154偽勇者のジョーカー
――ヒュガッ!
ルシルの声に呼応して、鋭い風切り音を奏でた。
人質にされて動けないクロムの鎖骨辺り……表皮が波打つように放たれた。
行商人の手に隠れて見えないその『斬撃』は、彼が握る
行商人は手に灼熱と力が抜ける感覚を味わい、慌てて握り込めば指と匕首がずるりと落下した。
「ぐあっ!?」
「あーだから『貫け』って……後に引くような怪我させんなよ」
「難しいですますたぁ」
右手首を握り締め、嗚咽を押し殺してうずくまる行商人。
被害を受けたのはこちら。不可抗力である。多少の怪我は仕方あるまい。
そういえばクロムの強度はもしかすると
「さぁ、やるかい。ちなみに『勇者』の俺は、全員を相手にしても負けない『覚悟』があるぜ」
鋭さを増す視線に、偽ルシルが水平に掲げていた腕を振り下ろす。
GOを出された前衛のゴロツキは一斉に駆け出し、後衛の弓兵は矢をつがえ、魔術士は詠唱を始める。
まさか貴重な魔術士まで揃えているとは……シエルは想定以上の組織力に驚くが――
「その程度では
クレイバーに向けて言い放つ。舌戦再開。
叩き潰すのも手だが、降伏を引き出せれば被害は小さくなる。
無傷の相手なら、選択肢に『処罰』が加えられる。大きなメリットだろう。
「馬鹿言いなさんな。切り札ってのは誰しもが持つもんや。
それにあんたんとこのが『勇者はどんな状況でも勝つ』って言うてたやろ」
「そうですか?
こちらのロイヤルストレートフラッシュには、どんな手を出しても勝てませんが」
「その例えなら引き分けはあるやろ」
「えぇ、つまり
相手はルシル一人に全員が掛かりっきり。それでも彼は余裕で対処している。
戦場で生きてきたルシルにとって、むしろそれは久方ぶりに訪れた、まともな訓練とも言えるか。
弧を描く矢の雨に向かって前進し、叩き・逸らし・止めて掻い潜る。
第一波を真正面から受け止め、矢を追いかけて来る前衛と激突した。
一対多。近付いて乱戦になれば、相手をするのは目の前の数人しかいない。
特に後衛は味方を巻き込めないため、ただの案山子に成り下がる。
そうして前衛を引き連れて戦線をずらし、距離を取ろうと躍起になる後衛へと迫る。
瓦解するのは時間の問題だ。
この戦場にさらにもう一人投入すれば、戦況は一方的な殺戮へと変わるだろう。
まぁ、手加減を知らないルクレリアと、対人に全く向かないリゼットを使うのは本当に最後の手段だが。
そういう意味ではミルムが横からちょっかいを入れるのはありかもしれない。
「そうとは限らんで?」
くいっと顎をしゃくるクレイバーに、シエルは視線を向ける。
そこには滝のような汗を流す魔術士然とした二人が居た。
まさに切り札と言わんばかりだが、それを黙って見逃すほどルシルは甘くはない。
集中力が最大になる詠唱を終える間際を見計らって行動に移す。
行きがけの駄賃に手の届く範囲の前衛を軽く小突き、あれよあれよという間に魔術士に肉薄。
「衝撃に備えろよ」
騒々しい戦場で、何故だかそのささやきが魔術士たちの耳に滑り込む。
集中を中断させられる言葉と共に、ただの一撃で昏倒させられ意識が飛んだ。
いいや、身を竦ませる間さえ与えることなく、二人揃って文字通り宙を舞う。
魔術を共鳴させるためか、距離が近すぎたのが仇となった。
受け身も取れない
なので敵が拾える……もとい、
これで落下する魔術士に押しつぶされ、さらに五人の足が止まる。
鎧袖一触。剣すら抜かずに瞬く間に制圧していく。まさしく圧倒的。
「切り札、早々に消えちゃいましたね。
まだ降参は受け入れますがどうされますか?」
「……まだや。いや、
ルシルの予想外の強さに冷や汗を垂らすクレイバー。
だが、その言葉には自信がみなぎっている。
一体どうやって状況をひっくり返そうというのか……シエルが戦況を見守っていると――
「何だ?」
あらゆる感覚が
未来視に等しいほどの先読みは廃れ、戦況把握もままならない。
距離を取れば矢が迫り、あちこちから振り下ろされる剣の処理が追い付かず、受けに回らされる。
そう、これまで全幅の信頼を寄せてきた
「ルシル様ッ!」
目に見えてルシルの動きが悪くなっていく姿に、シエルが悲鳴を上げる。
思わず足を踏み出す――のを、ルクレリアが腕を掴んで止めた。
「やめとけ。
「何をするのです!」
煩わしい。引き寄せられる腕をバッと振り払う。
彼女が本気で止める気ならば万力のように動かない。
強化も施していない
それが――
「おぉ。そっちの姉ちゃんはようわかっとるな」
「何をしたのか知らんが大したもんだ。全く力が出ない」
「力が、出ない……?」
「あぁ。シエルは魔術士だから感じないのか?」
「身体だけではなく、魔力もおかしな挙動をしています」
「そういやリゼットは
「はい。とても、不愉快です」
「世間様はお前みたいにいつも絶好調じゃないぞ」
リゼットの《
何とも羨ましい悩みだろうか。ルクレリアは嘆息した。
術式を獲得してからの彼女は『訓練』とは程遠く、ある意味では極度の虚弱体質とも言えるだろう。
免疫や筋力は、使う機会があってこそ能力が向上するのだから。
となると、莫大な魔力量を持つミルムは――視線が向くよりも前に、ルシルの声が上がった。
「クロム! 正拳突き一本!」
感覚の違いに苦戦を強いられる中での一声。
自分たちと同じ状況なら、声を上げる力さえもったいない。
ましてや全力行動を強いられる戦闘中なら、一呼吸さえ貴重なものだ。
だというのにそんな言葉がそれほど重要なことなのだろうか。
ルクレリアは思わず首を傾げる。
それよりもこちらが把握している情報を――
「はい、ますたぁ」
――ふしゅっ
指示に反応して腰を落とした型から腕を前に突き出す。
愚直なまでの訓練を行ったためか、この短期間でなかなか様になっている。
これにはルクレリアも素直に感心してしまった。
「違和感は!」
「? ないです」
クロムの返答を聞くや否や、ルシルは即座に距離を取った。
既にあちこちに傷を負い、この短時間で息も上がっている。
ルシルに
だから――
「
その一言が、目に見えてルシルのパフォーマンスが落ちて、血気盛んになっていたゴロツキ共の動きを縫い留める。
これまで割とポーカーフェイスだったクレイバーに至っては、瞠目して動揺が表に出ていた。
ただの数分にも満たない短い間であっても、激減した能力で生き残ることは難しい。
いいや、むしろ短いほど慣れられず、そのあまりに大きな誤差によって自滅する。
ましてや看破するなどありえない。
であれば当てずっぽう――クレイバーが判断する前に、ルシルの口撃が始まった。
「範囲はこの広場か。さほど広くはないが儀式場とは張り込んだな」
「何を、言うとんねん」
「ただの独り言さ。でもまぁ、聞くに値するだろ?
そうだなぁ、
なら『指定した者の能力値を
「――ッ!!」
流れる汗を拭うルシルはそう言って、クレイバーを指差した。
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