第15話 制服が見えなくなるまで
「〇〇ちゃんは」
それに続く、人から見た私のイメージは「真面目」「クール」「頭よさそう」ばかりだ。
確かに、いわゆる進学校の高校に通い、平日の2日間は、塾に通っている。更に、校則を守った黒髪に、黒ゴムで二つにしばった髪型が相まって、そう見られること多い。
私はそれを聞いても、そうだなと思うし、別に嫌というわけでもない。
ただ、イメージを言う人の温度は感じ取れる。単純に褒めてくれる人もいれば、嫌みでいう人、揶揄っての言葉、それを区別できないほど幼くない。割り切って受け入れるほど、ロボットのような精神もしていなから、悪口と分かれば、やはり傷つく。
進学校では授業も難しいし、宿題も多い。ついていくことが大変なので、更に塾に行くとなると、結構な負担ではある。私には、なりたい職業もやりたいこともない。それでも今、塾に通うことは私の意思である。
塾は学校から電車を使う。学校の最寄りの駅や自宅から近い塾は沢山あるが、あえてこの電車を使っていく塾に通っている。
この塾を選んだ理由は、最初、同じ学校の生徒が少ないからだった。授業の補完ぐらいの気持ちで、それほど力を入れてはいなかった。今は、通う日数こそ増やしていないけど、学校と同じくらい塾の授業も頑張っている。
塾は個別とグループがあり、高校生は個別指導のみを行っている。5教科から教科を選べ、私は、数学と英語の2教科を取っている。
先生は、大学生がほとんどだ。歳が近いといって親しみやすく感じる人もいて、友達のような接し方をみるたびに、自分ではとてもできないと思う。
私の英語担当の先生も現役の大学生だと聞いた。いくら歳が近いといっても、高校生と大学生という、そこには大きな壁みたいな、線引きがある。
個別指導の担当の先生は、基本的に固定で、この先生になって数カ月経つ。塾の先生は基本的にスーツで、“おとな“の人だ。
高校生の私からみれば、先生は“おとな”だ。
今日は英語。先生の授業の日。
「こんばんはー」
と塾の先生たちがお出迎えをしていた。塾に続く階段傍の前に立って、ばらばらと塾に来た生徒に声をかける。
元気に声をかける中学生の横で、小さな声で、ぼそりという。
先生たちは全員がこうしてお出迎えするわけではなく、交代で行っているらしい。ざっとみた中で英語の担当の先生の姿は見つけられなかった。
今日は先生、中なのかな。
お出迎えに先生の姿がみえないことを残念に思いながら、俯き加減で塾のある2階に続く階段を登っていく。
塾の扉は開いていて、入ると正面に受付カウンターがある。その後ろが先生たちの普段いる場所で、学校でいうところの職員室だ。壁が無く、フロア全てが見渡せるようになっている。数人の先生たちが忙しなく動いている。
受付カウンターを左に曲がって、個別指導の教室に向かおうとすると、カウンターの後ろから聞こえた、自分の名前を呼ぶ声に少し顔を上げた。
「早いね。あ、こんばんは」
そういってニコリと笑う先生の顔を見て、驚きに一瞬足をとめた。
「こ、こんばんは」
そう小さな声で返事をする。肩に掛けたスクール鞄の取っ手をぎゅっと握った。
「先生、この模試の申込み、生徒に渡してくださいね」
と事務の人から声が掛かり、
「え、あ、はい。分かりました」
と自分とは反対の方向を向いてしまう。
邪魔しちゃいけないと、再び歩き出したところで、再び名前を呼ばれた。
「ごめんね。先生も早めに行くからね」
そして、チョップするように片手で謝る。
事務の人の方へ歩いていく姿から視線を外して、先生たちのいる場所から教室の並ぶほうに歩き、角を曲がって死角になったところで、ため息をついた。
先生、今日もかっこよかった。
ドキドキしたのを落ち着けるようにスクール鞄をぎゅっと抱きしめた。
授業より早めに先生が指導するのは、本当はダメなんだろうけど、それを言ってくれるだけで嬉しいと思った。
前にも私が塾に早めに着いた時があった。
