140ルクレリア=ザイン

 ルシルとのエキシビションマッチがあるように、個人戦はあくまで『お遊び』である。

 何故なら参加する彼らは軍人であり、戦場で敵勢力を殲滅もしくは制圧するのが仕事だからだ。

 一対一の戦闘に持ち込まれた時点で負け。

 ゆえに個人がどれだけ強かろうと意味はなく、むしろ差が大きいほどに『扱いにくい駒』となる。

 ただ、それも突き抜けてしまえば話は変わる――


自国うちに欲しい』


 誰もが望む。それほどの突出した武力が、横槍の介在しない『一対一タイマン』で披露される。

 薙ぎ、突き、打ち、体当たり。全ての攻撃が素通りする。

 唯一触れられるのは、勇者が武器を払った瞬間だけ。

 一切退くことなく、ずんずんと前に無造作に進んでいく姿は圧倒的だ。

 しかも腰に佩いた剣を抜かず、無手で攻撃さえせずに攻勢を維持する。


 余りに一方的な光景に大観衆がしんと静まり息を呑む。

 武力で身を立てる彼らが見ても『ホンモノ』の風格に、どれほど隔絶した差があれば実現するのか――

 むしろよくぞ打ち込んでいると対戦者……優勝者を褒めるべきかもしれない。


 そんな会場の静けさに気付いたルシルが足を止める。

 隙だらけに見える姿だが、挑戦者は手出しすらできずに上がりきった息を必死に整えていた。


「少し、稽古をしようか」


 ルシルが片手を上げると、カランディールが木の棒を投げ寄越した。

 対戦相手の剣の長さと同じサイズの棒は、彼の魔術で作られただけの何の変哲もないただの木材だ。

 コンコン、と地面を軽く叩いて強度を確認して握り込む。

 ただこれだけの動作で、対戦相手の身が引き締まる。


 無手で隔絶した差を見せつけられた。

 棒とはいえ、得物を握った勇者がどれほどなのか。

 衆人環視の下、エキシビジョンという名の稽古が始まった。


 ゆるりと構えていたルシルの身体が、わずかに前傾した一瞬で対戦相手に詰め寄る。

 外から見れば歩くような『入り』だが、当人には気付くことさえ許されない。

 鎧を纏う胴に折り畳んだ足を添え、押し出すように優しく蹴り飛ばして間を開ける。

 その距離の開いたところへ――


 ――バッガンッ!!


 矢玉のような豪速で何かが飛来し、地面に激突。壮絶な爆音と土埃を巻き上げた。

 何が起きたのか……誰も分からず騒然とする中、ゴバッと土煙を掻きわける影がルシルへと一直線に迫る。

 周囲の大気を巻き込むような勢いにも、相対するルシルは怯まない。

 そればかりか蹴り飛ばした対戦相手が手放した剣が頭上に落下してくるのを、一瞥もせずに掴み取る。

 そのままするりと流れるような所作で、剣を斜めに振り下ろした。


 ――ギギギギッ!!


