肉体改造

「ん……朝か」

 タエは自分の本当の名を知らない。母親が生まれたばかりのタエを捨てたからだ。少なくとも彼はそう思っている。避妊とは金持ちにのみ許された贅沢で、混沌が支配したスラムの野獣に子を孕まされた女は自力で産むしかないのだ。暴力の末の血の繋がりなど女にとって忌まわしいものでしかなく、そもそも子を抱いて生き抜けるほどの余裕もない。憎しみの末にその場で殺されなかっただけ儲けものなのである。

 機械の身体をしているメゾンに、ここで使う名前を決めろ、と言われたことは覚えていた。だが考えているうちに眠くなり、ついに眠りこけてしまったらしい。空軍時代は自分の睡眠はコントロールできていただけに、自分の変化に戸惑う。

「安心、したというのか? 闘わなくて済むこの環境に? 依然メゾンやつの意図はわからないままなのに?」

 メストス階級のもつ科学技術を凌駕する特殊な技術によって自身の戦場からの離脱は〝戦死〟として扱われているのだろう。それならば確かに安心だ。――あの殺し殺される戦場に、もう行かずに済むのなら。

 タエの懸念はその科学技術にあった。なぜメストスも超える科学を手にしている? それにメゾンは彼自身の所属するなんらかの組織の話をしようとしない。タエをなぜこちら側に引き込み、なぜ今もこうして狭い部屋に軟禁状態にしているのか。目的が分からない以上、メゾンを完全に信用などできるはずもなかった。

 ――そして何より、タエは戦場の空気に飢えていた。

 物心ついたときからタエの魂は空にあった。出撃命令に応え出撃し、策略もクソもないまま最短距離で指定された空域に向かい、相手と一対一の勝負をする。メストス階級は例え敵同士であっても結託を恐れ黒肌の民を少しでも群れさせることを嫌うから、該当する戦闘空域には自機と敵機しかないのである。それが、タエにとっては心地よかった。

 相手の背後をとるために無謀ともいえる技をしかける。揚力の加護を自分から引きはがすように、何度も何度も錐揉み落下を経験し、それでいてその度に生還した。敵機を撃墜させて帰還したにもかかわらず上層部の目は冷たい。それでも――

「お、お目覚めのようだな」

 同じメゾン区第一空軍の出身だというメゾンが部屋に入ってくる。

「私が来る前に起きていたということは、〝適合〟もうまくいっているようだな」

「適、合……?」

 メゾンはタエを真っすぐに見据える。

「自分の手を見てみろ」

 こいつは何を言っているんだろう。そうタエは思った。メゾンの肉体は鋼色で、何かのボディスーツでも着こんでいるのだと思っていたが……――

「こ、これは」

 絶句。タエの身体は色あせたブリキのような色をしていた。不意に震えが止まらなくなった指先で、自分の手の甲を撫でる。その感覚は確かに皮膚同士の接触なのに、色が、人間の肌の色のそれではない。

「感覚も異常はなさそうだな。おめでとう、やっぱり君は選ばれた人間だ。私の目に狂いはなかったよ」

「貴様ッ――! 俺に何をした?!」

「そう怒るな。君の機体をちょっと流用させてもらった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る