あるはずのないもの

 ぐわ、と機体が横揺れした。気流が乱れているのだろうか、それにしてはやけに人為的な、機体ごと大きな手で掴まれて揺さぶられたような感覚。

 空を飛んでいるからには、一番恐ろしいのは墜落だ。だから飛空士の本能はトラブルがあれば上昇に転じたくなる。しかし、タエは歴戦の経験と持ち前の判断力から、あえて機体を下降させた。視界には異常はみられない。ならば気流の渦から逃れなければならぬ。

 下降したことが結果的に正しかったことをタエは知った。空転していた車輪が再び動力を得て力を地面に正確に伝えだしたときのように、正常ではない因子がピタリとハマった、という感覚だった。

 幸いにもいい上昇気流をすぐに見つけ、タエはその力を得て再び高度を増す。――すると、眼下の異常に気付いた。

「ここは……」

 住宅街を抜けてしばらくたった場所、メゾン区が接するどの敵対区よりも遠い位置にある区域。そこは農地開発がされているわけでも、工場があるわけでもない。いわば、一面何もない地面に、申し訳程度に草が生えているだけ。

 あくまでここは郊外であり、区の中心地ではないという考えからメゾンはメゾン区の中枢をこことは考えなかったのだろう。しかし、どの区からも遠い位置という点でいえばここも十分本部になりえる立地だった。

 それに、僅かながら生えている草。土の色をわずかに隠す程度に、表土を覆う背の低い草であることが推察できたが、それが異常な背丈に乱立している場所が一か所だけあった。

 大型の、人が五百は収容できる施設がたっていた。その周辺だけ、草の背丈が異常に高い。そして、タエは状況を見るために降下していき、超低空飛行で草の上を滑空した瞬間に驚きの光景を目にする。タエは、超低空で飛行したあとにとる行動としては至極当たり前のことではあったが、どこか見た風景を機体の背後に早く流して忘れ去りたいといったような、忌避するような・・・・・・・ハンドルさばきで機体高度を上昇に転じさせた。

 施設の周囲にある草々は、みな見覚えのある奇形を有していびつに生育している。それは清浄な空気の手に入るメストス区域内で、本来見てはならないもの。生えているはずのないものだった。

「あれは……瘴気を吸って葉が異常に増殖し茎が折れたもの、花弁が厚すぎるもの、根が露出し干からびたもの……」

 そのどれもを、タエは食したことがある。それは壁の外でしか見ないはずの風景で、当然の帰結として、施設の内部で行われているだろうことも想像がつく。

「――よくで〝世界を瘴気から奪還するための研究〟、悪くて〝人体実験〟だろうな。そんでもって、メストス階級のクズ共の行動倫理がよかった試しがない」

 なるべく人を殺さずに。非暴力的手段で人類を制御してみせろと神は言った。だが、この施設は爆撃する必要がある。――なに、人が見えたらすぐに止める。

 世界が滅亡するのを許せないとする心とメストス階級への憎しみが矛盾なく共存しているタエは、感情の揺らぎが大きい。それは世界を危機に晒しかねない欠点でもあった。

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