その時、授業の開始よりも前に先生が席に着いた。早めに授業を始めるのかなと思ったら、何気ない話をして授業の開始時間になったら、始めようかと始めてくれたことがあった。
進学校とはいえ、まだ受験には時間があって、一分でも勉強しなきゃというわけではないのも知っている。
最近読んだ本、高校の変な校則、最近のお笑い。長く話すわけではなかったけど、先生のことを知れたことが嬉しくて、楽しかった。
いつもお見送りで階段下までの間、話すことがある。それも、たかが知れている短い時間で、物足りない気持ちで駅に向かう。
目的もあまりないまま塾に入ったけど、今は先生と逢うこと、先生に褒めてほしいなと思う。こういう不純な気持ちは、親にも友達にも内緒にしている。
授業始まりまでは、ざわざわとした個別指導の教室内。
授業開始の5分前になって、個別教室の扉ががらがらと引かれた。入ってきたのは、私の英語担当の先生。他の先生はまだ来ないで、ひとりだけだった。
「お待たせしました」
個別指導は仕切りのある教室で、仕切りのあるスペースに生徒が座り、その横、通路のようなところに椅子があって、先生が席に着いた。
「今日は少しだけ早かったんですね?」
「掃除当番じゃなくて、そのまま帰れたので」
慌てて塾の机に広げた学校の宿題のプリントを片付けた。社会のプリントは、あと3分の1くらいだ。
「そうなんですね。当番じゃない日は、ちょっと待つ時間できちゃいますね」
「学校の宿題があるので」
と答えながら、塾用の教材を机の上に出した。
「学校の宿題、多そうですね」
机の上に出していたのは、宿題のプリントと教科書だけだったが、学校のことを知っての気遣いだと思った。苦笑いしながら曖昧な返事をする。
「まだ授業の時間じゃないので、宿題やりますか?」
という質問に「いえ、大丈夫です」と自分でもびっくりの速度で返事をしていた。
「そうですか?なら、今日の授業が早めに終わったら、こっそり宿題やってもいいですよ」
「いいんですか」と、首だけを横に向けて隣の先生の顔をみる。
「塾長にバレたら授業中は塾のことだけ!とか言われそうなので、こっそりですけど。塾が終わってからだと、帰って宿題やるのも大変でしょ」
抑えた声で言いながら、悪戯を計画するような顔をしていた。
「早めに終わったら、の限定ですけどね。英語だったら、遠慮なく聞いてくれていいですし。そうですね、社会は、古墳時代くらいなら答えられます」
えっへんと、腰に手を当てて偉そうな王様みたいに胸をはってみせるのがおかしくて、くすりと笑う。
「最初…」とつぶやくと
「古墳時代で止まっちゃったんですよね。前方後円墳覚えただけで、なんか歴史勉強した感あって」
指で鍵の穴のマークを空中に描くようにした。
「先生、社会苦手ですか」
先生は勉強全般できると思っていたので、意外に思いながら質問が自然と出る。
「うーん、正確には、英語以外がダメです。運動も含めて」
というと、あはは、と苦笑いしている。
「え、スポーツできそうなのに」
と思わず声に出ていて、あっと思ったが、気にしている様子はなかった。
先生の体型は普通で、確かに筋肉質にも見えないが、太っているわけでもない。スポーツしていても納得しそうだった。まぁ、具体的なスポーツを想像できないといえば、体育会系ではなく文系の感じはある。
「そう見えるらしいね。ドッチボールで最初に外野にいく確率が高い高い」
先生は笑いながらいうので、苦手もそうやって言えるのが凄いなと思うのと、可愛いななんて年上の方に失礼なことを考えてしまった。
「さてと、もう準備してくれているので、英語やりますかね。唯一の得意科目」
と笑った。
「よろしくお願いします」
と先生の言葉に背筋をしゃんと伸ばした。同じように、よろしくお願いします、とお辞儀をした。
授業が終了のチャイムが塾内で流れた。一気にざわざわと椅子を引く音などでいっぱいになる教室。
ありがとうございました、とお辞儀をして、体を起こした。
「はい、お疲れ様でした」
と先生が答えてくれる。
