瞬く間に、開戦

驕れるものは久しからず

「……ほう」

 白く長い髭を撫でまわして劇でも観るように携帯型のディスプレイを見下ろすのは、メゾン第一区長として権勢をふるう長老であった。

 彼は自身を、地球が毒に覆われた五百年前に大地を侵す瘴気と闘った豪傑の生まれ変わりだと称しており、その権力の正当性が、残された清浄な空気の地域のなかで最大領土を保持していることや支持者、国民の多さにも繋がる。

 民衆とて、盲目的に彼を支持しているわけではない。豪傑の生まれ変わりということを証明できるものなど存在しないから、懐疑的な人間も一部存在する。しかしそれでも支持するのには理由がある。第一に、彼は戦争にめっぽう強い。

 もちろん戦っているのはスラムから引き抜いた“黒肌の民”の戦闘員なわけだが、その戦闘員を育成する技術は七つある“区”のなかでは随一の技術を誇った。

 戦闘員の反逆を防ぐため、戦闘員の肉体に識別機器を埋め込むことを発案したのは彼だった。そしてその識別機器はすぐに機体の識別番号と紐付けされた。この紐付けが、俗にメストス階級と呼ばれる彼らにとっての“戦い”のジレンマを解消した。

 支配階級である彼らのジレンマとは、戦わせあっている駒が強くなればなるほど、自らにとっても脅威になるということ。あくまで彼らにとって黒肌の民は使い捨てられる雑兵であるべきだった。しかし、他ならぬ彼らが保有する駒に遺伝子強化を施し始めた時代から、戦闘員の能力は目に見えて向上し、年を経ても死んでくれない兵士が多くなってしまった。

 長老が見るのはその紐付けされたデータであり、そこには機体番号の横に赤文字でDと記録してある。

 dead、つまりデータのなかの戦闘員たちは戦死している。長老が考えるのは、死んだ戦闘員が残した“戦闘データを生かすこと”。区のために死にゆく者へ約束された弔いのことではない。

「うむ。E06-2030のデータは同じ狂戦士バーサーカー気質の新兵A769-0336に移行してくれ」

「――は、かしこまりました」

 応答するのは、よく聞かないとわからないほど流麗な電子音声。

「移行完了致しました――」

「ご苦労。ではY03群を消してくれ」

「は、かしこまりました」

 一定程度以上戦闘経験を積んで強くなった兵士は、消す。機体にバグプログラムを仕込み遠隔操作の末、事故死させるのだ。

「消去完了致しました……例の機体はどうしますか」

 例の機体、すなわち相討ちの末にデータ回収が不可能となった機体。考える機械が憂うのは、衝撃に耐えられるはずの識別機器からの発信が途絶えたこと。

「……くどいぞビック。死んだ者には興味がない。データなど他機から補える」

「しかし、識別機器はあの程度の衝撃では故障しません。また、墜落地点付近に大破機体デブリが存在しないのも気がかりです」

「まさか、あの見応えある戦闘の末に敵前逃亡を図ったとでも言うのかね? 我が軍の科学は無双であるぞ」

 世界一の権力者は、驕る。口答えできる補佐がいないからだ。

「――しかし、その他ならぬ科学が不確定性を試算しているのでグ……グ……グ……」

 機械はディスプレイに不自然な明滅を返すのみになった。

「やれやれ、自律思考の副産物として感情まで与えてしまったのは失敗だったか。機械の癖に私に口答えなど……」

 長老は部屋の片隅にある赤々としたボタンを押していた。それは戦闘状況の解析を担うオペレーションシステムに過重な電流を流しショートさせる、いわば機械の処刑台ギロチン。しばらくすればシステムは復旧し、予備の機械思考体AIが入力される。

「……システム復旧完了イタシマシタ」

 ざらついた音声が部屋に響いた。

「あぁ、こちらの方が従順でよい。引き続き解析を続けよ」

 長老は一つあくびをしては、肩をほぐしながら部屋を出た。

「カ、シコマリマシ、タ…………」

 能力を低めに設定していた機械思考体AIは、五百機にも及ぶ戦闘機の解析に処理速度が追い付かず、生まれ落ちたままに息をやめた。

 メストス階級の解析が機能しない、この空白の一日。これが、レジスタンスの反旗が想定外の働きをみせる歴史的な一日になろうとは、長老は夢にも思わない。

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