第4話 パンプスの上で

 彼の名前も知らない。

 住所も知らない。

 知っているのは、職業だけ。


 休みの日、ちょっと遅く起きて、ごはん食べて、洗濯物して、掃除をする。それからいつもは出来ないようなちょっとだけ手の込んだお昼を作って、午後はテレビを見たり、本を読んだり。

 …なんてことは、ほとんどない。

 起きたら、昼頃で、朝ごはん兼昼ごはん。いつもより簡単な、そうだな、あったらカップラーメンとかがベスト。それから、日差しが一番高くなってから気づいて洗濯機を回す。干すころにはピークを過ぎているが、気にしない。洗濯が終わればやりきった感でゴロゴロとテレビを見る。でもいつの間にか床で寝てて、起きたら部屋に夕陽が射している。

 寝ぼけて夕陽か朝陽か分からなくて、焦って携帯見るけど、二十四時間表示じゃないから、また混乱して、とりあえず、テレビで確認。そんで一人「なんだよ、夕方じゃんかー」ってのを、たまーに、やっちゃう。そんで、お風呂入りながら、「休みってはえーなぁ。ずっと休みだったらいいのになー」なんてことを呟くのがお決まりだ。夜も手抜きに手抜きのごはんにして、寝る。

 一人暮らしなんてこんなもんだ。いや、世の中のアクティブな素敵な趣味をお持ちの方は有意義な優雅な休日を過ごすのだろうか。私には無縁である。

 休みの日に寝間着から着替えることが出来たら、もう拍手もんである。洗濯を回したその日の最初の洗濯物は寝間着になる。付け加えれば、ルームウェアなどという名前の可愛いものではない。Tシャツにスエットみたいな布のズボン姿が鉄板。

 それから、一応朝と言いながら実際は昼に顔は洗っても、化粧はしない。髪もブラシもしないで適当にまとめただけ。完全に人に見せられる姿ではないわけだ。というか、見せる予定がないから、こうなるともいえる。

 が、ここで問題である。家にいると、予期せぬ来客があるということ。来客というほどでもないが、こういう時だいたいは居留守を使う。

 大方はなんかのチラシをポストに入れにきただけだ。自分の借りているアパートはポストがまとまってあるタイプではなく、各部屋の扉についているのがポストになっているタイプだ。部屋のポストにガチャンと何かが入った音でびっくりして玄関に行けば、宅配サービスのチラシが入っていることが多い。一瞬眺めて、「宅配、たけーなー。でもラクだよなー」と呟いては、速攻、ごみ箱にインだ。

 あと、本当にたまに来る勧誘。新聞とりませんか、宗教に興味ありませんか、インターネットの回線で、食材の宅配サービスは利用されたことありますか…などなど。

 予測できないのはこれくらいで、宅配便は自分が指定した時間に荷物が届くから、まぁそれなりに準備はできている状態だ。といっても、宅配便のためだけに化粧や着替えはしないが、髪を縛るくらいはする。

 ――――ピンポーン

「え」

 呼び鈴?来客予定がない日の呼び鈴なんてそうそう鳴らない。安いアパートなため、共同玄関などは存在せず、部屋番号を間違えてなるということはない。呼び鈴が大きいから隣の部屋のかとも考えたが、やはり自分の部屋の前の呼び鈴が押されている。

 宅配便が届く予定なんかはないから、なんかの勧誘かなぁ?と顔をしかめた。せっかくの休み、人に会いたくない時もあるのだ。

 居留守しよう、と決めつつも念のため玄関に向かった。

 どっこいしょ、と音と声に気を付けつつ、机に手をついて重い体をあげた。重力に逆らうのつらいな、なんてこんな時は思う。

 玄関まで忍び足でいくと、ガチャンと音がして、ポストに何かが入った。まだ外には人がいる可能性があるので、なるべく音を立てずにそっと中を出せば、ぺらっとした縦に長細い一枚の紙。勧誘系ではないことに安心して、文字を見れば、「不在連絡票」だった。なんか宅配、頼んだっけかな?と配送内容を確認する前に、また来てもらうことは申し訳ないと、急いで玄関のカギに手をかけた。チェーンを外して、カギをガチャッと回した。

 まだいるなら、受け取ってしまおう。

 ―――ガチャ

 ドアノブを押して扉を開ければ廊下がのびている。人が来るだろう階段のある方向に目を向ければ、そこには郵便局の制服をきた人が、音に気付いてこちらを向いたところだった。

「あ、あの」

「あ、よかった、いらしたんですね」

 そう言いながら、アパートの廊下をこちらに向かって歩いてくる。っとその顔が帽子の下の顔が。

 え、ちょ、爽やか。ちょっとイケメン、かも?

