻き乱してきたんだ。まるで指揮者にでもなったみたいにな」

 投影装置をオフにして、吐き捨てるように言い放つ。

「なるほど、ずいぶん回りくどいやりかたではあるが、理にかなったやり方ではある。実行させることに不確実性が残るものの、それなら確かに完全犯罪と呼べる代物だ。矛盾もないし、説得力もある。――だが、最も重要なものが欠けている」

「証拠、だろ?」

「ああその通りだ。君ももちろん覚えてはいるだろうが、私は警察のブレインハックをすでにパスしている。あるいは君のお友達が科学では説明のつかない方法で私の頭の中を盗み見たことだってあったかもしれない。それでも明確な証拠はあがらなかった……違うかね?」

 ここが最も重要な問いかけだと言わんばかりに眉をつりあげる財前。

 その財前からの指摘をレイはさらりと受け止める。

「そのことにもちゃんと説明がつく」

「聞かせてもらおう」

 ただの少しも焦りや動揺を見せない落ち着きはらったレイの態度、そうして彼によって始められる種明かしに財前が期待を寄せる顔つきになる。

「その前に聞かせてもらうが、あんたが造ったあの仮想世界――アンリアリスティック・ワールドとかいったか――あれの最大の売りはなんだと思う?」

「ふふ、開発者にそれを聞くのか」

「いいから答えろ」

「先ほどお褒め頂いたように、現実との垣根が揺らぐほどの精巧に構築された世界観だ。機械の部品一つ一つに至るまで再現されているし、自分で創り出すこともできる」

 ここでレイがコートのポケットから手を出して財前を指さす。

「そう、それだ。あの世界ではその気になれば現実に存在するものならなんでも創り出すことができる。いまだに一般普及していない空陸両用車や――ブレインハックの装置であろうとな」

 設計図の入手法など、このご時世ならいくらでもある。アンリアリスティックワールドのユーザーの中に開発に携わった者がいてがいてその記憶を盗み見たのかもしれないし、単純にハッキングかもしれない。あるいは、〈アマテラス〉からその知能を認められたこの類い稀な天才なら自力で造りあげることだって可能かもしれない。

 だが、それよりも重要なことがある。

 それはこの言葉に、初めて財前が見かけだけでない関心を示したということだ。

「……ほほう。続けたたまえ」

 その反応に気づいているのかいないのか、レイの方にはまったく変化がない。

 もとより極端なまでに他人に関心をもたないせいかもしれない。

「自家製のブレインハッカーを用意したあんたはそれに手を加え、記憶の削除すらできるように改良した」

 記憶の閲覧が可能であればそれを編集することはさして難しくはない。

「あとは仮想世界に入って自分の記憶を自ら削除すれば全ての証拠が抹消される。つまり、警察があんたの脳に手入れををしたとき、あんたは『本当に何も知らなかった』んだ」

「なるほど……それで直接サーバーを検めにきたというわけか」

「言うまでもなくな」

 仮に履歴が消されていたとしても、エドワードなら復元することができるかもしれない。少なくとも人間の意識などという財前康成以外の人間にとっては未知な領域に証拠を求めるよりかはいくらか可能性の芽がある。

「ふふ、ふふふ、面白い。いやまったく面白い。実に愉快だ。この短時間でまさか本当にここまで辿り着くとは。お見事と言うほかない」

 目の前に人を手に掛けることになんの抵抗もない殺人鬼がいるとは思えない、傲慢とすらとれるマイペースさで財前はとうとう笑い始める。あまりにもあっけらかんと。

「それは容疑を認めるということでいいんだな」

「ああそうだとも。全て君の言うとおりだ」

「……やけに素直だな」

 財前の様子から面倒ごとがこの後にも控えていることを察したレイが、気が進まなさそうに呟く。しかし、やはり財前もそれをまったく気に掛けずに、 

「なに、たいしたことではないさ。これからは切磋琢磨しあう仲になるのだから、お近づきのしるしとして、まずは勝ち星をひとつ君に譲ってあげた――それだけのことだ」

 それを聞いたレイがうなだれてため息をつく。

「はあ、その様子だとどうやらイヤな推測のほうまで当たっちまったらしい」

 対照的に、財前はにわかに色めき立つ。自らの犯罪とそのトリックを暴かれることに楽しみを見いだすのは天才ゆえの倒錯なのか、それとも単なる個人としての歪みなのか。

「……なんと。君はこのうえ、まだ私を楽しませてくれるというのか。それは是非ともお聞かせねがいたい」

「もうあんたに聞かせてやる話はない。――少なくとも『その』財前秀雄はここで終わりだ」

 グリズリーと爪を構える。

「つれないじゃないか。私はもっと君と話がしたいと言っているのに」

「カマを掘られたきゃあの世でやるんだな」

「それは残念だ。――だが仕方がない」

 そういうと財前は、余興の開始の合図のように指を鳴らした。

 すると、壁を彩るインテリアでもあったかのように沈黙していた無数のドローンが起動して宙に浮かぶ。そしてふわふらと互いに均等な距離を保ちながらレイの方へと接近してくる。財前は勝利を確信したかのように動かず、高みの見物。

