#8 『異能系生物学教授・木崎梨沙 後編』

「某大国政府の対応は、それで正しかったのでしょうか?」


 話を聞き終えたしずくがそう尋ねてきた。

 メモを取っていた手を止め、手帳でペンを挟み膝に置く。


(……取材としてではない?)


 そう解釈した木崎はコーヒーを一口飲み、尋ね返した。


「君が言っている『対応』とはどこの事だい?」

「批判を受けてからやっと対応し始めた点や、ポスターやネット、路地裏の違法販売店など、すぐには徹底しなかった点。それに、対外的な事ばかり気にするあまり国民に知らせなかった――これは本質よりもパフォーマンスが重要って事ですよね?」


 スラスラと出てくる。

 憤りは相当なものだったのかもしれない。

 ただ木崎は、無理に共感しようとはしなった。

 あくまで自分の『学者』としてのスタンスを貫くべく、嘘のないようあっさりと述べた。


「悲しい事だが、大人の中にはそう考える者が決して少なくない」

「はい……なんとなくですけど、わかります。社会人二年目の奴が何言ってんだって思われるかもしれませんが」

「思うわけないさ」


 木崎はおかしくなり、そっと笑った。


「人は皆、徐々に色々な事に気付いてゆく。そこに年齢など関係ない。その気になれば、自我を得る前から、孫に見守られて召される直前まで――それが『成長』であり『老化』――つまりは『歳を重ねる』という事だ」


 しずくは感心したのか、深く頷く。

 そして、まじまじとした瞳で尋ねてきた。


「木崎さんって本当はいくつなんですか?」

「おいおい。私は二十八だ。はじめに自己紹介した時にも伝えたし、雑誌に私の名前を載せる際には年齢を記しているだろう」

「いえ、解っているのですが、話していると信用できなくなって」

「私ってそんなに老けているかい?」

「あ、いえいえ! そんなつもりではッ! あの、そ、そうですよねッ!」


 木崎は冗談のつもりだった。

 しかし、しずくは慌てた様子で立ち上がり、勢いよく頭を下げた。


「すみません! 大変失礼なことを――、」

「わかってる、わかってる」


(ホント、反応が面白いな)


 常々、『からかい甲斐のあるコだ』と思っていたが、その印象が一層強くなる。


 木崎は笑みを浮かべながら手を振り、気にしていない事を伝えた。

 しかししずくは、謝罪や弁明を止めなかった。


「本当に、本当にすみません! 木崎さんは老けてなどいません。むしろ、同年の女性と比べ大変お綺麗だと思います。ですが、その内面と申しますか――何事も解っているような達観したような面が、その、なんとおっしゃいますか――」


 慌てながら言葉を重ねるしずく。

 その様子がおかしく、木崎はとうとう声を上げて笑ってしまった。

 しかし、しずくは一瞬キョトンとしたものの、まだ謝る姿勢を崩そうとはしなかった。むしろ、さらに何やらまた、謝罪の文句を言おうとしているようにも見えた。


「まあまあ、本当に気にしてないから」


 木崎はそう言いながらしずくの肩を抑え座らせ、その手にコーヒーのカップを握らせた。

 それでしずくは落ち着くを取り戻したようだ。

 ただ、少ししょんぼりしている。


「あの……すみません」

「本当に気にしないでくれ。実のところ昔から友人や、同僚や学生にもよく言われている事だ。誉め言葉して捉えているよ。それよりも議論を続けようじゃないか。誰かの謝罪を聞くより、そちらのほうが私にとっては遥かに楽しい」


 その言葉に気を取り直したのか。

 しずくはコーヒーを一口二口と喉に流し込むと、平時の表情に戻る。

 木崎はさっそく議論を再開する事にした。


「さて、先ほど君から上がった『政府の対応は正しかったのか』というテーマだが、単刀直入に言えば、私個人意見は『否』だ。君の意見も同じだろ?」

「はい」

「では、私からの質問だ。君は某大国がした多くの『対応』に疑問を感じた。ではその中で、『一番強く疑問に感じた対応』はどれだね?」

「一番強く、ですか……」


 しずくが考え出すと、校舎の静けさが耳に入ってくる。

 春休み期間。学生はほとんどいない。教授たちも来ているのは半数ほど。

 皆、補講やら研究やらで、教職員棟は些細な足音ですら聞こえてきそうだ。


 ほんの数秒したのち、しずくは顔を上げ、口を開いた。


「竜素材製品を破棄するパフォーマンスです」


 少し自信なさげに聞こえた。


「何故なのか、言葉にしてみてくれ」

「命を奪ってまで作られた品々です。それを壊すなんて――もちろん、『見せしめ』の効果があるのだと思います。今後のためになる事なのかもしれません。ですが、奪われていった命です。例え不本意だとしても、せっかく別の形を得て生まれ変わったのに、それすらも無下にしているようで……」


