第六章:勇者と偽りの関係

134飛び交う思惑

「それはそれは。生きた心地がしなかったでしょうね」


 ルシルとの再会を果たし、一連の流れを聞いたシエルが頬に手を当てて零した一言である。

 結論から言えば、シエル率いるルシル探索隊は、ミストフィア大森林から数キロの距離に迫っていた。

 エルフの先導でリゼットがバベルの旗下に飛び込まなければ、武力衝突が起きていたかもしれない。


 そうして何とか平和が保たれたこの場は、ミストフィア大森林内でルシルに用意された休憩所である。

 既にこの地の英雄に名を連ねることになった彼を軽々に扱うわけにはいかない。

 そればかりか、あらゆる面からもルシルは重要人物に祀り上げられている。

 ただ、その事情を当の本人は気付いていないが。


 ちなみに先触れを果たしたリゼットは、病人の扱いに文字通り陣地と村を右往左往していてかなり忙しい。

 また、ミルムはカランディールに連れられてお散歩中。

 彼女がジッとしていられる時間は限られている。


 そんなわけで、リゼットの往復に付き添ったシエルと二人きり。

 涙を滲ませながら胸に飛び込んでくるシエルを見たルシルは、盛大な安堵の息を吐いたのは言うまでもないだろう。

 本当に、いろんな意味で。


 ちなみに多国籍軍はバベルの要望という名の指示で陣を敷いて待機中。

 神域が解消され、ルシルも見つかった今となっては、威嚇にしかならない頭痛の種に早変わりしている。

 彼らを養うだけで、日々どれだけの兵糧が消費されるか――。

 まぁ、きっとその辺もシエルが織り込んでいるはずなので、ルシルは考えないようにした。


「まったくだぜ。これでカランが幽閉でもされたら目覚めが悪いだろ」


「いえ、森長の方ですよ」


「うん?」


「降伏勧告を受ける心情だったでしょうね」


「……どうしてそうなる?!」


 かの禁足地の主を前に堂々としていた男は、頭を抱えて叫ぶ。

 シエルの言葉がまったくわからない、という風に。


「見たところミストフィア大森林に城壁のようなものはありませんよね」


「そうだな?」


「つまり何処からでも侵入し放題なんですよ。

 平時はもっと外側……森の端から村までの間に鎮圧する算段なのでしょう。

 もしかすると迷いのまじないか何かが敷設されているのかもしれませんよ。要は辿り着けなければいいのです」


「広大な得意な地形ホームが城壁の役割を果たしてるわけか」


「恐らくは。ただ、今回は神域によってその範囲が限定されてました」


「単に城壁がない……要はがら空きって話か?」


「はい。無傷の軍が眼前に現れればどうなります?

 それも私を随分と買い被った数で言ったのでしょう?」


「それは……」


 言い淀むルシルは、たしかに『万』の数を出していた。

 明らかに誇張のある数字だったが、それを告げたのは禁足地を解放した英雄である。

 あり得ない数でありながらも現実味が増してしまう。


「私に実感はありませんが、神域自体の効果も侮れません」


「どういう意味だ?」


「良くも悪くも。神域は通る者を適応できるか否かを無差別に分別しますよね。

 それはつまり、少数の適応者を除いて戦闘不能に陥らせる『無敵の盾』だと言えませんか?」


「たしかに。だから俺が話をしに行ったわけだからな」


「えぇ、ですので・・・・、ルシル様の言葉を聞く必要はなかった」


「え、いや……え?」


「だって、正気の少数を排除すれば、残りはただの廃人だけですからね」


「反応が鈍かったのはそういうことを考えてたからか」


「本来ありえないことですが、その無敵の盾が崩壊しました。

 いかにエルフが人族に比べて精強でも、数の暴力は侮れません」


「でも笑ってたぞ……?」


「えぇ、ですので生きた心地がしなかったのだろうな、と。

 目の前にはエルフ達が断念した御伽噺いいつたえを突破してきたルシル様が。

 隣に控えるカランディールどうほうまでもを懐柔し、過去の精鋭を凌駕する戦力が目の前に、ですよ?