「――――」

 機先を制される前にレイはグリズリーで素早く狙いを定め、引き金を引く。

 複数機を一発で仕留めるもいかんせん数が多すぎる。先ほど倉庫で相手取った以上の数が次から次へとわらわら迫ってくる。その後も動きながら電磁パルスを浴びせ続けていたが、すぐにジリ貧になり柱の陰に隠れる。

 こうなったら財前の手足の一本でも吹っ飛ばしてやるしかなさそうだと腰の後ろに手を回すが、そこにあるはずのリボルバーがない。

「――あのクソ女(アマ)」

 大方、さきほど助太刀に入ったついでに借用されたのだろう。こうなっては、グリズリーと己の肉体とのみで戦うほかない。そして、やはりすぐさまドローンが現れる。

 しかも、左右から同時に現れた挟み込まれる。機銃が回転するのを見るやいなや、レイは右のドローンを破壊すると、そのまま左に逃げる。柱の影をうまく利用しながら逃げ回るが、足に銃弾を浴び転倒してしまう。

 しかし攻撃はなおもやむことがなく腹、背中と鉛玉をぶちこまれていく。床に血の池をつくりながらも、災鬼喰らいによって傷口を修復して再び走り出す。そしてまたグリズリーで敵を墜とす。が、墜としても墜としても次から次へと湧いてくる。そしてとうとう肝心要のグリズリーまで銃弾の餌食となり、使い物にならなくなる。

「…………」

 これにより遠距離攻撃を封じられてしまったレイ。もはや万事休す――となるにはまだ早かった。

 コートの内側には、あまりにも不確定要素の大きい、しかし紛れもない切り札が遺されていたのだった。

「……」

 レイが手にとった切り札――それはデュポンからもらったLPP爆弾だった。本人の説明によれば、まだ開発段階で原理もろくに解明されていない危険しかない代物で、爆発の威力にもムラがあるとか。だがこの状況でならかえって好都合だ。自分はどれだけ爆発が大きかろうと制御できなかろうと致命傷になることはありえない。どう転んでも損は向こうにしかない。

「――――」

 巨大化させた爪で己の位置や周囲の地形を確認すると、レイはLPP爆弾を真上に向かった放り投げた。

 天井にぶつかってコツン、と音を立てたそれは直後に尋常ならざる爆発を起こし、レイが隠れていた柱ごと吹っ飛ばし、天井に穴を開け、おびただしい数の瓦礫が降ってくる。

 周囲のドローンの大半は落石によって機能停止したり、あるいは生き埋めにされたけれども、もちろん爆発の被害にあったのは敵だけではなかった。

 レイ・マーロウもまた、生きたまま瓦礫の山に埋められてしまったのだ。


「墓穴を掘るとはよく言ったものだ」

 生き埋めになったレイを見下ろしながら、財前が呟く。

 まさかこの程度で死ぬこともないだろうが、これならばそう容易く身動きすることもかなうまい。

「瓦礫の下のの様子を見てこい」

 周囲のドローンに命じると、落石を免れたドローン達が瓦礫の隙間から中の様子を窺い始める。

 ――すると。

「――!!」 

 瓦礫の中からにわかに銀色の爪が飛び出してきた。かと思うと、すぐ近くを飛んでいたドローンを鷲づかみにするとそのまま握りつぶしてしまった。

「やはり、なかなかしぶといと見える」

 銀色の爪が今度は瓦礫を掴むと、それを砕き、あるいは財前の方へ向かって放り投げてくる。風圧が届くほどの至近距離にそれは落下した。それでも財前は顔色ひとつ変えない。涼しい顔をして、まるで檻の中の獣を眺めるような目つきをしている。

 だがそれよりも不思議なのは、ドローンたちが一向にレイを攻撃しようとしないことだった。さきほど山の頂上に鎮座していた瓦礫を放り投げて寄こしたため、もはや姿を遮るものはなくもう十分顔認識によって標的と断定しうるはずなのに、発砲する気配がない。

 もちろん、あの黒い帽子やコートなどを使って顔を隠すことによって身を守っている可能性もなくはないがそういう小細工を好むようには見受けられない。

 となると、残る可能性は――。

「さっきはクラウスを守るために囮を引き受ける必要があったが、やっぱり最初からこうしておいた方がずっと早かった」

 そう話ながら瓦礫の山から現れた姿は、黒服に身を包んだ財前康成その人だった。

 レイは当初の計画どおり、財前の容姿に擬態することによってドローン達の攻撃を回避したのだった。いくら強力な武装や精密な射撃を誇ろうと、敵と認識さえされなければまったくなんの脅威にもなりえない。

