第14話 あなたに逢うために

 朝の7時45分。

 7時に開けた店の扉は常に開けた状態で固定されている。

 飲食店によくあるお客さんが入店してときに扉についているベルが鳴ったり、自動ドアが開くとチャイムが鳴る仕組みは、このカフェにはない。

 お客さんの入店に気づいたところで

「いらっしゃいませー」

 と声をかける。

 常に扉の方にも気を遣う必要があり、今では慣れたことだが、働き始めた最初は戸惑ったことだった。

 今日、もし来るなら、そろそろかなぁと、レジ対応をしながらチラリと扉の方をみた。

 丁度、対応していたお客さんが注文したドリンクを受け取るカウンターに移ったところだった。

 あ、っと心の中だけで喜ぶ。

「いらっしゃいませー」

 あの人だ。

 今日は週初めで、少し眠そう、というのは、こっちの勝手な思い込みかもしれない。

 ブラウスに紺色のカーディガンを羽織って、ひざ下のスカートはストライプ柄。かっちりした格好ではないけど、いわゆるオフィスカジュアルの恰好。服装は変わるけど、A4サイズが入るくらいの大き目のカバンは変わらない。

 行列というほどではないが、朝だとニ、三人のレジ待ちができてしまうので、その列の一番後ろに並んだのが見えた。

 働いている駅近のこのカフェは、常に混んでいるが、朝と昼は特に混むため、レジも二台で稼働している。自分のレジともう一つは女性のスタッフが対応していた。

 一列に並んだ状態から、空いたレジにランダムに分かれるため、どちらのレジになるかは、運次第である。

 次のお客さんの対応をしながら、並ぶ列をみると、彼女は三番目だった。スタッフの女性が先に対応を始めたから、順当にいくと、彼女は、もう一人の女性の方のレジになる。

 いやいや、残念だけど、仕事だから、と顔に出さずに残念がる。

 対応していたお客さんを受取カウンターに見送ってから、レジ待ちの先頭の方をみる。

「次の方どうぞ」

 と、一瞬視線が交わったが、すぐに外れ、あの女性がこちらのレジに歩いてきた。

 あれ?と店内をみると、二番目に並んでいたであろう人が携帯を耳にあてて電話しながら列から離れ、お店の入口から外に出るところだった。

 サラリーマンは大変だな、お疲れ様です、と同情しながら、心でガッツポーズをした。

「いらっしゃいませ」

 と接客スマイルで声を掛ける。

「すみません。ブレンドコーヒーのMを一つ」

 心なしか声が掠れている気がする。注文した後に、自分でもそう思ったのか、彼女が咳ばらいのように小さく喉を鳴らした。

「かしこまりました。ブレンドコーヒーのMサイズですね。350円です」

 と慣れた手つきでレジを打っていく。

 レジの後ろに振り返りながら「ブレンドMお願いします」と別のスタッフに声をかけた。

 前に向き直ると、彼女は財布から小銭を出して、つり銭トレイにお金を置いていくところだった。

 置かれていった小銭を確認しながら、出し終わったころあいで声を掛ける。

「400円からでよろしいでしょうか」

「はい」

 と言う時も彼女の視線は、小銭トレイから外れない。お金を見ているというより、下を向いているだけのようだけど、なんとなく倦怠感のようなものを感じる。

「かしこまりました。50円のお釣りです」

 レジから出されたレシートと50円玉を手渡しする。

「ドリンクの受取は、あちらの受取カウンターからお願い致します。レシートに記載しております番号でお呼びいたします。ありがとうございました。」

 と口癖になったセリフをスラスラという。

「あ、はい。ありがとうございます。」

 ぺこっとお辞儀をして、お釣りを財布に入れ、財布を鞄にしまいながら受取カウンターに歩いていく姿を少しだけ目で追う。

 やっぱり少しダルそうだな、と表情が緩みそうになるのを、視線を次のお客さんに戻して切り替えようとした。

 駅の周りはオフィス街になっていて、彼女は同じような時間に来ることから近くの会社で働くOLさんだと思っている。スーツでくることは滅多にないから、営業職ではなく内勤なんだろうなと想像した。

 自分のシフトは不規則だけど、彼女は毎日来ているわけではなく、一週間に一度くらいの頻度で来店する。月曜日、金曜日の朝が多いので、週休二日制のお仕事なのではと思う。

 ここまでいくとストーカーみたいだけど、彼女について知っていることはこれくらいで、目で追うようになった、意識し始めのもここ一カ月くらい前からだった。


 きっかけは、約一カ月前。

 朝の時間、普段なら近くの会社で働くサラリーマンやOLの方が多いこのカフェで、珍しくベビーカーを押した年が若めのお母さんが来店した。

 赤ちゃんはベビーカーに寝ているらしく、そのまま列に並び、注文したあと、席を探していた。朝のこの時間は混んでいるが、持ち帰りの人も多く、席の埋まり具合は8割くらいだった。

 ただ、軽食はあるもののコーヒーをメインに提供するカフェの店内は席と席が狭く、ベビーカーでは動きにくそうにしていた。

 レジに入っていた自分も手を貸せず、朝一シフトがギリギリの人数で回しており、フロアに出ているスタッフがいなかった。

 ベビーカーのお母さんの後に並んだ彼女は、注文した自分のコーヒーを受け取った後、ベビーカーのお母さんについていき、声を掛けた。少し速足で席までお母さんの注文した飲み物を持って、空いている席に置いた。それから、少し戻って、席までベビーカーが通れるように椅子を引いたりして道をつくってあげていた。

 朝の時間は急いでいる人が多く、なかなかそうやって手を貸す人がいなかっただけに、印象に残った。

 声は聞こえないものの、お母さんがお礼を言ってお辞儀しているのを、いえいえと対応しているのが遠目で分かった。それから彼女は席に座ることなく、店から出て行った。

 ガラス張りの店内からみていると、彼女は入口を出たところで店内に戻ってきて、再びベビーカーのお母さんの席に向かっていた。

 照れ笑いしながら、ぺこぺこお辞儀している。

 どうやら椅子をどかすために邪魔になった自分のコーヒーを机に置いて、忘れたらしいと分かった。

 優しい人なんだけど、どこか抜けているんだな、と可愛らしくも思ったのだった。

 

 あれから一カ月経ち、彼女が来店したのは四回ほどで、自分のシフトが入っていない時に来た可能性があっても、それほどの常連というわけではないことが分かった。

 彼女は客さんであって、いきなり声を掛けるわけにもいかないし、たぶん、仕事中にそうやって声をかける人に対して良い印象を持たないであろうと思った。

 そうなると、自分が仕事以外の時に出会うしかないわけで。

 彼女が働くこの近辺を、仕事が入っていない平日に徘徊し、偶然出会うしかない。

 そこまでいくとストーカーの法律に触れそうで怖いというか、さすがに自分でも気持ち悪いと思う。

 せめて彼女がこの店の常連になってくれたら、徐々に雑談できるようになって、という筋書きができなくもない、気がする。

 今のところ彼女が常連になる見込みはないので、来店した時、さらには自分がレジ対応した時は嫌われないようにと気合を入れて対応するくらいしかできないのだ。

 彼女と注文以外のやりとりができるまでの道のりは遠い。


 おわり



『古今和歌集』 恋部 四八三

               よみ人知らず

 片糸かたいとを こなたかなたに りかけて 

 あはずはなにを たまにせむ


               よみ人知らず


  片糸をあちらこちらから縒り合わせて糸を作るように、

  あの人と逢うことができなければ、

  私はいったい何を生きがいとすればよいのだろうか。

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