第9話 知らないスクールバック
人がごった返している駅。いつも使っている駅だけど、いつもより人が多い。その理由は簡単で、行き交う人の中に浴衣を着た人が混じっている。今日は近くで大きめな花火大会があるからだ。もしかしたらちょっと遠い違う花火大会かもしれないけど。花火大会じゃなくても、この時期お祭りはいろいろなところでやっている。
スーツ姿の人がしかめっ面ですれ違った浴衣の二人組を見ていた。そんな、睨まなてもいいのに。そう思うけど、仕事帰りっぽい人と浴衣姿の人には違う空気がある。服とか色もそうなんだろうけど、浴衣だとやっぱり浮かれてみえる。確かに自分が働いていて、遊びにいく人をみると知らない人でも嫌な気持ちというか羨ましい気持ちになると思う。働いてというのは高校生の自分にはまだ経験がないけど。みんなは休みなのに模試で土曜日の学校に行った時、すれ違った私服の高校生っぽい人が羨ましくて、学校に行くのが憂鬱になった。たぶん、あんな感じだと思う。
足元に視線を落として、履き慣れない草履の鼻緒にぎゅっと足を入れてみる。それからちょっとだけ足踏みするように足をあげてみた。浴衣の柄が少し見える。今日の浴衣は去年と同じ。といっても数えるくらいしか着ないから、またって感じはあまりない。でも、友達から新しい浴衣買ったんだと聞くといいなって思う。別に流行りがとか、この柄が欲しいっていうこだわりはないけど、何回かしか着ないからこそ、新しいのだと特別感がある。
紺色に薄い紫の紫陽花。たぶん似たようなものを着てる人も多いと思う色に柄。シンプルで良くも悪くも目立たない、普通な感じ。帯も白。いつもと違って髪をアップにしているから首元がなんとなく涼しい。でも、着慣れないから少し帯が窮屈な気がする。なんだか動きを制限されているような。ちょっとだけ、こう、なんか、動きがしゃんなりする。
籐籠の鞄から携帯を出して時計をみると、待ち合わせ時間にはまだ少し早い。携帯をみていた顔をあげれば、駅の改札口にたくさんの人が入っていき、電車が到着したタイミングで、どっと人が出てくる。きょろきょろと見れば、私と同じように待ち合わせをしている人が、こうやって壁の近くに立っている。
暇だなぁと、携帯のツイッターを起動させて、タイムラインを見る。花火大会まとめ、なんてものがあったり、花火大会の写真がアップされている。タイムラインには、ちょこちょこと、友達のツイートが入っていて、花火大会行くらしく、浴衣姿の写真が載っていた。同じ花火大会なのかなーとぼんやり考えたが、人がすごくて会うわけないな、と思い直した。
「早いねー」と、知ってる声に画面から目を離してそっちを見る。そこには今日一緒に花火大会に行く友達の姿があった。
「っびっくりした」
急いでタイムラインからホームボタンを押してアプリを消した。電源ボタンを押して携帯を握った。
「おー浴衣いいね」
「そっちも可愛いー」
お洒落な彼女らしい、いまどきな浴衣。大正モダンの柄は赤と黒地の色にカラフルな色の牡丹。帯は黒から紫色のグラデーション。髪もアップにしてるだけじゃなくて、赤色牡丹の造花の髪飾りが目立つ。
「新しく買ってもらった浴衣?」
確か去年はレースのような柄で洋風のような感じだったと思う。
「そ。大正モダン柄、着てみたくってさー」
そういうと、浴衣の袖を掴んで、体をねじるように背中側まで見せてくれるようなしぐさをした。帯はリボンではなく平らで着物のようなシンプルな締め方になっている。
「可愛いね、似合う」
「ありがとー。そういや、まだ一人?」
褒めるとするっとお礼を言われる。それほど照れるわけでもなく。
「うん、たぶん来てないと思うよ」
今日一緒に花火大会に行く約束をしているのは、ふだんから一緒にいる私を含めて三人だった。あと一人はまだ見かけていない。
「LINEするか」
そういうと友達が携帯で素早く打つ。
「あとちょっとで来るってさ」
時間を置かずにすぐに返事がきたようだった。送ってから1分もかからずに彼女の携帯からLINEの通知音がした。返信に何か打ったようで、打ち終わってから携帯を鞄にしまった。それから向かいあった位置から隣に並ぶようにずれた。二人して、改札を見るかたちになる。
「それにしても人多いね」
「会場はもっとすごいだろうね」
駅でこの混みようだと、会場はどうなるのかと、花火は楽しみでも内心少しだけげんなりした。
「はぐれないようにしなきゃね」と自分がいうと、「携帯もあるし、大丈夫っしょ」と笑いながら返してくる。こういう気軽さは自分にない。と、自分にまたちょっと嫌になる。
「っと、ごーめーんー」
「きたきた」
パタパタと小走りできたのはもう一人の待ち人だった。走ると同時にカランカランといつもとは違う下駄の足音がする。