「本社の入り口みたく歩容解析でもあればおしまいだったが、大雑把な認証で助かった。機械に依存する割にはお粗末な警備だな」

 いなくなった攻撃対象を探して瓦礫の山の中を必死に探すドローン。それを悠々と振り返りながらレイが呟く。

 そしてコートの中から注射器を取りだして、また首筋に打つ。

「ちっ、さっきので残りは割れちまったか」

 空になった注射器と、残りの割れた残骸を地面に投げ捨てる。

「なんにせよ、これであんたは手足をもがれたも同然だ」

 ――しかし、この窮地にあっても。

「そうかな?まだ頭脳が残ってる」

 この男、財前康成はやはりなんの同様もみせない。身体能力は比べるべくもない。頭脳は確かに優っているがそれが直接的な戦闘で役に立つ場面はそう多くはない。だからこそ、多勢を頼んで命令に忠実なドローンを大量に配置して物量で圧倒しようとしてきた。そして今や、その唯一の頼みの綱さえ無効化されたはずなのに。

「脳みそだけあったところでなにができる?」

 所詮ハッタリだと、レイは焦ることなくゆったりと財前に詰め寄る。

「まあ見ておくがいいさ」

 そして不敵に笑った財前が呟いたのは――

「システムコード:『汝悪しき神なり』」

 瞬間、いなくなった獲物を求めてさまよっていたドローンが一斉にこちらを向く。

「――」

 つまり財前は音声認識によってドローンたちに直接アクセスし、命令を書き換えようとしているのだ。

「対象を変更する。黒服の男を始末しろ」

「――」

 声に従ってドローンがレイを取り囲む。もはや逃げ場はない。周囲は完全に包囲されているしグリズリーは失われた。これだけの数を同時に相手取ることはまずもって不可能だ。

 なすすべなく立ち尽くすレイ。それを勝ち誇った笑みで見下す財前。

 そしてその奢りから来る余裕なのだろう、財前がとうとうとレイに語りかける。

「君のすべてを奪う前に、いくつか訂正しておきたいことがある。君たちは私のことを誤解しているのかもしれないが、私は人間を憎んでいない。むしろ大変面白いと思っている」

「また長そうな話が始まったな」

「まあ、そう言わないでくれたまえよ。

 ともかく、私は人間に関心を抱いていたのだが、悲しいかな、私には生まれつき心というものがない。顔のない亡霊、中身のない器――そういう風に形容すれば、君にも伝わるだろうか」

 客観視とはまたちがう距離の置き方で人間を見ているらしいことは伝わってくる。それはまるで動物か、あるいは人工知能か、異星人か、なんにせよ自分をまっとうな大多数の人間ではないと感じる疎外感だけは伝わってくる。

「人は欠けたものを補いたいと願う生き物だ。欠乏感が強ければ特にね。だから私は、ただ色んな人間の色んな表情を見てみたいだけなんだ。私は人間に対し強い関心を抱き、世界を少しでも面白くしようとしているに過ぎないんだ」

「あんたがネタを提供してくれることにワイドショーも感謝してるだろうよ」

 一貫するレイの態度に、興をそがれたような態度を見せる。

「ふう、どうやっても君は他人とわかり合おうとはしないみたいだな。まあ、そういう生き方もありだろう。仕方あるまい、さっさとすべきことをすませよう」

 そうして指揮者が演奏者に対し準備を促す合図を送るように右手をあげる。

 銃口が改めてレイに狙いをつける。

 だが、レイは平然と、

「分かっちゃいると思うが、どれだけ訛り玉をぶちこもうが俺には無意味だ。そのうち弾が尽きて、どっちみちあんたの結末はかわらない」

 そう。物量でものを言うのなら、いや、物量にものを言わせたからこそ、財前にはまったく勝機がないと言えた。なにせ相手は不死身の怪人。どれだけ殺そうが死ぬことがないのだから。

 とはいえ、そのような前提を把握しているのは、無論相手も同じだった。

「そうだろうとも、殺傷を目的として銃弾ならね。だが、これはどうかな?」

 そして、財前が指を鳴らす

「ふざけたこと――を……?」

 直後、何かが身体に刺さり(傍点)黒いコートを纏った男があっけなく地面に崩れ落ちる。どんな傷さえたちどころに治癒できる変化の災鬼喰らいをもっていたはずの化け物が、なすすべもなく倒れ伏している。

