第16話 ブックカバーのされた恋
最近は、女性に「彼氏いるの?」と聞くことさえ、ご法度らしい。
女性に対して、男性のパートナーということが差別的で、そう言われれば、確かに「彼氏」というと男性を思い浮かべる。
同性愛の方への配慮が、と叩かれるわけだ。ただ、同性同士でも「女性的役割を彼女」「男性的役割を彼氏」とも言うらしい。
更には、無性愛の方もいることを考えれば、パートナーを持つことを前提とした、この質問も、宜しく無い。
差別に敏感になる昨今に、働くことに対しても多様な考え方が広まっている。
プライベートなことを、職場で聞くことも憚れる。
血液型を聞くこともダメと言われた時は、もう何がダメなのか分からなくなった。僕のひねり出した答えは、「血液型診断の占いを勝手にされてしまう危険性」だった。
そういえば、血液型による性格の違いということ気にするのは日本人だけらしい。脳科学的には、なんの根拠もない、というのはテレビの受け売りだ。
というわけで、僕はあの人に彼氏がいるかどうかさえ聞けないでいる。
社会の風潮のせいにしても、結局は自分が臆病なだけ、ということは分かっている。
恋愛、自己啓発、デートスポットの特集、その手の本は沢山目の前にあるというのに。
静かで広いフロアに棚が規則正しく並んでいる。音楽が流れているが、意識しないと音が流れていることさえ気づかないだろう。
ジャンルごとの棚には、それを示す看板がある。棚にぴっちりと埋まった本の下には平積みの本。
棚の端にあたるところには、新刊やオススメの本が平積みで綺麗に並んでいた。色とりどりの表紙に、帯がかけられている。
駅の近くの本屋は、最近の本離れとは思えないほど、人が絶えずいる。ただ、混んでいるわけではなく、通常で10人。夕方になると15人くらいがいる、程度だ。
レジに行列ができるわけではなく、立ち読みをする人、ふらふらと棚と棚の間を歩く人、子供を連れたお母さん、気難しい顔をしたご高齢の方が、思い思いに過ごしている感じだ。
本屋業界では名前の知られている本屋だが、その個々の店舗になると規模は様々である。この店舗はというと、駅の近くでありながら、ワンフロア、そこそこ広い方の面積だ。
「すいません」と声を掛けられ、返事をしながら声の方に顔を向けた。
新刊の本に透明なパウチみたいにするシュリンク包装の作業中だった。僕に声を掛けてきたのは、大学生くらいの男性だった。リュックを背中に片方だけかけ、携帯を持ったまま立っていた。
「この本を探しているんですけど」
と言いながら手帳に貼ってある付箋をこちらに見せるように、差し出した。
見せられた付箋には本のタイトルと作者が書いてあった。タイトルと作者の字は、走り書きで、読めないわけではないが、よく見るように少し前に出た。
膨大にある本の中から一冊を探すことは到底難しく、大体はレジの隣に置いているパソコンで検索をする。そもそも、この本屋にあるとは限らない。
ただ、メモされた本のタイトルは話題のもので、検索をするまでもなかった。
「こちらの本でしたら、レジ近くにコーナーができております。ご案内いたします」
ワンフロアしかない本屋で、さほど遠くない距離だが、なんとなく不慣れそうということを感じ取って、コーナーの場所まで案内することにした。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言われ、軽くお辞儀をして、先に歩き出した。後ろを、男性がついてきているのを感じながら、店内の入口近くへと進んだ。
入口近くにできた特設コーナーでは、現在映画化されている原作をまとめていた。このコーナーの担当は、あの人だったことを思い出し、にやけそうになるのを抑える。
コーナーの前に立つと、さっき見た本のタイトルを目だけで探す。
「こちらの本で宜しいでしょうか」
コーナーに並んだ本の中から見つけた、タイトルが同じものを指しながら声をかける。
「あ、あぁ、そうですね。ありがとうございます」
そういうと、本の方に意識が移ったようだった。小さな声で「失礼します」と言って、その場を離れ、作業していた本棚に戻った。
入口近くにあったのに、見なかったということは、あまり多く本屋を利用するタイプではなさそうだなと思った。あの反応をみるに自分が欲しいというよりは、誰かに頼まれたものでは、と想像した。
シュリンクの作業に戻ると、それほどかからず、終わった。
フロアでの作業を終えてレジに戻ると、レジに立っているのは、あの人だった。
こちらに気づいて
「お疲れ様ー」
と声を掛けてくれる。
あちらのほうが先輩なのに、とも思うのに、そういうことを気にしないで接してくれるところも好きだった。同じように挨拶を返すと、レジのそばに立っている先輩の後ろを通って奥に進んだ。
