不信感は一方的に

「う、うわっ」

 初めて部屋から出されたとき、その世界のすべてに驚いた。

 戦争が続いたせいで荒れ果てた大地には、銃弾や不発弾が五万と突き刺さりさながら地獄絵図である。海上の空域ならば水面には粘性のある機械油が浮いており、墜落した機体の操縦士は油に海の底に引き摺られていくのだという。そんな世界の穢れを微塵も感じさせない、小奇麗に整えられた空間。そこを滑るようにメゾンが移動する。俺は慣れていないせいか時折躓きそうになり、振り返ったメゾンに手すりに摑まるように助言された。掴まるためだけのものと思っていたら、掴んだ部分が横に滑り出した。

「それにつかまっておけば楽に歩けるだろう」

 ふてくされながらも俺は手すりに身を任す。接しているのは手のひらだけだというのに、身体全体が違和感なく移動できている。これも肉体が金属ベースになった恩恵なのだろうか。とすれば、この装置のメカニズムはきっと磁気を利用したもので――。黒肌の民の兵士に唯一許された娯楽である映画で学んだ知識だった。サイエンスフィクションという分類の作品で似たような演出を見たことがある。

 ――いや、これは作りものの世界なんかじゃない。心を強く持つんだ。そう思った矢先にメゾンが声をかけてきた。

「着いたぞ。上を見てみろ」

「これは――わっ」

 見上げれば、機械仕掛けの世界。巨大な建物に巨大な吹き抜けがあり、その真ん中には巨大な構造物が妖しげな明滅を繰り返す。そして吹き抜けを囲むように、各階に様々な大きさの部屋が、吹き抜けに面するように作られていた。

 ――面するように……!?

 そう、各階の部屋から地上一階に降りるための階段やスロープはない。部屋の向こうには青空が見えるから、この建物は吹き抜けを中心として立つ円柱形の建物なのだろうが、部屋の向こう側に階段がある風にも見えない。

「気づいてる? 私たちは浮けるんだ。ほら、こっちへ来たいと思ってごらん。最初は戸惑うかもしれないけど、足が滑ってこちらに連れてきてくれる」

 メゾンの言葉の意味はわからぬままに、吹き抜けの中に歩み出た彼に置いていかれまいと、その気持ちだけを抱く。

「…………?!」

 肉体の限界を超えた反応速度にタエはただ唖然とすることしかできなかった。神経伝達がなされ、筋肉が動きそこに到達するという感覚を、他ならぬタエ自身が感じぬままに、

「なぜだっ」

 自らの足が地面を滑り、メゾンの真横で自然に減速する。

「これが私たちの新しい肉体だ。悪いが、慣れてもらうしかないな」

 そんなことを頼んだ覚えはない。そう憎らしげに、タエはメゾンを睨み付ける。しかし、メゾンは飄々とその視線をそらし、苦笑しながら吹き抜けの中心部に向かって歩みを進める。

「まぁそう睨むな。我々の肉体と不可分な識別機器の呪縛から逃れるには、肉体を“硬質化”させるしかない――というのも、だ。我々が発見した新元素ファクロを身体中の炭素と置換させると、機器からの発信電波を無効化できることがわかったんだ。副作用は体が金属のような性質、つまり金属光沢と電気伝導性、熱伝導性を示すようになってしまうことだったがそれも科学で克服した。――わかるかい? メストス階級の特権などというものは、ここでは通用しない」

 熱っぽく語るメゾンの背を、タエは冷めた感情のまま見つめる。怪しげに明滅する構造物の前で、機械仕掛けの人間が両手を広げて熱弁を振るうさまは、タエには道化にしか見えない。タエ自身、戦場で戦い続けることを運命さだめと感じ諦めていた。そんな自分が“戦わなくてもいい世界”という口車に乗せられてそのまま気を失ってしまったことを信じられないでいた。そのときの自分の抱いた感情を、自分のものだと認識できない。かつて自分が抱いた感情がどこか肌に馴染まないのだ。

 彼はメゾンがなにか幻術でも使ったのだろうと信じて疑わない。食えない相手という認識から抜け出せておらず、信頼関係など築けるわけもない。

「……残念だなぁ」

 メゾンが振り返る。

「そんなに信用されていないとは、ねぇ。君と私はバディになるんだよ? メストス殲滅作戦の最前線で戦う小隊の隊長と副隊長だ。……よろしくね、隊長」

 差し出された手を、タエは払う。

「なにが隊長だ。俺の知らぬところですべて取り決めやがって……気に食わないな!」

 そして本当にメストスの科学にこの男が打ち克てるほどの知識を持っていたとして、そんな人間が、教育を受ける権利もない黒肌の民の出身とは思えず、違和感だけが募る。

「なにが目的だ……?」

 信頼関係はお互いの立場を明らかにさせて、やっと成り立つものだということに思いが至らないほどには、メゾンは〝計画〟の完遂に心が逸っていたのだろう。

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