 意志が通じない手足を無理に動かそうとしては、指先がわずかに震えるばかり。

 満足に開かない唇でレイが、

「……っ、ま、すいだ、と――」

 すると財前が仕留めた虎を愛でるようにその枕元にかがみ込む。

「さあ、美しい寝顔を見せておくれ。君の能力を初めて知った時から、私はずっとその身体が欲しくてたまらないんだ。思いのほか手間取ったが、まあ、あれはあれでいい余興だった」

 そしてレイの痩せこけた頬にそっと手を伸ばし、

「これで君もゲームオーバーだ、ミスターシザーハンド」

 すると。

「俺はあんたの顔を見るだけでヘドが出そうだ」

 指先が頬に触れようかという直前、力強い腕に手首を握られる。

「おい、麻酔が足りてないぞ早くう――」

 ここに来て初めて財前が焦りの表情を見せた。それだけ計算外の出来事だったのだろう。 

 しかし財前が命令を言い終えるよりも素早く、レイは掴んだ手首を強引に捻り挙げ、その先を封じた。うめきながら地面に転がされる財前と対照的にレイは立ち上がり自分に刺さった麻酔の入った注射針を抜いた。

「もう遅い」

 レイがそう呟くと、部屋に設置されたスピーカーから、突如として音が漏れてくる。

「システムコード:『汝悪しき神なり』」

 スピーカーから聞こえてくるのは、ほんの十数秒前に財前が発した声そのものだった。

「く――」

 続いて、陽気で太い男の声。

「レイ、お手柄だ!お前さんのおかげでこっちの仕事は片付いた。あっという間にシステムを掌握しちまったぜ。そっちでなんか手伝えることはあるか?」

「無用だ」

「そうか、ま、手早くすませて今日は一杯飲もうぜ、兄弟!」

 それだけ告げると、通信が切れ、再びスピーカーが沈黙した。

 と、同時に宙に浮いていたドローンたちが気絶させられた人間のように一斉に機能を停止して落下し始める。そこら中で金属が硬い床にぶつかる高い音が響き渡って、その余韻が嫌味なほどに長く尾を引いた。

 一部始終を見届けた財前は、ここでようやく罠にはめられたのが自分であったことに気がついた。穴の開いた天井を眺めながら、

「天井を壊した本当の狙いは、外部との通信を回復することだったか」

 と感心そうに呟いた。それからレイの方に向き直って、

「それにっしても、なぜそうも元気でいられるんだ?君の能力は代謝にも関係しているのかね」

 それに対してレイは、地面に散らばった注射器の破片をあごで示す。

「なるほど、麻酔拮抗薬か。てっきり麻薬かなにかかと」

「まあそれも免疫ができるぐらいにはやってるがな」

「……君は思ってたより用意周到なようだ。どうして私が麻酔を使用すると分かった?」

「あのサイボーグだ」

 そうしてレイは最後の種明かしを始める。

「人間不信で有名なあんたがなぜあの場面でだけ人間を使ったのかずっと疑問だった。おかげでやつはヘマをやらかし、あんたは公社に目をつけられることになった。が、実際は違った。むしろ逆だったんだ。それも計算のうちで、あんたはわざと公社にエサをまい。その理由も調べを進めていくようにわかってきた」

「……これは驚いたな。なにもかもが私の想像以上だ」

 さすがの財前にも苦笑の色が現れ始める。

「あんたは人間の意識を抽出することに初めて成功し、その複製や上書きもお手のものときた。ということは、その機になれば、無限に自分の意識を覆製することも、自分の意識をユーザーに上書きして乗っ取ることも可能ってわけだ」

 ホログラフ投影装置は先ほどの瓦礫で故障してしまったが、今さら必要あるまい。

「実際、あんたはそうしてる。公社の人間に調べさせたが、数百億あるはずのあんたの預金口座はどういうわけか空だった。必ず入金した次の日には全額引き落とされてる。大方クレジットチップにでもかえてあんたのコピーが持ち歩いてるんだろう。そこで、だ。その機になれば肉体を入れ替え続けて不老不死にもなれるあんた次に考えることはなにか?」

「――より優れた器」

「そう、単なる不老不死以上のものを望んだ。乗り換えを行う必要もなく、外見も、細胞でさえも自由に変化させることのできる器。それがあんたの狙いだと分かった。だから、追い詰めたあとに隙を見せれば、あんたは必ず生け捕りをしにくるはずだと踏んだ」

「駆け引きで重要なのは、隙を見せないことではなく、隙を掴んだと相手に思い込ませること、というわけか。なるほど学ばせてもらったよ」

「その教訓を生かすチャンスはもうないがな」

 レイが財前ににじりよる。

「だが楽しむことはできた。私は生まれて初めて高揚感を覚えたよ、ミスターシザーハンド。それもこれも君のおかげだ。君が災鬼喰らいを身に宿す能力者として苦悩を抱えてきたように、私にもそれなりの孤独と退屈があった。それも今では報われた。こんなにも素敵な競争相手に恵まれたのだからね。死ぬことのない君となら終わらないゲームが楽しめそうだ」

