責任と自死

「そんな……そんな」

 林の中に潜伏し、遠く市街地の様子を側近に探らせていたもう一人の救世主、ファスト亜区長のメシアは、先ほど帰還したばかりの右腕の報告に動揺を隠せないようだった。破壊神メシアを止めるために放置したアルファが、生命活動を停止しているという一報だった。

 彼は世界が瘴気に侵されたこの末法の世に珍しい、黒肌の民を戦争の道具に使わない区に生まれた。正確に言えば、壁の外に捨てられた子どもが死ぬ前にファスト亜区に〝辿りつけた〟と言った方が正しいだろう。当時黒肌の民は奴隷に準ずる扱いではあったが、無為なる同胞との戦いに借り出されることはなかった。それはやはり、侵入者を拒む三方の険しい山脈のお陰だったのだろう。

 そんなファスト亜区にも敵の来襲がないわけではなかった。大砲により山を越えようとする戦闘機は落とせたが、資源にも限りがある。防衛という問題が区に立ち上がった頃に、メシアは流れ着いた。

 彼は持ち前の探求心と物わかりのよさから、領土の中に点在する古代文明の遺跡の調査・発掘で名声を高め、度々黒肌の民の取り扱いに口を出してくる他の区の内政干渉を牽制できる古代武器の再現で一気に支持を獲得し、奴隷解放を掲げる市民団体の助けを得て区長の座についた。山脈と古代技術に守られたファスト亜区という特殊な環境で育ったからか、彼はあくまで平時の名君であったのだ。

「ルシス、私はどうすればいいのだろう」

「――どうしろと言われてもなァ。まあ、世界がどっちに転んでも、お前さんのせいじゃねえだろうな」

 そんな言葉が聞きたいのではないと子どものように歯噛みしても、運命の歯車はもう回り始めてしまったのだ。存在を見逃してしまった眠れる破壊神の暴走を嘆いていても仕方がない。

「それを言うなら俺も悪かったんだよ。お前さんがあまりに純粋で純朴で、ファスト区の未来を託したいと思っちまった。そのときから、俺はお前さんになるべく悪いもんは見せねえようにした。嫌な予感がすると思った赤い帯の古代書も、俺が秘密裏にチームを組んで解読した。――その結果、その代にただ一人の先祖返りである、赤髪赤目の少年に破壊神が眠る、と。おったまげたね俺は」

 親心というのだろうか。ルシスの目に宿るのは、不器用な弟子を見守る大工職人の親方のそれで、それゆえに、権力者の右腕にはなるべきではなかったのかもしれない。心優しい青年と青年に思いを託した男は隣り合って座るのが当たり前だった。

「ま、悪い問題ばかりじゃねえんだ。いい報告かと言われればそれも違う。正直に言ってよくわからないといったところだ、聞いてくれるか」

 メシアが頷いた。それを見てルシスはプカ、と煙をくゆらす。

「それが、怪物をぶつけて止めるはずだった肝心の――お前じゃねえ方のメシアが、どこにいったかわからねえんだよ」

「それは、どのように解釈すべき問題なんだ」

「悪く想定して、破壊はもう止められねえ。よく想定して、神様の気が変わって帰ってくれた」

 メシアの杖で打たれた空の青は剥がれ落ち、混沌の支配はもうすぐそこまで来ている。この状況で、楽観的な想定を採れるほど、彼らも子どもではなかった。

 しばしの沈黙。空が混沌に侵され、夕焼けのような赤茶色の風景が広がっていた。

破壊神メシアの存在、それを我々は見逃した。そもそも私は、瘴気の原因となった古代の負の遺産を掘り起こしてしまった」

 ルシスももう何も言わない。

「私は、世界が滅びる前に、私の民に詫びたい」


 五時間後、メシア=ファストと彼を慕う多くの民は、赤茶色の世を儚んで自死した。その一帯は臭気で肺が腐るほどだったという。

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