 このプレッシャーたるや……その状況下で笑みを浮かべられる森長の胆力こそを褒めるべきだと私は思いますね」


 これでは単に武力を背にした脅しである。

 むしろ森長は真正面から『脅しか?』とまで踏み込んでいた。

 真意を見定める問だろうが、そんな場面でよくぞ訊けたものである。

 絶句するルシルに、まるで見てきたようにシエルはその場の空気を解説する。


「何とでも強く出れるはずのルシル様からの初手は、予想外に軽い要望です。

 むしろ予定調和ともいえる、要望とさえも言えない、ただの確認事項でした」


「確認、になるのか? 俺は最初から帰還を頼んでたぞ?」


「拉致してきたわけでもなし、いつまでも無能な部外者を養いたくありません。

 障害が取り除かれたのであれば、早々にお帰り願うのはむしろ当然の流れです」


「う、たしかに?」


「たとえばルシル様、昼時に食事処に来た一見の客が『昼ごはんが食べたい』って言ってきたらどうします?」


「……反応に困りそうだな」


「しかも相手は店を簡単に捻り潰せる人物です。雑な対応は命取り。

 なのに真意もわからず、会話のボールが渡されたら、なかなかの地獄だと思いません?」


 いちゃもんをつけられないように配慮し、真意を聞き出すのがどれほどの苦労か。

 謎に細かい話から始まったのは、前提が存在する話から広げる必要があったからだ。

 立場によって受け取る意味がまったく違ってしまうのに、ルシルの態度が最初と変わらなかったのも悪かった。

 謎に深読みする事態に陥り、お互いの真意が伝わらず、話が上滑りばかりしたのだろう。

 胆力がありすぎるというのも問題だ。


「また、エルフ側には押し通さなければならない二つの条件がありました」


「条件?」


足手まといびょうにん押し付けへんきゃくと、最大戦力るしるさま足止めぶんだんです」


「え、俺が残ったのにも意味があるのか?」


「もちろん。伝令には必ず人族が、そして村には誰かを残す必要があります」


「そうか? 別に行ったり来たりすればいいだけだろ」


「遠距離からの無差別攻撃……バリスタや魔術を封じたいからですよ」


「なんでいきなり攻城戦みたいな話に?」


「ルシル様が人族の斥候ではない、って証明できると思います?」


 少なくともルシルは、外から軍が来ると吹聴したのだ。誰がどう聞いても宣戦布告である。

 この段においても実力行使に出ないのは、単なる嘘だったのかもしれない。

 だが、嘘でなかった場合は……?

 そんな様々な思惑を綯い交ぜに、最善を尽くしたのだろう。


「さて、送り出すにしてもミルム様は幼すぎます。

 ルシル様は論外で、リゼット様は都合よく補佐を担当する人員です。

 軍に戻っても直接的な戦力にはなりません。ルシル様を送って戦力を上げるなんて愚策ですからね」


「俺が論外? というか、あいつも前線で戦えるんだけどな?」


「そんなことをエルフが知ってるわけないじゃないですか。

 情報を得られたのはルシル様たちが禁足地の主を討伐に向かう前の話でしょうし」


「なるほど。それで待ったをかけたのか」


「要は信用される大人であり、かつ戦力が低い者であればいいのです。

 だから・・・エルフは、斥候を護衛と称して派遣する大義名分が得られます。

 軍の規模やルシル様の言葉の裏取り、衝突の可能性など、情報収集がしたかったのですよ」


 戦闘の駆け引きは、虚実を含んでいたとしても実に単純明快シンプルだ。

 程度の差はあれ、相対する互いの目的が『相手を制圧する』で一致するからだ。

 そう考えると、言葉でのやり取りは恐ろしく複雑で、空虚なのだろうか。

 『人類には言葉がある』という善人の言葉フレーズは、詐欺師が扱うよりも悪辣なのかもしれない。


「何にしても、ルシル様を納得させる理由を会話の中で見つけ出したことには驚きですよね。

 さて、ルシル様を引き留めた理由は三つ。

 人族をエルフ領から出さないこと。ルシル様を軍と分断すること。そして人質に取れる病人をエルフが運ぶことです」


「最初のは遠距離の話だよな。戦力の分断もわかる。

 で、最後の配慮は、人質にする気でエルフが運んだのか?」


「村でルシル様に暴れられては元も子もありません。

 そういう意味で病人が手の届く距離に居るのはとても重要です」


「なるほど。てことは送るのは戦闘の下準備か」


「恐らくは。運搬に駆り出された者は総じて精鋭です。

 斥候が殺されたり、話が違った場合は武力衝突も考えられます。

 先手を打つために紛れ込ませるには恰好の理由だと思いませんか?」


 そうシエルは冷笑を浮かべる。

 万軍を背景に攻めてきそうな状況下。

 多くの命が掛かっているのだ、策を巡らせるのは当然のことだろう。

 ただ、ルシルには及びもつかなかっただけで。


 そんな彼の心中は穏やかではない。

 むしろ友好的に進んだ、なんてお花畑で話を終えたのだ。

 思い返せば会談後に、カランディールがニヤニヤしていた理由はこれだったのかもしれない。


「そういう意味ではミルムって足手まといこどもが残るのも目論見通りなんだな。

 会話の中でよくそんなことまで考えつくもんだな。エルフはみんな天才か?」


「年の功でしょうか。ともあれ、すべてが杞憂で終わってよかったです」


 落ち着いた笑みを浮かべるシエルは年相応に見える。

 だが、彼女が集めた戦力は三千にも上る。

 個人が所有する島でしかないメルヴィには、ただの一人も導入できる軍人など存在しない。

 唯一、戦えるのが大英雄ルシルなので、過剰でさえある。今回はむしろ救助対象だったのだが。


 それがたったの二週間。

 遠征期間を考えれば、三日ほどで編成してのけた計算だ。

 たとえケルヴィンが暗躍していたとて、各国の要人を口説き落し、ここまで運んでこられる者がどれほど居るだろうか……。


「そういやあいつらは何処から連れて来たんだ?」


「オーランド、アトラスはもちろん、シュエールからも来てますよ」


「……シュエールは敵扱いだろ。アッシュは何しとるんだ」


「まだ手駒は少ないって嘆きの手紙と一緒に、密かに精鋭を十人送ってくれましたよ」


「それって絶対に元暗部の奴らだよな?」


「有能であればいいのです。バベルにも斥候役は重要ですからね」


「まったく。お前らは揃って人使いが荒いぜ」


 両手を上げて降参のポーズを取る。

 本当に大した奴らである。

 それにしても。


「ところで、なんて言って連れ出したんだ?」


「あぁ、そうれなんですが。

 実は大英雄が贈る最高難度の実戦演習、『勇者ルシルを討伐せよ』のイベントが現在開催中・・・・・です!」


「…………はぁ!?」


「私の勇者様、奮ってご参加くださいね?」


 ウインクを入れるシエルに、ルシルは今度こそ絶句した。

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