「俺の知ったことじゃない」

「そうつれなくししないでくれ。君が先ほど言い当てたように、私には数百を超えるコピーがいて、この日本中に潜伏している。そうしてまた面白い企てを実行に移す時をいまかいまかと待ち望んでいるんだ。君は否応なしに振り回されることになる。きっと私に振り向く時がくるよ」

「言いたいことはそれだけか?」

 銀色の爪が財前の首筋にあてがわれ、人工の月明かりを受けてきらりと光る。

「待つんだ。まあ、落ち着いて聞きたまえよ。君は感じたことはないかね?その能力を忌まわしいものだと。自らの不死身を終わりのない地獄のようだと」

「…………」

 仮想世界の神となり、現実世界においても非凡な才能と莫大な富を手にした成功者が、しかし虚ろな心と過酷な渇きを告白し、同じ空洞を抱える殺人鬼に囁きかける。

「私ならそれを肩代わりすることができる。なんの見返りも求めず、苦痛も与えない。君が望みさえすれば、君がこれまで味わってきた、そしてこれからも未来永劫に続くその苦悩を、孤独を、苦痛を、退屈を、私が引き継いであげてもいいと言ってるんだ」

「………………」

「今すぐに答えを出せとは言わない。なんであろうと長年手にしてきたものには愛着が湧いてしまうものだろうから。――いくら君が怪物であったとしても、ね。だが私は待っている。そしていつか必ず君のその肉体を迎えに行くと約束しよう」

 それは勝利を確信したものの笑みだった。万事を手にする未来を見据えた余裕だった。

 ――しかし。

「ほざいてろ」

 レイ・マーロウの返答は胸のど真ん中を貫く一撃だった。

「――――」

 財前にも痛覚そのもはあると見えて、目が苦痛に見開かれる。

 無機質な光沢を放つ銀色の爪、胸を貫き背中まで貫通したその刃物のような手の中には今も脈打つ心臓が握られている。

「これであんたもゲームオーバーだ」

 そしてレイが力を込めて全てを終わらせようとした直前。

「いいや、始まりさ。新しいゲームのね」

 悪魔が最期の囁きを残していった。

「…………」

 レイはそれにはもう応えず、当然のように心臓を握りつぶした。

 あたりには血の海ができ、その中で崩れ落ちた財前の白いスーツが真っ赤に染まっていく。それは留まることを知らず、放っておけばどこまでも際限なく広がっていくかのように思われた。



 

 数週間後。

『本日未明、Z.Games社の社長、財前康成氏の遺体が自宅で発見されました。連続爆破事件との関与が疑われたことによる様々な憶測や批判を苦にしての自殺だと見られています。ですが、警察の調べによると事件との関係を証明するものは何も発見されていないとのことで――』

 壁面パネルが公社の用意したカバーストーリーを垂れ流している。

 結局、あの後エドワードの手によってレイの仮説を裏付けるいくつもの証拠があがった。あえて彼らに見せびらかすために残していった置き土産なのではないかと疑うほどあからさまなものもあった。特に、アンリアリスティックワールド内で発見された、人類史上初めて意識の覆製に成功した装置については多くの識者を招いてみても誰も原理を明らかにすることができなかった。それほどまでに卓越した頭脳の持ち主だったのであろう。

 驚嘆する彼らの様子を思い浮かべて、財前が愉快そうに口元を歪める様が目に見えるかのようだった。財前からすれば、自分の手口や発明を自慢することは、芸術家が作品を大衆に向けて誇示するのと変わらないものかもしれない。

「………………」

 いずれにせよ、レイがヴィクトリアから与えられた指令は終わった。

 ゆえに、いつものようにこうして浮浪者となって道端に座り込んでいる。

 この廃人同然の無気力な状態がレイ・マーロウにとっての平常だった。

 すると、

「ニャーオ」

 その足下に黒猫がすりよってくる。

「…………」

 レイは無碍に追い払うでも、頭を撫でてやるでもない。

 最初からなにもいないかのように、あるいは深い昏睡に陥ってしまったかのように虚ろな目を漫然と開いているのみである。

 その様子から、この人間にすり寄っても利益はないと判断した黒猫が早くも見切りをつけようとしたところへ――

「――――」

 ある通行人が無言で施しをして去って行く。

 黒猫が足を止めて、振り返る。

 ホームレスはだるそうに端末を取り出して、投げ銭の金額を確認すると、また壁に大きくもたれかかった。そしておもむろに注射器を取り出して首元に当てると、甘い息をもらしてから立ち上がった。

