129天敵

 ビュッと不可視の糸を振り撒く。

 毛も飛ばず、瀕死の身体でも、破滅蜘蛛アナーキクラウドは生きて動きを止めない。

 動くたびにバシャリと体液を飛び散らせながらも懸命に。


「リゼ、あいつも・・・・ミルムを狙ってる」


「……距離が近いだけでは?」


「瀕死のお前が居るのにか?」


「ルシルが傍に居るからでは……」


「それもあるかもな」


 意味深な返答にリゼットは疑問を抱くが、そんな時間はない

 ルシルに掴まれた腕が強く引かれ、ぐんと前へ進む。

 そうして破滅蜘蛛アナーキクラウドに近付いたかと思えば――


「お前らはそっちで雑魚の相手な!」


 魔物の群れに対処する二人へ向けて言葉こえを投げる。

 そしてリゼットが施す強化以上の膂力で、彼女をぐんと勢いよく投げ捨て・・・・た。


 ルシルの力に負けて肩が抜ける衝撃が――脳に到達する前に回帰する。

 空を翔ぶ彼女の頭から血の気が引いて暗転す――回帰する。

 走馬灯のように世界が駆け抜けスライドする視界を味わうと同時に地面に激突――回帰する。

 二転、三転して泥だらけの身体が持ち上がり――回帰する・・・・


 彼女の《循環回帰リスタート》がなくては成り立たない、攻撃としか言えない移動方法・・・・

 あまりに非人道的すぎないか。

 そんな色々が噴出する不満を抱けたのは――地面への激突を経て何度か転がった後。

 正確に言うなら、押し寄せる魔物に手一杯の二人が、あまりの驚きに一瞬硬直する姿を見てから。

 そうして彼女は跳ね起き、前方の魔物へメイスを振り被る。


 対して。リゼットを投げた反動で停止したルシルは、瀕死に見える破滅蜘蛛アナーキクラウドへと向かう。

 しかし手に持つ剣は堕鳥ダチョウの首への一撃で既にボロボロ。

 毛の侵食も受けており、いつ折れても、柄が潰れても不思議ではない。

 これ以上負担を掛けるわけにもいかず、これでは切り落とせるのは細い足くらい……。


 ぶわっ、、、


 ルシルの接近に反応してか、水気を含んで飛ばないはずの体毛が宙に舞う。

 表面は艶やかに濡れている……だが、負傷によって再生した部位か、はたまたナニカを獲得したか。

 観察の時間も惜しいルシルは、死闘を覚悟して剣を――


 ズザッ!


