蝿の大軍

『どうする? 迂回するか?』

 メゾンからの通信にメシアは眉をひそめた。ここで迂回しては作戦が滞るばかりか、中心部の防衛網を薄くするために身を張ってくれているファスト亜区軍の連中にも申し訳がたたぬという考えが鎌首をもたげたからだ。しかし、その思いは諸刃の剣。早く敵中枢に攻撃を仕掛け、早く作戦を終らせるには迂回などは不要であるが、そのために未知の気候現象である〝積乱雲〟に飛び込むのはリスクが大きすぎる。

「迂回しても作戦に差しさわりはないか」

『いや、どうだろうな。作戦本部アジトじゃ色んな部隊がなけなしの力ふり絞って戦ってるから、早く終わるに越したことはないと思うが』

「……そうか。ならば俺たちはこのまま行こう」

 細い目で見る先の空は、地平線がわずかながらどす黒い。そこに、なぜか自分がまだタエだったころに落とした同胞たちの怨念のようなものを感じ身震いする。その予感はメシアの機体からだをわずかながら青白く染め上げる。

「救世主、か。大した名前コードネームだ」

 メシアは自嘲する。誰にも聞こえないほどの小さな声で。

「その役割に、俺はふさわしいのかどうか、な」

 まあいい、とメシアは独り言ちた。例えばあの地平線の黒さが自分への憎悪だったとして、それに呑まれて死ぬのも悪くない。地平線のある場所は攻撃目標のメゾン区中枢そのものだったから、目的が達せられて死ぬのなら本望だとメシアは感じた。

 現場指揮官の死あっての作戦完遂をメシアが渇望するのには訳がある。彼はまだタエという称号の呪縛から逃れられていない。彼が成り上がるまでに殺した幾多もの命を、忘れたわけではないのだ。

『下らんな』

 メゾンからの通信にメシアは我に返る。

「聞いていたのか……?!」

『……何がだ? 別に独り言くらい好きにやってて構わないが? それより、アレを見ろ』

 メゾンが照明で誘導した視線が、恐ろしいものを捉える。それはある意味、メシアの想像を具現化したようなものだった。

 そういえば、空気の湿っぽさは、どうもあそこから来るらしい。そう思った次の瞬間だった。

 地割れでも起こったのかと聞き間違うほどの轟音が、衝撃波となってメシアたち三機の動きを封ずる。音の鳥籠のなかに囚われた三機は、思考を奪われながら退避行動を起こせないままに、つい先ほどまでは地平線が見えていたはずの視界を埋め尽くすほどの、メゾン区第二空軍戦闘機からの集中砲火に遭った。

「なっ――ありえないッ!」

 瞬間移動をしたのだと言われれば信じてしまうほどのスピードで敵がやってきた。そのことに恐怖を覚え、タタは慌てて進路を逸らそうとする。しかし機体の操縦はなぜかうまくいかなかった。

 スラムで死体にたかっていたハエの羽音を思い出すような不快な音は、メシアがかつて属していたメゾン区第一空軍の戦闘機の五分の一ほどしかない機体から発せられる。小さい機体ゆえに集まれば光を遮ることができ、壁となった一群はより効率的に轟音を敵に届けているように見えた。

「――ッ」

 蜂の巣になった三機は、堕ちるかと思われた。しかし、違った。彼らには、蘇生能力がある。太陽光をエネルギー源とする機械仕掛けの身体は、植物の光合成を真似た仕組みで動く。切られても枝を伸ばす木々のように、メシアたちの機体からだも修復されていく。

 しかし、集中砲火は終わらない。しかも、ハエは三機の動力源である光を奪っているのである。蝿の方は進行方向逆向きに水蒸気を噴出させていたが、それが動力と関係あるのだろう。

「水素だろうな」

 科学の知識を持つメゾンは気づいたが、轟音でそれを他機に伝えることはできない。

「いつまで――持つか」

 敵の一機の動力が切れても、敵戦力は容易に補給されるのかもしれない。いたちごっこをしている間にこちらの電源が切れてしまう。

 決定的な打開策が見つかるまでの、我慢比べであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る