 歩き去って行くその後ろ姿を、黒猫がいつまでも見つめていた。


 [エリア1ー葦原区]。行政の中核をなす建物が集中する日本の中心。

 最も警備の厳重なこのエリアにおいて、その警備を司る組織があった。

 それこそが悪名高き[日本防犯公社]であった。

 その公社が所有する巨大ビルのエレベータの中。

 葬式の帰りのような黒ずくめの服を着崩した、白髪の男の姿があった。

「…………」

 その男、レイ・マーロウは彼らが所属するチームのボス――ヴィクトリア・フォン・バレンシュタイン――に呼び出されて最上階へと向かう途中であった。

 一八〇度外を見渡せるチューブ状のエレベーターが上がっていくにつれて、壁に覆われた急ごしらえの町並みが小さくなっていく。そうしてだんだんと人工の空へ、文字通り物理的に手が届きそうなほど接近していく。

 それでも、とレイは考える。

 ヴァレンシュタインの抱く野望は、この日本程度の広さでは収まらない。あの超巨大ドーム〈ナカツクニ〉を突き破り、空を越えて、大気圏すら突き抜けてもまだ足りない。

 あいつは、比喩でもなんでもなく、この世のすべてを手にするつもりなのだ。

 旧文明の時代であればそんな大それた誇大妄想は物笑いの種にすらなりえなかったであろう。けれど、大厄災以降もはや物理法則をはじめ、あらゆる常識と秩序が崩壊したこの

世界においては世界の頂点に君臨するという野望は、それに相応しい実力と手足となる配下さえいればあながち荒唐無稽は話でもない。実際問題として、ヴァレンシュタインは[日本防犯公社]を立ち上げてものの数年でここまで強大な組織へと成長させた。そうして表向きの日本の社会をほとんど意のままに操るだけの力を手にしている。そうしてその強欲は衰えるどころか、ますます肥大化していっている。