「シュリンク?」
「あ、はい。出す分だけは、してあります」
奥のパソコンの前についたものの、こちらに体を向けて話す先輩に対するようにパソコンとは反対方向を向いた。
「ありがとー。明日の朝はシフト入ってる?」
「はい」
同じエプロンなのに、どうして先輩がエプロンをしている姿は、おしとやかっぽいのだろうか。それでいて、くだけた話し方をするから、ギャップだと思う。
「それなら一緒だ」
こうして、にこっと笑ってくれるのは、反則だと思う。
「そう、ですね」
朝から一緒とか、ドキドキする、なんて僕は男子中学生か。と一人ツッコミをするのは、大学卒業してからは数年経つ成人男性だ。
一緒とはいえ、新しい本の数は多く、同じ棚で作業とはいかない。
更にはオープン前で作業が終わればいいが、終わらないと片方はレジに向かうことになるので、まぁ、いつも通りだ。
うわついた気持ちが、ちょっとずつ冷静になって萎んでいく。
「あ、自分用なんで、大丈夫です」
とレジから聞こえてきた声に、あ、さっきの、と一瞬作業を止めた。ちらりと盗み見ると、今、命名した、たぶん大学生くん、だった。
自分用だったか、と予想が外れたことに、ちょっと残念な気持ちが湧く。
自分用なのに自分で欲しい感じがあまりなかったのは、誰かからオススメされたものだったかと、次の想像をしたが、その答え合わせはできないだろうと思う。
会計が終わり、店の外に行く、たぶん大学生くんに
「ありがとうございました」
入口に向かう背中に声をかけた。
「今の人、映画の原作じゃなくて、その次の作品だったけど、大丈夫かな」
と先輩の声は、独り言ではなかったようで。さっき対応してたよね?と、疑問形が続いた。パソコンから視線を外して、体ごと先輩に向かうようにして
「メモには、確かにそう書いてあったので大丈夫だと思いますよ」
としっかり答えた。
間違った本を買ったわけではないことに少しほっとした様子の先輩は、
「へー不思議」
と感想を述べる。
「普通、今、映画のを読むんじゃない?」
首を傾げながら、レジ近くに置いていた先輩の私物である文庫本を手に取った。先輩の私物ということは、布製のブックカバーがかかっているから変わることで、逆にいえば、タイトルがそれでは見えなかった。
「映画は観終わって、関連本を読みたくなったとか」
「映画いいのかなー?」
表紙部分をめくってタイトルが見えるようにしてくれると、そこには現在映画をやっている原作だった。
「どうでしょう?」
まだ映画を観ていないので、こんな回答しかできない、自分にもどかしさを感じる。
それよりも、原作ファンだという先輩なので、映画も既に観に行ったと思っていただけに、まだ観に行っていないことが意外だった。情報ゲット!と心の中で天を仰いだ。
「なんか嬉しいなー」
ニコニコしている先輩に聞き返す。
「あの本、そんなに有名ってわけじゃないから」
苦笑いする先輩の顔は、笑顔の次に好きだ。困った時にでも、笑顔でいようとするような、そんな顔。
先輩と本の趣味は違っていて、好きな本について語ることがある。でも、オススメだから読んで、とは言われない。
そういう気遣いのできる先輩だから、僕の好きな本もオススメしたことはない。
先輩が企画した入口近くの特設コーナーに目をやり、また先輩に視線を戻した。
「そういえば、次の特設コーナーの企画、決まった?」
「あー、えっと、‥‥まだです」
歯切れ悪くいうと心配そうに
「そっか。何か力になれそうなことがあれば遠慮なく言ってね」
と言ってくれる。
気遣いにお礼を言いながら、内心では謝っていた。
企画の相談といえば、先輩と話すことができる。だけど、下心が出てしまいそうで、怖い。というか、下心しかないだろう。
加えて、下心があっていいじゃないか、と割り切れるほど、僕は恋愛上級者じゃない。
いっそ、企画「恋愛」とかどうだろうか。
「恋、してるの?」
そう先輩に声を掛けられたら、
「先輩に」
と言えるのだろうか。
いやいや、そんなキザな告白は出来そうにない、と打ち消した。これまでの経験上によると、先輩が僕に、その手の質問する確率が低い気がする。
企画テーマ「恋愛」では範囲が広い。「片想い特集とか?」と想像しただけで、絶対準備しながら、苦しくなるやつだなと、却下した。
恋愛の話もしにくい。
恋愛の噂もできない。
僕の気持ちが噂になることもない。
それは、ほっとするような、もどかしいような気がした。
おわり
『古今和歌集』巻第十一 恋一 四八五
よみ人知らず
刈り取った菰のように、思い乱れて私が恋い慕っていると、あの人は知らないだろう。
誰かがそれと知らせてくれなければ。
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