腐乱死体

「何、ここ……」

 見渡せば一面、魂の抜けた人体が折り重なって倒れている。世界が終ろうというときにも、雑務に勤しむ人間は存在するのだ。ヒーローだけが人間ではない。

「いくら独り身だからって、こんな仕事押し付けられるなんてな……」

 彼は森林を統括する区の役人であるが、安定し好条件なはずの役人にしては何やらいわくありげである。というのも、森林や林は人類に残されたわずかな土地を圧迫するものとしていつも槍玉にあげられる存在だった。

「森は必要なんだよ……世界を覆った瘴気を、唯一押し返してくれる存在なのに……それを馬鹿にして」

 人類はもう瘴気に対抗できないと思わされている市民らにとって、森林こそが世界を救えると主張するフォレス学派は異端だった。資産家で政治にも多少の発言力のあったフォレスの死後は学派にとって試練の日々であった。当てつけのように森の管理を任されるも管理費は年々減少し、森を愛する彼ら自身が森を破棄させられることも多かったのだ。

自分たちで起こした森林火災を、なすすべなく見守ってきたことも、数えきれないほどある。

 そして、その弱小部署の人間は世界最後の日かもしれない日に、誰もやりたがらない死体処理を任されたということである。

「納得できないよなあ?」

 死体の臭いにも、人間は長らく晒されると慣れてしまうらしい。しかしその光景を不快に思う心だけは残っているつもりだった。気を紛らわすために、物言わぬ死体に話しかけてみる。

「……そういや、森林への嫌悪を募らせているのは政府の陰謀で、森を隠れ蓑にして大規模な土地で人体実験してるとかいう怖い都市伝説あったけど、ホントなのかな? もしそうなら我々ホント報われない種族だよなあ」


 その〝大規模な土地〟にタエはいた。相も変わらず、底知れない狂気を孕んだ〝目〟に射竦められている。しかし、事態は少し変わっていた。タエは、その目の奥に見知った人間を見た気がした。

 一対一でしか戦わない黒肌の民の戦士の顔など知らないし、壁の外のスラムでは生きることに必死で同胞の顔なんぞ覚えてはいない。レジスタンスの面々を思い浮かべたがそれも違うようだった。

「だとすると、区長だろうな」

 なぜかは知らないが自分だけ、〝ム〟とかいうよくわからないものに拿捕され、見たことがある髭を蓄えた顔。その面影がどこかに残っている気がしたのだ。

『――ほう、気づいたか』

「なんのことだ」

『ふふ……私は奴ほど甘くはないぞ?』

 区長のときはしらを切れたが、この目には通用しないらしい。大型の建物の壁面をほとんど使ったレンズは、遠くのものだけではなく人の心も見抜く性能があるらしい。

『あの無能な老人は戦いだけの駒だ。必要がなくなれば吸収する』

「駒……?」

 聞き覚えのある単語が、自分以外に使われていることに新鮮さすら感じてしまう。

『そうだ。私は自分の野望のために彼を利用した』

「野望と自分でいうからにはそれに付随する代償の存在もわかっているんだろうな」

 駒と扱われることに慣れている身として、駒として捨てられた区長の気持ちも考えろと釘を刺したつもりだったが、目はそんなことに無頓着だった。

『我らは世界で唯一生き残った種族ぞ? その栄光を忘れ日々戦いに勤しむ無能共は朽ちればよい。私は完全なる肉体を手に入れた。世界が滅ぼうとも私は生き残る。そこにお前も〝加わらないか〟』

 戦いを無益と嘆く気持ちは、あの破壊神と同じなのかもしれなかった。しかし、そこに過度な自尊心が加わってしまい、この目の心は歪んでしまったようだった。世界の滅亡を予見している節があるが、それも含め下手に歴史を知ってしまった人間の末路だろうか。タエは抗うように言葉を絞り出す。

「世界で唯一、だと? 毒を空気にまき散らす怪物を生み出しておいて、他の国をことごとく滅ぼしておいて、自分も瘴気のただ中では生きられず、限られた土地に命からがら逃げ込んで事なきをえた種族に誉れだと……?」

 赤い髪と赤い目の一族は、この世界を瘴気で覆った張本人なのである。権力者の手によってその歴史は隠されてきたものの。

『……笑止。些末なことだ』

 目から闇が迫ってきた。レンズから、いや、レンズだと思っていたなにかから、指向性の高い光が何筋も照射される。それは真っすぐにタエに向かって伸び、その途中から意思を持ったようにくねくねと曲がり、そのそれぞれがタエの機体を束縛するように動いた。

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