「…………」

 そうしているうちにエレベーターが停止する。

 日本有数の高さを誇るビルの頂上へようやく到着したのだった。

 やがて目の前のドアが開き、レイは廊下へと一歩踏み出す。

 その背後で客を降ろした無人のエレベーターが再び地上へと戻っていく。それは、相対的な味方にはなるけれど、奈落へ続くかと思われるほどあまりに長い道のりだった。


 社長室をノックすると、すぐに返事がくる。

 ドアを開けると、馬鹿げた値段のつきそうな絨毯の向こう、デカすぎるデスクの奥に目当ての人物、ヴィクトリアがいた。

 色素の薄い髪色をしたヴィクトリアがつややかな金髪のフィリーを膝に抱え、そのフィリーはエリマキトカゲのぬいぐるみ――たしかエリザベスといった――を抱えている。

「こうしてみると姉妹みたいだな」

 少し手前で足を止めてレイが言う。

「聞いたか?お嬢様」

 ヴィクトリアが後ろからフィリーを抱きしめながら尋ねる。

「ヴィクトリアとエリザベスに挟まれているから……さしずめフィリーはメアリーかアンといったところだな」

「それ、なあに?」

「遠い島国の女王様の名前さ。だが――そうだな、アンだと名字がビリーと被るし、メアリーの方がいいだろう」

 ヴィクトリア自身を始めとして、公社のエージェントはファーストネームとファミリーネームが連続するアルファベットとなるようにコードネームを与えられる。

「でもMはレイが使ってるわよ?」

「じゃあ改名させればいい。任務のたびに名前も姿も変わるんだ、コードネームだって一回くらい変えても問題ない。なあレイ、どんな名前がいい?」

 何食わぬ顔で聞いてくる。

「女王陛下のお気に召すように」

 我関せずといった無愛想な態度で応える。すると

「でもあたし、フィリーって名前も気に入ってるわ。だってお姉ちゃんがつけてくれた名前なんだもの」

 それを聞いたヴィクトリアがフィリーの額にキスをする。

「私のフィリーはいつも可愛いな。このあと一緒にランチにしよう」

「うん、楽しみ」

「よし、じゃあ私はレイと少し話をするから、セバスに準備を頼んでおいで」

「わかった」

 そういうと素直に膝から降りてたたた、と駆け足でドアの前まで走り寄る。

 そうして入り口のところで振り返ってから

「またね」

 と、ぬいぐるみの前足をぱたぱた振って挨拶する。

 ヴィクトリアも満面の笑みでそれに応える。

「レイ、お前も」

「ん?――ああ…………」

 促されてレイも振り返り、コートに突っ込んでいた手を片方だけ出して少しあげる。

 やがてフィリーが去ってから、

「邪魔したか?」

 と聞くと、

「いいや、呼び出したのこっちの方だ。かけてくれ」

 と椅子を勧めてくる。

「必要ない」

 始めから長話をするつもりのない男である。

「そうか。ならこのまま話させてもらうが、用事というのは、ほかでもない――財前康成についてのことだ」

 ――財前康成。

 とんでもない宣戦布告をして消えていった〈指揮者〉のその後は、依然として暗闇の中にある。そもそも、一体あと何人の〈財前〉がいるのかすら明らかになっていない。

 こうなってしまうと公社としても手の打ちようがなく「向こうが仕掛けてきたら、尻尾を掴む」しかないとヴィクトリアも口にしていたほどだ。

「私もいくつかツテを頼ってみたんだが、どれもからっきしだ。お前の方は何か手がかりが手に入ったか?」

 レイは無言で首を振る。

「そう、か。やつが堂々と身体を乗っ取ると言った以上はそのうち何らかのコンタクトがあるんだろうが――どうやら先の話になりそうだな」

「あいつはもう〈指揮者〉からは手を引いたのか」

「ん?ああ、あの話か」 

 するとヴィクトリアは、マジックの種明かしをするのを面白がるような顔つきになって、イタズラっぽく笑ってみせる。

「〈指揮者〉なんて最初からどこにもいはしなかったよ」

 そしてとうとうと話し始める。

 [アンリアリスティックワールド]が流行する以前と以降の犯罪発生率を比較すると、確かに明らかな上昇傾向はあるものの、それは微々たるものであった。とはいえ、その一つ一つが国家を揺るがすほどの大規模なものであるため、決して甘く見ることはできないのだけれど、それよりも重要な問題があった。

 それは、[アンリアリスティックワールド]が市場に出回る前から犯罪発生率そのものは上昇傾向にあったのだ。つまり、財前が何かをしようとしまいと、社会全体の大きなうねりとしては最初から人々の間に変化はなく、財前はあくまでもそれを「教唆」ないし「誘導」したにすぎなかったのだ。

「『善悪の判断がつかなくなり、凶暴化する』――テレビでよく目にする言葉だが、これは別段ゲームのせいじゃない。あいつら一人一人の人格が、それを形勢する社会環境がそもそも倫理や規範を失いつつある。だが誰もそれをとめることはできないんだ。一体誰が地球の自転をとめようなんて思う?」

 そしてそれが本当に正しいことなのか――ヴィクトリアは、そうつけたした。

「とどのつまり、誰も最初から指揮者なんて見てなかったんだ。

 やつは指揮棒を振っているつもりだったらしいが、別にそんなことをせずとも、誰が背中を押さずとも、犯罪を犯すような連中は遠からず自滅するし、その逆も然りだ。

 あるいは、財前自身にとってすらただの実験か娯楽か、はたまた私たちを釣るためのエサに過ぎなかったのかもしれんが」

 すべてはゲームに過ぎなかった、それがこの事件の「本当の」真相だった。

 ヴァレンシュタインにとっても、財前にとっても何十人もの死者を出した一連の事件は、自分の駒を前に進めるためのお膳立てのひとつにすぎなかった。だが、財前が犯罪を助長した、あるいは助長しようとしたことは紛れもない事実であり、それを合法的に裁くことも不可能だった。そしてなにより、人は理由も無く過ちを犯し、他人を殺す生き物なのだと納得できるほど人々は利口ではない。

 だからこそ、なんにせよ、何らかの形でこの事件にケリをつけ、犯罪者の尻を拭い、カバーストーリーを垂れ流しまやかしの安心を提供する存在が必要なのだった。

 それは麻薬や鎮静剤と似たような役割をこの社会において果たすものでもある。

「だがまあ……我々にとっては好都合だった。おかげさまでまた株もあがった」

 そういってヴィクトリアは玉座のような椅子の背もたれに深くもたれる。

 この裏社会を牛耳る女上司は、残された[アンリアリスティックワールド]を、犯罪の温床であったものすらも自身の出世の道具としたのだった。

 ヴィクトリアは事件の真相を伝えた上で、直接会った〈アマテラス〉にこのゲームの有用性を説いた。システム自体の完成度は高いため、人間の反社会性心理の分析に役立つこと、このゲームの犯罪傾向リストを利用することで現実でのテロを呼ぼう対策することができること。

 実は〈アマテラス〉には国家特別顧問の地位を与えられたときの制約により、人間社会の監視および干渉は認められていないのだ。それは機械や人工知能によるディストピアの構築を阻止するための安全装置としての制約だった。ところが、現実世界ではなくゲーム内の監視であればいっさい制限されていない。

 今回の事件のような事態を防ぐべく、〈アマテラス〉による仮想世界内の監視、および公社の息のかかった人間からなる第三者委員会を設置し、取締役員も何人か入れ替えて事実上公社の傘下にすることで会社からも監視の目を行き届かせることをもちかけた。