 盛大な激突音は……ない。

 ただ金属同士が擦り合う、重い扉を開けるような底冷えする音が響く。

 土煙が落ち着けば、ルシルと鍔迫り合いをしている姿が見えた。


「随分と派手な挨拶だな、リア」


 ごつごつとした全身鎧に、身を隠せるほどの大剣。

 重装歩兵そのものとさえ言えるほどの完全武装で激突する相手にルシルは自然体。

 呆れる声で呼びかけた。旧知の間柄らしいが――


「リア……? まさか傭兵剣士、ルクレリア=ザインですか?」


 ルシルの呼んだ名にシエルが反応する。

 あらゆる職種に戦力じんざいを派遣する大商会、『ギルド』の秘蔵っ子。

 最年少で最高ランクにまで上り詰め、勇者と肩を並べるまでになった大剣使い。

 錆止めの黒い重鎧じゅうがいを全身にまとい、身長ほどの巨剣を軽々振り回す異質さ。

 そしてその姿に見合わぬ俊敏さから『黒曜の猫クロネコ』と呼ばれていた。


「一人で魔王なんぞ倒しに行くからだ」


「久々の挨拶がこれ・・になる理由が、それか?」


「うるさい。憂さ晴らしに付き合え」


「いや、今はちょっと、取り込み中でな?」


 片手持ちの長剣でルクレリアの大剣と鍔迫り合うルシルは、顎で蹴り飛ばした優勝者を指す。

 蹴りの威力は殺したものの、咄嗟のことで距離の調整までは気が回らなかった。

 そのせいで反対側の壁に少しめり込んでいた。

 それでも盾を放さず趨勢を見守り立っている姿は立派と言えよう。


「気絶してるやつに気遣う必要なんぞない」


「え、あれ? 意識飛んでんのか」


「何を驚いてる。お前が蹴るなんて六頭牽きの馬車に轢かれるようなもんだぞ。

 それでなくとも十数メートルも水平に宙を舞って壁に激突したなら、生きてるだけでも十分だろう」


「そ、そうか」


 カランディールを堕鳥ダチョウの攻撃から逃がすために蹴ったことが頭を過る。

 彼は血反吐と悪態を吐きながらも平然としていた。

 つまりはあの華奢な身体で信じられない耐久力だったということだ。

 相手に合わせる必要がある手加減は本当に難しい。

 これでは『ルクレリアから守った』なんて大層なことは言えそうにない。


「この戦いはエキシビジョンみせものなんだろ? だったら一緒に踊ろうぜっ!」


 大剣を押し込み、ルシルを大きく退かせる。

 開いた距離に差し込まれる、パースが狂ったかのような大剣を軽々と薙ぎ払う。

 ふわりと浮いた身体をルシルは止めず、さらにわずかに下がってやり過ごす。


 それを見越したようにルクレリアは腕を畳み、大剣の背に肩を当てて前方へ突貫する。

 そんな射程の短い体当たり……だけではない。

 柄を握る手を引き寄せ、肩を支点に重い大剣を曲芸のように跳ね上げる。

 だが、淀みのない流麗なルシルの動きはまさに柳のようで。

 下がった後ろ足をわずかに踏み込み、今度は半身で前進。

 大剣の攻撃を透かして通り過ぎ――


 ――ぞわり


 抜けきったはずの死線。だが、ルシルのカンが警鐘を鳴らす。

 首筋が粟立ち、踏み出した前足をそのまま地面を滑らせて自身の体勢を真下へと落とす。

 すると先ほどまで首があった空間を、横薙ぎの剣閃が間違いなく通り過ぎていた。


 いや、攻撃は終わっていない。

 躱したはずの死の線が、さらに背後から――


 ――ギインッ!!


 咄嗟に剣を背後へ回せば、あまりにも重い衝撃が身体に叩き込まれる。

 無理な動きをさせた手首に殺到する衝撃に逆らわず、押されるままに上体を起こして前進。

 ルクレリアから離れて即座に向き直った。


 ザク、と命を救われた借り物の剣の半分が、威力を殺し切れずに折れて少し離れたところへ落下する。

 観衆が沈黙で見守る中で行われたルクレリアの攻撃は、全て防がれたが――


 わぁぁぁぁああ!!!


 誰もが賞賛の歓声を上げた。

 ルクレリア本人の豪快な馬鹿げた強さだけではない。

 巨剣を振り回すために大振りになりやすい自らの隙を潰し、一方的に攻撃し続けるための切り札。

 自らの存在を空間に焼き付ける固有術式、《幻影ファントム》の乱舞に魅了されているのだ。


「相変わらずの切れ味だ」


「ふん。全部避けておいて何を言う。まだ借り物の剣しか奪えてないだろうが」


「借り物なんて悲しいこと言うなよ。俺の得物は道具のすべて・・・・・・だぞ」


「は、その腰に下げてるのは何なんだ?」


「……あぁ、これな。使ってみるか?」


 剣の柄にポンと手を置いて応える。

 ルクレリアの知るルシルは、いつも数打ちのものを握っていた。

 それでいて戦果は誰よりも上げていて、帰って来るたび違う武器に変わっている。


 彼が言うように、武器は何でもいいのだ。

 剣でも槍でも斧でも鎌でも鎖でも鞭でも弓でも盾でも、鎧でさえも難なく使いこなす。

 誰もがルシルの武力に魅了されるが、ルクレリアからすればその器用さこそが脅威的なのだ。

 本来、どんな武器や道具を使っても、それなりの修練は必要なのだから――


 ルシルが柄に添えた手が持ち上がると、吸い付くように剣が鞘から引き抜かれた。

 低い姿勢で警戒していたルクレリアだが、あまりに自然な動作のせいで、警戒が一拍遅れてしまう。

 時間を盗むようにぬるりと肉薄したルシルの剣は、最短の軌跡を描く。

 そうしてルクレリアが前に出す膝頭を狙い打った。


 ――キンッ!


 高い金属音を奏でてルシルの斬撃が弾かれる。

 全身鎧の関節部……それも『甲』の部分を切ればそうなるに決まっている。

 だが、ルクレリアは音がするまで全く気付かなかったのだ。


「このっ!!」


 巨剣を振るえば、風のように空を切る。

 視界に入っているはずのルシルの動きが、何故だか一挙動、二挙動抜けて・・・見える。

 早いとか遅いとかではない。見えているのに見えていない。

 だから、気付いた時にはもう遅い。それこそ暗殺者のように。


 ――カァンッ!


 反対の胴を薙がれる。が、剣の重みのみで振られた攻撃のダメージは皆無。

 それはもう、達人が弟子を相手に披露する演舞のようだ。

 打ち合わせがあったかのように。示し合わせたかのように、綺麗に決まる。

 そんな『お為ごかし』を観衆が抱くほどに、ルクレリアの攻撃は届かない。


 キンッ! シュッ!


 透かし、いなし・・・。ルシルはまともに打ち合うことはしない。

 そんなことをすれば、先ほどの剣のように簡単に折れる。

 強度など関係ないほどに質量差は歴然で、技量にしてもルクレリアは世界でも類を見ない巧さ。

 いかにルシルが常軌を逸していても、明確なほど差があるわけではない。


 ヒュバッ! ザッ!


 そして何より厄介なのは《幻影ファントム》である。

 初手は攻撃に使われたが、自らを空間に焼き付けるという特性上、どうとでも扱える。

 遮るように出せば壁や盾になるのだ。

 まさに攻防一体の近接技術で、ルシルといえど崩し切るのは難しい。

 そんな均衡が崩れるのはもうすぐ――

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