レジスタンス

「ん……うあ……」

 長く眠り過ぎたときのような、身体がちぐはぐする感覚にタエは戸惑う。もっとも、タエにとって長く眠った記憶というのは、強い毒気を含んだ空気を吸い危篤状態になっては動くこともできず数日間雨に晒された記憶でしかない。

 この世界では、地位の約束された人間たちは高い壁で囲われた、瘴気ない地区でのうのうと暮らす。壁の外には瘴気が満ちており、それを吸った奇形の動物や植物が暮らしていた。壁から離れるほど食べ物を奪い合うライバルは少なくなるが、瘴気を吸い過ぎて動けなくなる確率も大きくなる。タエはかつて、壁から離れすぎたことがあった。

「うぅ……俺は、また――?」

「安心したまえ。君はもう毒を含んだ世界とは無縁なんだ。――思い出せるかい?」

 メストス階級にとっては塵芥ごみでしかなく、同じ黒肌の民同士にしても食物を奪い合い、果てに戦場で殺し合う存在でしかない自分に、話しかける人間がいる。その、日常に異質なものが紛れ込んだような感覚が、タエに、これは日常ではないことを思い出させる。

「あなたは……〝声〟?」

「ああ、君に姿を見せるのは初めてだったね。こんにちは、加減はどうだい?」

 問いかけに、タエは応えられなかった。夢の世界から意識を肉体に下ろし、目を開けたところで見えるのは無機質な天井しかなかった。聞き覚えのある声の方へ顔を向けようと、いざ身体を起こしたところ、そこにいたのは〝ヒトにあらざるもの〟だったのだから。

「はは、驚いた?」

 タエはくるくると顔を左右に動かして部屋を見る。しかし、ベッドと机しかない部屋はあまりに狭く、その部屋に自分と機械しかいないことを認識するには十分だった。タエは機械に再び視線を戻す。

「君が恐る恐る受け入れようとしているように、私の身体は鋼だ」

「お……オペレーターはどこにいるんだ?!」

「――違うね、私は私だ。音声だけを伝達するための機械ではないよ」

「だったら――なぜ? これはどういう?」

 タエは明らかに狼狽していた。それを機械は、無理に制することなくただ見守る。するとタエも、これは受け入れるしかないことなのだと、徐々に理解していった。

「どうして、そんな体に?」

「聞きたいか? メストスの追跡を逃れるためだ」

 タエは、機械のこの言葉は比較的早く受け入れたようだった。理解したとでもいうように機械に問う。

「俺の身体の最奥に埋め込まれた識別機器を取り外して、発信電波を発さないようにするんだな? あるいは、識別機器のついた従来の肉体を捨てるのか?」

「まあ、〝中らずと雖も遠からず〟というやつだな」

「というと?」

「我々はメストス階級の科学技術は大抵解読している――ただ、識別機器の構造だけがよくわからないのだよ。黒肌の民につけられた識別機器は、なぜか〝個人の意識〟と綿密に連携している。魂というとわかりやすいかね? 魂だけ新しい器に移し替えても、機器とは不可分なのだよ。なんていえばいいかねえ……機器を破棄しようとしたら人格に異常が出るとだけ言っておこうか。機器を無理に外そうとして精神錯乱状態になって死んだ仲間が多くいる」

「だったらどうやって?」

「どうやって機器からの発信電波を途絶させるかって? それはね――とまあ、おいおい話すとするよ。疲れたろう? 君三日も眠っていたんだぜ?」

 そういって機械はベッドテーブルをタエの方に引き寄せ、簡易食のような塊をタエの目前に置いた。

「ありがとう、〝声〟――いや、あなたの名前は?」

「メゾンだ」

「メゾン――」

「私もかつてメゾン区第一空軍の所属でね。使役者の名を自分に冠するとは、なんかこう、皮肉が効いてるとは思わないか?」

 タエにはあいにく彼の趣味はわからなかった。普通は戦場に向かわされるだけの日常など忘れたくなるだろうに。そう思いながら、固形食を噛んで無理に飲み込んだ。

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