「着付けで手間取った」
二人のところにくると、ちょっと不機嫌そうにつぶやく。
「ほんとは化粧じゃないの?」
友達がそう返せば、表情が変わり、笑顔になる。確かにその顔は、化粧がしてある。
「えへ、ばれた?せっかくの浴衣だし、ばっちり化粧もしなきゃと思って」
「まじばっちり」
ちょっと茶化すように言うけど、気にしてないようで、笑いあう。とはいえ、友達は普段から校則で禁止されている化粧を学校にでもしてきているので、私にはあまりその違いが分からない。
でも、化粧ってちょっと変われる気がして、いいなと思う。
「あ、帯のふわふわ可愛いね」
後ろにはふわふわとした帯がリボンになっている。私が褒めると後ろを向いて見せてくれる。
「でしょー。この帯の形もさ、いろいろあって、悩んだんだけど、やっぱリボンかなーって」
興奮気味に語る彼女の動きに合わせて、上下にリボンが揺れる。しっかりした帯ではなく、ピンク色のそのふわふわは、お洒落な彼女らしいなと思う。浴衣の色はピンク色で、柄は椿とか桜とかの日本風の花じゃなくてどこか洋風な花びらの多いお花だ。
「ってか、行く?」
一人の掛け声に三人で改札口に歩き始める。壁際にいるときよりもザワザワして互いの声が聞こえにくい。改札で鞄からSuicaを出してピッとする。
「屋台も行きたいよね」
「何食べるー?」
改札を通ってから人込みをかき分けつつ友達の後ろをついていく。
友達の声を拾いながら、ホームに向かう階段を注意しながら降りる。浴衣の裾が気になりながら、履きなれない下駄で転ばないように。
「たこ焼きとか」
「えークレープとか可愛いでしょー」
ホームに降りるとちょうど電車がくるところだったようで、人が行列になっている。電車がくるアナウンスがしたあとに、風と共に電車が到着した。
どっと人が下りてきて、行列に並んでいるけど、人と人の間をまた人が通る。人が降り終わった電車に並んでいた人が入っていく。二人とはぐれないようにして、電車に乗った。
アナウンスとともに電車の扉が閉まり、間もなく動き始めた。
「そういや、彼氏とは行ったの?」
少し隙間はあるけど、混んでる車内。向かい合う二人の近くではあるものの、微妙に人が間にいる形になってしまった。
「うん、こないだ行ったよー。聞いてよーそしたら、ふつうの服で来たの。浴衣で来てっていったのにさー。用意できなかったとか、ありえなくない?前に言ってくれればいいのに」
友達がちょっと怒り気味にいう。
「でも、お祭りは楽しかったんじゃないの?写真上げてたよね?」
とハラハラして、声を抑え気味でいう。
「あれはね、ケンカする前」
確かリアルタイムで写真をあげていたと思ったけど、と思い出していた。
「あんた、まだケンカ中なの?」
友達がいうと、ちょっとふくれるようにして反論する。
「だって、帰る時に手つないでって言ったら、暑いからやだとか言ったんだよー」
「それだけ?飽きれた」と、いうように友達が肩を落とす。
「それだけって、いいじゃん、手くらい。楽しかったなーって気持ちがさ一気に萎えた」
あわてて同意すると、こっちに顔を向けた。
「でしょー。全く、まだ謝ってこないし、知らないっ」
「まーまー」落ち着きなよというように、でも半分仕方ないなーというように声をかける友達。大人だなーと思う。
「今日はあんなやつ忘れて女子会満喫してやる」
「そうしよー」
機嫌が直ったようでちょっとホッとする。
「あれ?あんたの彼氏は?」
そういえば、二人とも彼氏がいるんだったと気づく。一人はいつも彼氏の話をしてるし、写真とかもよくTwitterにあげるからわかるけど、もう一人はあまりそういうのはしない。
彼氏の話を自分からすることもない。こうやって話をふられた時だけする。確か年上の人と付き合っていたようなと、それだけしか知らない気がした。
「えーうちは、あれだ、一緒にお祭りとかは行かないよ」
「なんでー?」友達が、ありえない、というように反応する。
「お互いそんなベタベタするの好きじゃないしね」
「そーいうもん?」
「そーいうもん」
あっさりいうから、きっとそうなんだろうなと思う。普段から大人びているし、きっと騒ぐよりもなんか静かな付き合いって感じだろうと思う。
「あんたとこは謎だわ」そういうと、うーんと唸るようにいう。
「で、そろそろ彼氏欲しくなった?」
いきなり友達がこっちをみるもんだから、びっくりする。
「ぼんやりしてるんだからー」
「ごめんごめん」
ぼんやりしているということに対して謝るけど、そのまえに何か言われたような、と焦る。
「夏といったら恋だよ?」