隅においた塾用の教材と、さっきまでやっていた社会のプリントを重ねてスクール鞄に入れた。狭い机なのに、机の上に塾用の教材を置いたままにしたのは、カモフラージュのためだった。
先生が時間を作ってくれたおかげで、社会のプリントは授業の終わりとともに丁度終わった。
「結局あまり時間取れなかったね」
いえ、と返事をしながら、筆箱もスクール鞄に入れて、机の上から何もなくなった。
「根詰めすぎて体調崩さないようにね」
といいながら先生が立ち上がるのと変わらないタイミングで自分も席を立った。
「ありがとうございます」とお礼を言いながらスクール鞄を肩にかけた。
「下まで送るね」
といういつもの流れに返事をして歩き出す。
個別指導の教室から、帰る塾生が一気に廊下にあふれた。他の教室からの塾生も合流してざわめきが大きい。まだ授業がある人もいるので、教室移動に急ぐ人もいる。
その喧噪の中で、先生と2人並んで廊下を進む。
「そうだ、前に読んでるって話してくれた本ね。先生も買って読んでみたんだ。ほら、先生は英語以外がダメだから時間かかっちゃったけど、最後まで読み切れたよ。面白かった、という感想は変かな。普段本を読まないからさ。でも、飽きずに読み切れたし。途中、今どこなんだって時間が分からなくなる感覚は凄いね」
前に話した、本を覚えていて、しかも読んでくれたのが嬉しくなる。隣を歩く先生の顔をみると、いつもの笑顔で、また恥ずかしくなって視線を外した。
「今、映画をやってるので…」
「え、そうなの?」
と驚いたような声に、大々的に広告しているわけじゃないから、あまり知られていないけど、と心の中で付け足した。学校の友達に言っても、映画を知っている人があまりいなかったので、この反応も少し慣れた。
「いえ、同じ作者なんですけど、違う作品です」
「そーなんだ」
好きな本の映画化は、嬉しい反面、自分の思っているものと違うことが怖いという気持ちになる。自分もまだ映画を観に行ってないから、オススメもできない。
「今の映画の続きが、あの本です」
授業終わりで少し騒がしい廊下から開けっ放しの塾の扉から外に出た。
「そうなんだ、本屋でも見つけやすいはずだ。続きものだっけ?」
きっと本屋でも映画化の原作としてまとめて置いていたりしたはずだが、あまり本を読まないという先生は、本屋のコーナーとかに興味がないし、意識しないんだと思った。
「いえ、主人公も変わりますし、続編とは言ってないはずです。読んでた『発車ベルの後は』は、今回の映画の主人公の友達が主人公になった話です。ただ、時間も場所も違うので、それぞれの本が完結しますし、話の本筋にはそれほど関わってないと」
暗くなった外の足元を確かめながら階段を下りていく。そう話した後に喋りすぎたと後悔した。
「なるほどね、知っていたら、って感じなんだ。面白いね」
足音もなく2人で階段を下りる。
下りきると、他の先生もお見送りしていて、教室のように少し賑やかだった。
「前のも読んだ?」
他の先生や塾生の声にかき消されないように、先生が私との距離を少し詰めた。
近い気がする、とドキドキのために、頷いただけになってしまう。
「そっかー、先生も読めるかなーと、ここまでだね。また来週ね」
名残惜しいと思いながら、先生との距離が離れた。
「はい、さようなら」
そう言われてしまうと、とどまることはできない。
「さようなら…」
ぺこっと頭を下げて駅の方に歩き出すしかない。
振り返ると、先生はまだ手を振ってくれていた。
手を振り返すのは、失礼な気がして、挙げかけた手を下ろした。ぺこっと頭を下げてまた歩きだした。
日が伸びて、今日は空がまだ明るい。太陽こそ見えないけど、雲にオレンジが挿している。
また来週。
そう心の中でつぶやいた。
おわり
『古今和歌集』 恋部 四八四
よみ人知らず
よみ人知らず
夕方になると、雲の果てを眺めながらもの思いにふけることだ。
空のかなたにいるような、あの貴いお方を恋い慕って。
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