仲間なんて幻想だ

「こんにちは、新人さん。お名前は?」

 険悪な空気を意に介さないように、女性とも男性ともとれない中性的な声が投げ掛けられる。

 タエはきょろきょろと周囲を見回し、やがて視界の片隅に手を振る人間を見つけ上層階を見上げた。

「メゾンはいつもあんな調子なんだ、気に障ったんだろうけど許してあげて。で、新人さん、見たところここでの名前コードネームが決まってないみたいだけど」

「俺はタエだ」

 三階あたりの部屋から身体を乗り出して話をする人影は、タエという言葉を聞いて顔を曇らせた。

「その名前、まだ名乗ってるの? 階級識別名なんて久々に聞いたよ。しかし君、タエの称号まで登り詰めたんだ、すごいなぁ……。すごいけどね」

 まるで生と死さえ曖昧になったような個性の薄い人影が、部屋の窓からふわりと飛び降りた。タエは思わず息を飲む。それは自殺のように見えたから。

「……ごめんね。僕はメストス階級に飼われていた時代をすべて自分から抹消したくて、肉体を放棄するときに、かつての自分の人格も捨てた。性別も、感情もなにもかも、今の僕には馴染まない概念でね。そんな僕はこのアジトでも異質な存在で、人格が喪失していると危なっかしく見えるみたい。……僕からすると、〝忌むべき敵に関わることさえ〟自分の人格形成に重要な働きをなしたものは失いたくないなんて、言う方が不思議なんだけれど。ああ、僕のことはタタとでも呼んで。名前っていう概念で個体識別をし合う文化も、メストスを思い出させて本当は嫌いなんだ」

 学がないタエに、“タタ”という言葉は古代語で“ヒト”を指すのだと耳元で伝えるのはメゾンだった。そしてタタ自身は“硬質化”する前は女性だったとも。

 徹底的にメストス階級の保有する兵士であったときの記憶を消そうとする気迫のようなものをタタには感じる。僕などという一人称を用いるのも、女性であった過去を緩和する目的があるようにタエには感じられた。

「なるほどな。ここにいるためには新しい名前を名乗らなければいけない訳か――」

 タエはそれを鼻で笑った。

「下らんな。俺はタエでしかない。あと五十三機の敵機を沈めればヤオに昇進できたのだが、その過程で引っこ抜かれては俺の時間はタエで止まったままだ」

 タエには兵士の最高位ツェーの称号を手にし、世界を変える約束があった。その約束は兵士として、同じ黒肌の民と同士討ちの一騎討ちを続けることでしか成就しない。タエ自身、妙な組織に囚われの身になったことは迷惑でしかなかった。あの戦場に戻りたい、それがタエの本心。

「俺はお前らが俺を解放するまでタエを名乗り続ける。名など変える気はない、変わるとしたら同胞を殺して昇進したときだ」

 バァン、という音が円柱状の建物内に響いた。あちこちで鳴り響いていた音が、一瞬止まる。

「ふざけるな……」

 タタは今にもタエに殴りかからんという気勢。タエはそんなタタを見下し、目の前で鼻をほじって見せる。

「貴様、それでも誇り高き黒肌の民か? 自らメストスの豚の飼い犬に成り下がろうとはなんたる恥……ッ! さては貴様、豚に取り入り地位を得たか?」

「下らん。殺し殺される戦場で、力なき者は消える、ただそれだけのこと。豚は強い兵士を恐れて、兵士同士に断末魔を聴かせ合い気を違わせることを画策した。ならば気違いにならないまま強くあり続け、豚に近づき討つまでのこと。お前の言説は弱者の戯れ言よ」

「なんだと……」

 二人の言い争いを、メゾンが眉を曇らせて見つめていた。

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