応援コメント

「四畳半襖の下張」最高裁判例」への応援コメント


  • 編集済

    黙れば黙るほど、か。戦時的思考……
    私がエロを表現してた時は改めて思うと批判的思考からだったのかも。
    エロに対する批判と否定。一種の崖から突き落とされる感覚に対して怖さと恐れがあったから。

    見られている、というのがあって、見えてない自分が見えるのか……。

    書いてた時は書いてるのが私じゃないから私の意図が見えないんだよな……。

  • エロを描くというのは、どこか挑戦的な行為でもありますね。単純に煽って商売にしたい輩もいるのかもしれませんが、商売ではないこのようなサイトであえて描こうとするのは作者にもこだわりがあり、表現したいという気概があるからだと思います。

    いまも昔も取り締まられつつ、それでも描こうとする表現者と当局(?)の闘いの歴史ですが、個人的には、すべてが許されてしまうとエロスはエロスでなくなってしまうのかな、という思いがあります。

    なので、取り締まる側も役割というか、演出?的な存在でもあり、狩ろうとする側がいてこそエロスが輝き魅惑に映るのかなという気もします・・・取り締まられたら嫌ですけどね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    確かにそれも一理あるかもしれませんね。

    見慣れると全く嫌らしく見えないことも、隠されると嫌らしいという話を昨日聞いたところです。

    日本では全員がマスクしているために、もはや、マスクしていない唇を見るだけで興奮するという……話。

    俺自身はそんなことありません。

    一歩進んだら、取り締まりとか関係ない気がするんですよね。ある一種の力関係というか。

    どうしても負けてしまう、こんなの恥ずかしいという顔をした相手の方が負け。
    俺は厚顔無恥だから、だからどうした?という顔をするので勝つんです。そこに国家権力は要りません。

    まあ、電車の痴漢には国家権力が介入した方がいいでしょうね。やはり行為は合意の上でないとダメなので。

    俺がエロを描くのは挑戦というのは当たってます。