 それ以上、自分の気持ちをすぐには整理できなかったのだろう。

 しずくの言葉は小さく濁った。


「当然だが、私たち『人間』をはじめ、ほぼ全ての種が、他の種によって成り立っている」


 木崎はあえて「どういう事だかわかるかい?」と尋ねる。

 すると、しずくははっきりとした口調で答えた。


「私たち『人間』は、牛や豚、鶏など動物の肉を食べる。野菜や果物などの植物も食べる。食べられた動物たちも他の動物を食べたり、植物を食べている。植物は、動物の死骸を栄養に芽を出し、育つ――そういう事ですよね」

「その通り。それが『食物連鎖』だ」


 木崎は即席の学生に向け微笑んだ。


「ただ、他の種によって成り立っている――これは何も『食物連鎖』だけではない。受粉の運搬。天敵による個体数の間引き。共生。『生存』とは『争い』と同義だ。動物を愛する私だって、腹が減れば肉を食すし、蚊に噛まれれば潰す。しかし、多く人間は『食物連鎖』という答えを得てからそれ以外のつながりを忘れ、勘違い――増長し始めたのかもしれない。私たち『人間』だけが、他の種の『上に』成り立っている――とね」


 自分の言葉の発した言葉だ。

 ただ、内心では『そうではない』と自分の言葉を否定し、人間を信じたかった。

 しかし世界の現状を見れば、自分を含め、人間は傲慢ごうまんになりすぎている。


「『争い』の勝者に許されるのは『生存』であり、『娯楽』ではない」

「確かに、『ステイタスのため』というのは『娯楽』かもしれません」


 しずくは、木崎の言わんとしている事をちゃんと理解しているようだ。

 その上で、反論してきた。


「ですが、竜素材は非常に優秀です。高い〈耐異能性〉、〈強度〉、〈魔術順応率〉など――上げればきりがありません」

「そうだね。過去から現在に至ってその評価は変わらない」


 竜素材は遥か昔から、最高級の素材だ。

 研究が進み、技術が発展した現在でもそれは揺るがしがたい事実だ。


「しかし、今の世にそれが必要かい? 戦乱と呼ぶ時代が過ぎただけではなく、代替と成り得る素材も一つと言わず生まれている。『希少価値』は上がるも、素材の『重要性』は下がっている」


 反論はないのか、しずくは真っ直ぐ木崎の目を見て、言葉を待っているようだった。


「君に聞かせた話でわかるのは、『狩る人間』と『素材が欲しい人間』は別だという事だ。狩る側は自分や家族が食べていくために動いている。しかし、狩らせている側はなんら食べるのに困っていない」

「需要と供給の関係――つまり需要がなくなれば良いって事ですか?」

「うむ。それも一つだ。あるいは、『狩る側』が別の方法で食べていける社会にするか――何にしろ根は深いけどね」


(やはり、この手の話題は悲しいな)


 どんなに真剣に考え、話し合ったところで、現状を変える力にはならない。

 最終的には自分に力がない事を痛感してしまう。


 ただそれでも、同じ意見を持ってくれる人間が少しでも増えてくれれば、わずかずつだが未来へつながる。

 共感してくれなくても、考えるだけで、考えようとしてくれるだけで、少しずつ変わってゆける。

 ――木崎はそう信じていた。


 しずくは閉じていた手帳を開き、ペンを握った。


「あの、今の会話を、インタビューとして記事にしていいですか?」

「他愛もない意見だ。別に構わないよ。ただし、私の名前を出さないのであればね」

「それでは説得力に欠けます」


 しずくの真っ直ぐな瞳に、木崎は思わず溜息を吐いた。


「私の言葉だから賛同してもらえる――それではまだまだだな」

「……解っています。ですが」

「いや、違うのだよ。君の技量やメディアの力の話ではない。君は努力し、それに見合うだけの技術も付けている。メディアもまだまだ力を持っている。ただね――」


 言葉を一度切る。溜息を留められなかった。


「あの人が言っていたから――そんな理由ではダメなんだ」


 木崎は吐いてしまった溜息に、自嘲気味の笑みを添えた。


「自分の目で見たり、聞いたり、調べたり、体感したりし、その上で自分の頭で考え、自分の心が信じられる言葉や答えを、自分自身で獲得しなければいけない。そうでなければ自分自身ですら動かす事はできない。そして、私の言葉――答えでは、まだまだ他人を動かすに至れないようだ」

「あの、すみませんっ! そういうつもりじゃ――」


 しずくは、また立ち上がり謝ろうとした。

 しかし木崎はその手を笑顔で掴み、またゆっくりと座らせた。


「謝る事じゃない。むしろ、ありがとうと言わせてくれ。君のおかげで、私は慢心しなくてすみそうだ」


 木崎はしずくのためにコーヒーを淹れ直す事にした。

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