 なんて思ったら、一気に恥ずかしくなった。今の恰好は、ハズい…。

「すみません。お休みのところ、書留がありましたので」

 といいながら、部屋の前まで来ると、私の書留らしき封筒を探して、取り出した。玄関の少し重い扉を、ふだん履いてるヒールの上に裸足の足を乗せただけのバランスでいた私は、ずりずりとヒールの位置をずらしていく。

「こちらこそ、す、すみません」

「こちらのお名前でお間違いございませんか」

 封筒の宛名を見えるように向けて差し出されて、ヒールの上の微妙なバランスの上で、覗き込むと、ちゃんと自分の名前だった。

「だ、大丈夫です」

「では、こちらに受け取りのサインをお願いします」

「はい」

 差し出されたボールペンを受け取って、差し出された紙をみる。指で示された先をたどって、そこを押さえながら紙ごと受け取った。玄関の固い扉にあてて、自分の苗字を書く。

 ボールペンと紙を返すと、書留封筒を渡された。封筒を凝視するように、というか、自分より身長の高い郵便屋さんの顔が見られなくて下ばかり見ている。つか、化粧もしてないし。

「あの、」

「は、はい」

「その、お名前はなんてお読みするんですか」

「え?」

 思わず顔をあげてしまった。適当に縛っただけのぼさぼさの髪から、少し髪が落ちた。

「いえ、珍しい苗字ですし」

 あ、苗字ね。名前っていうと、下の名前かと。

「えっと…」

 視線だけを外して、扉の下の方ばかり見てしまう。苗字の読みを伝えると、何回か頷いているのが分かった。

「もしかして、下のお名前も珍しい読み方ですか?」

「まぁ、そうですね」

 少し前に流行ったキラキラネームというわけではないが、よくある漢字に読み方が珍しいのは、これまでの人生でよく言われてきたことだった。慣れたように名前の読みを伝えると、落ちてきていた髪を耳の後ろにかけるように直した。

「す、すみません」

 と、その態度が怒っているか、めんどくさそうにみえたのか、慌てたように謝られた。

「いえ」

 そんなつもりはなかったのだが、イケメンとの時間を満喫したい自分と、恥ずかしさで早く終われと思う自分がいた。

「すみません、失礼します」

 一礼すると、少し速足で廊下を去っていく。

「はい」

 そんな逃げるようにしなくても…と惜しい気持ちになった。

 ―――ガチャン

 重い玄関の扉を閉めて、チェーンと鍵をかけた。パンプスから降りて靴がつぶれていないか見る。くるっと向き替えた。

「はぁあああ」と、大きめにため息がでる。

 もう、不意打ちすぎる。最近の郵便局は顔で採ってるのかよ、と若干失礼なことを思う。妙にコミュニケーション能力たけーし。はー、目の保養だったわ。今日はいい休みだわ、とルンルンした気持ちで玄関から部屋に戻った。

 それにしても、イケメンだったな。と次の日の会社の食堂で弁当を広げながら思い出していた。よくよく考えれば、最初に遠くで見たときぐらいしか、まともに顔を見ていないから、だいぶ補正されている気がする。なんせ、封筒、ボールペン、受け取りサインの紙、封筒って見てて、名前のくだりも斜め下を向いていた。今思えば、いや、よく考えなくても物凄く態度の悪い女だったんじゃないだろうか。