 ミカジメ料によって公社の懐は潤い、さらに財前がこの事件で行ったほぼすべての好意を公社も行うことができるようになった。その気になれば、ヴィクトリアが〈指揮者〉の真似事をすることすら可能なのだ。

「だから、今回のボーナスは弾んでおこう」

 そういって引き出しから何かを取り出す。

 それに対してレイが、

「最初からそれが狙いだったんだろ」

 ただ一言だけ投げかけると、彼の上司は曖昧に、しかし余裕を浮かべて

「私から言えるのは、この件でもお前はよくやってくれたということだけだ」

 クレジットチップを差し出した。おそらく、簡単に他人の人生を左右できるほどの金が入っているのだろう。

「金はいつもの通り口座に振り込んでおいてくれ」

 金銭に無頓着なレイは、しかし一向に顔色を変えない。

「また預金の限度額を越えたんだ。溜め込むばかりで一向に使わないから口座がいくつあっても足りない」

 ヴィクトリアがそうわざとらしく嘆いて見せると、

「なら、あんたのポケットにでもいれればいい」

 それだけ言い残すと、話は終わったとばかりに背を向けてレイは部屋を後にした。


 来たときと同じように、憂鬱になるほど長いエレベーターで地上に戻ってきた。

 そうして公社のビルから外へ出ると、聞き慣れた声に話しかけられた。

「これはこれは旦那。ご機嫌うるわしゅう」

 振り返ると、おっかないほど背の曲がった小悪党じみた男がいる。

「カーターか」

「ボーナス、今回も大盤振る舞いでしたねえ」

「らしいな。手をつけてないから知らんが」

「ひひっ、旦那はもう少し人生ってのを楽しまなくっちゃあもったいないですぜ」

「嫌味を言うためにそこで待っていたのか?」

「いえ、そういうわけじゃあ……」

 そういってそのまま去って行きそうな気配を見せたビリーが、なにか思い出した顔をして再びレイに話しかける。

「そういやあ、ご存じですかい?あんな事件があったってえのに、〈アマテラス〉が移住先として用意した仮想世界への希望者を募ってるそうなんでさあ。聞くところによると、初期の移住実験に参加した人間にゃものすごい額のゲーム内通貨が支給されるって話で、あんまり希望者が殺到したもんだから、抽選になったそうですよ」

「…………」

「ひひひ、これを聞いたらあっし、ひひ、おかしくって。だってもうみんなもうわくわくなんですよ?昔と違って今はなんでも便利になって、戦争になんざかりだされる心配もありやせんし、娯楽だって飽和するほど溢れてる。飯に困るどころか働かなくったっていいご時世、こんなんで大した不満もないはずなんですがね」

「移住先じゃなくて、新しいゲームだと思ってるんだろう」

 通りを行き交う自動運転の車の座席を見ながらレイが呟く。

 もしものことが起こらないとも限らないのに、交通状況を注意する者がないないどころか、窓の外に関心を示す者すらいない。たいていの人間は、ウェアラブル端末によってネットに接続してそれに夢中になっているものばかり。

 あれでは車に窓がついている意味がない。

「そのとおりでございやす。ゲームなんです、もしかしたら命に関わるような問題が起こるかも知れないってのに誰もそんなこと真剣に考えちゃいないんです」

 そうしてビリーもレイが見ているものと同じものを見やりながら、

 こりゃあ大した皮肉なんですが、

 そう呟いてから話し出す。

「ローマ市民の生活、なんていやあ聞こえはいいですが、何もせずとも生きられるってのは……それはつまり生きてるんじゃなくて生かされてるのとおんなじなんでしょうね。みんな自分で生きてる感覚がしないから危ないのひとつやふたつでもしてなきゃ退屈で死んじまうんでしょう」

 するとレイはその言葉を鼻で笑って

「耳の痛い話だ」

 と吐き捨てて歩き出した。

 後ろでは卑屈そうな男がくっく、と笑いをもらしながら

「不死身の旦那にゃ、酷な話でしたかね」

 と一人で満足そうに喋っていた。

 そうしてレイは目の前に広がる雑踏の中へと溶け込んでいく。

 その中に入ってしまえば、もはや彼はレイ・マーロウですらなくなる。

 正体のない有象無象の、踊らされ流される大きなうねりは、他人にも、他ならぬ自分自身にも無関心なまま、皮肉に満ちた怪物のように、あるいは淀みきった風のように見せかけの空の下を徘徊するのであった。

 その、彼らの頭の上。

 誰にも感心を示されない巨大な街頭ディスプレイ。

 そこに新しいニュースが映し出される。

 人工知能がデザインし、そして発声させているバーチャルニュースキャスターが用意されたとおりの原稿を正確に読み上げていく。


『速報です。ついさきほど採決された、空陸両用車の一般化を検討する法案が与野党一致で可決されました――』


                                    〈完〉




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??? 石上あさ @1273795

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