友達がいうと聞くのは慣れていても自分に話を振られると困ってしまう。苦笑いしながら、何も言えないでいる。
「こいつは一年中そうだと思うけど。春は出会いの季節、夏はひと夏の恋、秋は人肌寂しくて、冬はクリスマス、バレンタインがーって騒いでる」
「騒いでるって失礼な」むっと一瞬ふくれて、でも納得したように笑顔になる。
「イベントはのらなきゃ」
そういう友達は、確かにいつも全力でイベントを楽しんでいる気がする。写真もSNSにたくさんあげてる。というか、写真を上げるために出かけているようなことも言っていた。
「ほんと好きだよねー」
「私もイベントは好きだよ」そう同意すれば友達が嬉しそうにしてくれる。
「ほらー」
「なにそのドヤ顔、ムカつくんですけど」
友達がいうと、二人が笑いあう。私は彼氏かぁとちょっとだけ考えた。
「あと二駅かな」
電車のドアの上にあるテレビみたいのをみると、次の駅に到着することを告げていた。開くドアはこっちですって表示に切り替わったところだった。
「やっぱ混んでるねー」
「みんな花火大会かなー」
「近くだし、そうかもね。今日もテレビでやってたよ」
「そうなのー?ぜってー混むじゃん」
「元から混んでるけどね。テレビでやると余計にね」
「うわ、次の駅、人すごっ」
減速した電車の扉から見えたホームの人だかりにげんなりする。
扉が開き、出ていく人の流れがあるけど、すぐにそれよりもたくさんの人が中に入ろうとする流れになった。ぎゅうぎゅうになる車内。人の流れで二人と離れて制服姿の子の隣に来てしまった。なんだか、気まずい。
扉が閉まって電車が動きだす。
隣の子を見るとスクールバックをぎゅっと握っている。小柄でやせ型なのと、神経質そうな雰囲気がある。なんとなく、気まずくて、目を合わせないように、ドアの上のテレビみたいなのを見る。テレビみたいなのは、明日の天気をやっていた。
見ないようにしながら、なんとなくこの子のことを考えてしまう。これから塾とかかなーすごいなーなんて。自分は浴衣で、いかにも遊び、って感じであっちは勉強って感じ。きっと同じ高校生だと思うけど、どこかの頭いい学校の子なのかなと思う。友達に言えば制服からどこの高校かくらいはわかるかもしれない。
でも、そんなこと聞いても、意味ない。たまたま乗り合わせた知らない子。髪を耳の下で二つしばりにしていて、いかにも真面目な感じ。ぎゅうぎゅうの車内でもなんだか、涼しいというか冷静な感じの顔をしている。
と、いつの間にか顔をみていたことに焦って視線を外した。自分の視線なんて気にしていないと思うけど、車内が混んでいるとなんか不機嫌になりそうなのに、とその表情が気になった。
そうこうしているうちに、降りる駅の名前をアナウンスしているのが聞こえた。今日は花火大会なので、帰りも混むからチャージをしておいてというようなことを言ってるらしい。
あ、もう着く。
電車がブレーキをかけるのに、足に力を入れて倒れないようにする。電車が止まって扉が開いた。
どっとホームに人が流れ出る。降りなきゃと、誰だか知らないたくさんの人の背中を追う。扉からホームに出る流れに沿う。友達二人の姿を見ながら、人をよけていった。
ホームに降りれば、浴衣の人も多い。
「だいじょうぶー?」という声はいろんな音でかき消されそうだった。友達が声をかけてくれたのに、返事をして、合流で来たことにほっとする。でも、人込みでちょこちょこしか動けない。ここから階段だというところは少し怖い。
「ふわふわがぁ」と友達が嘆くように言ったのを聞いて「だいじょぶだって」ってやり取りに、どうかしたのかなと思いつつも、その帯を見る余裕はなかった。
階段から通路になって少しだけ広いからか、人と人の間ができて、息をつく。三人で改札に向かうと、駅員さんが拡声器で案内しているのが聞こえた。
「あ」と小さく言ったその声は、駅の雑音にかき消された。さっきの子が下りたのかさえ、見えなかったけど、さっきの子だった。
あの子、一緒の駅で降りたんだ。
スクールバックをぎゅっと握りしめて人の間を縫うようにして小走りだった。
夏かぁ。
あまり恋愛に興味がない。ううん、人の話を聞くのも好きだし、恋愛マンガもドラマも好きだけど、自分がという想像があまりつかないだけ。友達二人がぐんぐん進んでいく。
恋かぁ。
好きな人がいて、どきどきするのはいいなって思う。
『古今和歌集』 恋部 四七八
壬生忠岑
春日神社の祭に行ったときに、見物に出ていた女のもとに、
家を探し求めて贈った歌
春日野の雪間を分けて萌え出てくる若草のように、わずかに見かけたあなたよ。
9話 完
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