 うわ、嫌だ。郵便局に帰って、「アパートの人、態度悪くって、つか、すっぴんの部屋着で、ひどっかったッスよ」なんて言われてたらツライ。へこむ。いや、たくさんの客の一人だから、いちいち私のことなんか覚えていないだろうけど。当たり前なんだけど、それはそれで寂しいような。でも、あんな姿を覚えられていても嫌だし、それは好都合な気もする。そこまで考えて、つか、二度目に会うことなんてそうそうないだろうなと、考えるのをやめた。

 イケメンによる目の保養も、効果は二日だったようで、三日目には、思い出しもしなかった。書留なんて、しょっちゅうあるものでもないし、いくら配達の担当地域があの人だったとしても、曜日によっては違う人だろう。そのタイミングで私が家にいるとも限らない。とまあ、理由を並べ立てていた。が、会った。

 また、彼だった。

 ―――ピンポーン

 勧誘?と、そろりそろりと玄関へ向かって、玄関のヒールを裸足で足を乗せる。玄関の扉が音をたてないように、扉に体重をかけてのぞき窓からのぞいた。郵便局の制服。不在連絡票を書いているようで、下を向いているが、彼かもしれないと一瞬にして期待した。

 チェーンを外してからカギを回す。ゆっくりと扉を開けて扉から外に顔だけを出した。

「あ、すみません。いらしたんですね」

「すみません」

 やはり前と同じイケメンくんだった。

「いえ、お休みのところすみません。」

「いえ」

「あ、書留です。お名前はお間違いありませんか」

「はい」

 前回同様に名前のところを見せるようにこちらに向ける。

「では、サインをお願いします」

「はい」

 ボールペンと受け取りサインの紙を渡され、サインする場所を少し彷徨って見つける。玄関の重い扉を台にしてサインして、紙とボールペンを一緒にして返した。

「ありがとうございます」

「では、失礼します」

「あ、はい」

 はや。残念。そう思うのは、前回が以上に長かったからだ。

「ぎゃっ」

 と変な声とともに、パンプスに乗せていた足が、バランスをくずして玄関のコンクリートについた。急いで再びパンプスの上に乗る。

「大丈夫ですか?」

 振り返ったイケメンくんに声をかけられ、恥ずかしさで、赤くなる。

「あ、すみません。だ、大丈夫です」

 ―――さん気を付けてくださいね。失礼します。

「え」

 私の名前。ってか、フルネームは、反則だ。

 玄関の扉を開けっ放しで、彼が消えてった方を睨むようにして腕で顔を隠した。イケメンは行動もイケメンかよ。そうなじりながらも、ドキドキと心臓が速い。

 私は彼の名前も知らない。彼は私の名前を知っている。

 私は彼の住所も知らない。彼は私の住所を知っている。

 私は彼の職業を知っている。彼は私の職業を知らない。

 彼は、郵便屋さん。

 今度会えるのはいつになるかわからない。もう会えないかもしれない。でも、もし会えたら、今度は名前を聞こう。名前を聞いて、名前を呼んでみたい。きっと郵便局の配達員とお客ってことは変わらない。それからどうのこうの、なんて夢物語だと思う。でも、と思う。

 というところまで、妄想したんだけど、どうだろうか。

 誰に話すわけでもない。休みの日の午後。テレビからは、夏の行楽スポット特集が聞こえる。雑誌から目を上げてテレビを見れば、ずいぶんマイナーな公園だった。最近はお金をかけないで楽しめる公園が人気らしい。

「へー」

 ま、私には無縁だが。と、外を見れば、日差しが高い。

「うわ、絶対に外、出ないわー」そう呟いた時

 ―――ピンポーン

 自分の部屋のチャイムが鳴った。

「もー、外、でないって言ったばっかりなのに、誰だよー」

 文句をたれながら、のそのそと動いて玄関に向かった。

 玄関ののぞき窓から覗けば、そこに立っていたのは。



『古今和歌集』 恋部 四七二

               藤原勝臣

  白波しらなみの あとなきかたに ふねも かぜぞたよりの しるべなりける


   前の船の通った跡もなく、何の目印もない方向に行く船でさえも、

   風が寄るべとなって道案内をしてくれるのだが。

   私にはあの人に思いを伝える手だてとてもない。


                                  4話 完


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