 ルシルの剣閃が届くよりも早く、破滅蜘蛛アナーキクラウドが後退る。

 故障していた足の完治……いや、あちこちにばら撒かれた糸を引き寄せた成果だ。

 その判断には細く透明ながらも薄く光を反射する筋が見えたから。

 しかしあれだけの重量を軽く牽引できる強度には改めて驚嘆に値する。


「くっそっ!」


 悪態が漏れるのも無理はない。

 彼ら、わなを操る蜘蛛の魔物は、障害物が多い場所でこそ真価を発揮する。

 それこそ堕鳥ダチョウとは真逆の性質と言って差し支えない。

 ゆえにルシルの初撃は出鼻を挫いて速攻を決めたし、今回もミルムを狙う隙・・・・・・・に接近したのだ。

 いかに手荷物リゼットが居たとはいえ、彼の速度について来るのなら、他の者では対処できない。

 特に虫の眼は、そう簡単には誤魔化せない。


 現に、大樹に絡めた糸を巻き上げ、自身をぶら下げると、さっさと糸を別の木に飛ばしている。

 ただでさえ厄介な相手なのに平面的だった動きが立体的に跳ね回る。

 そして何より、負傷を回復するために時間稼ぎを選択するほどに賢い。

 堕鳥ダチョウとは別の意味で悪夢としか言えない状況だ。


「まぁ、それでもやるしかないんだけどな」


 苦しい連戦を強いられる勇者は、どんな逆境でも笑うのだった。


 ・

 ・

 ・


「援護に――」


「ダメです! あの蜘蛛にわたくしたちは無力なのです!」


 カランディールに代わり、目の前の雑多な魔物を一身に引き受けるリゼットが制止する。

 彼の背にはミルムが乗っており、激しい運動はご法度だ。

 それにこちらの魔物が破滅蜘蛛アナーキクラウドに合流すれば、それこそ乱戦で手に負えない。

 それよりも――


あの・・破滅蜘蛛アナーキクラウドは魔術を……いえ、魔力を・・・妨害します!」


「――は?」


 予想外のリゼットの言葉にカランディールの手が止まる。

 代わりに背中のミルムの魔術が炸裂して押し留め、慌てて復帰した彼の援護で均衡を保つ。


「魔力の妨害とは何じゃ?」


「ご存じの通り、遠距離攻撃を可能とする『魔術』への対策には長い歴史があります」


「そうなのか?」


「はい。発動後の魔術を防ぐより、発動させない方が安全なのです。

 防壁や防御魔術で防げないこともありますからね。

 そうした魔術妨害ジャミングが普及すれば、当然のように干渉を防ぐ技術も編み出されます」


「終わらぬではないか」


「技術は日々進歩するものですのでっ!」


 魔物の圧が上がり、リゼットの余裕が削られる。

 それでなくとも補佐特化の彼女には荷が重い。

 辛うじて戦線を保てているのは、拝聴するカランディールの援護、そして魔物の弱さにあった。

 いかな彼女でも夜叉虎ホロウタイガークラスがごろごろ出てきたらお手上げだ。戦線など即座に崩壊する。

 三人は呼吸を合わせ、リセットが地面を叩き割って後退する。


「対して、ルシルのような戦士は魔術妨害ジャミングでは対処できません」


「まぁ、大した『魔術』は使わぬからな」


「はい、それに距離を取れば『的』なのです。

 費用対効果を考えれば、何か対策するよりッもっ!

 攻撃魔術の研鑽に励む方がよくなります。ですが――」


「万物に宿る魔力への干渉となると戦士であっても歯が立たない」


 苦虫を噛み潰したように、カランディールが吐き捨てる。

 彼らが戦士たりえるのは、肉体を扱う技術や筋力だけが優れているのではない。

 それらはあくまでベースであり、それら技術に紐づく魔力運用が噛み合って、初めて超人の仲間入りができる。

 厳格な物理法則に守られる世界で、何の理由もなくルール無用な動きができるはずがないのだ。

 そういう意味ではエルフの線の細い身体で人外の膂力を扱えるのも納得いくだろう。


「魔力を意識的に体外に取り出して魔術式に昇華するのが魔術士。

 肉体内で動きに合わせて運用するのが戦士、と分類されているだけです。

 その強弱や得意分野で呼ばれ方が違うだけで、誰しも無意識下で魔力に頼って生きています」


「ふむ? わっちもか?」


「おそらくは。

 意識しなくても呼吸をするように、魔力は生理っ、機能の一つです。

 そんな重大なものが急に制御不能になれば、どんな影響が……。

 いいえ、それよりもわたくしたち魔術士にとって、あれは攻略不能の相手です」 


「……だが我らは魔術を扱えている」


 カランディールの言うように、彼の援護が無制限なのは、木性魔術により虚空から生成しているからだ。

 堕鳥ダチョウを転ばせた木の根や、魔物を捕獲した蔓の網なんかも使えている。

 一概に魔力への……。


「それはズバリ距離、です」


「射程、そうか……たしかに破滅蜘蛛アナーキクラウドへの網は届かなかった・・・・・・な」


「わっちの魔術も不発に終わったのっ!」


「えぇ、わたくしの強化・治癒・補助魔術も剥がされました。

 魔術妨害ジャミングは基本的に『専用術式』です。こんなにも系統の違う幅広い魔術に対抗できるわけがありません」


 そもそもリゼットの《循環回帰リスタート》の構築式は彼女だけのもの。

 それにどちらかといえば戦士側に属する、体内での魔力運用である。

 妨害はおろか、構築式を見ることさえ叶わない……にも拘らず、完璧に機能停止に追い込まれている。

 しかも妨害というよりは、単に『結果が起きない』だけ。


 だから・・・リゼットもカランディールも気付かなかった。

 そう、彼女は地獄鹿ヘルジカとの一合で、強化や補助魔術を知らずに根こそぎ外されていたのだ。

 ゆえに跳びかかった惰性・・の速度と、生身の強度でぶつかり、あっさりとリタイヤさせられてしまった。

 当然、《循環回帰リスタート》の効果もなく、強度の足りない身体のあちこちに血を滴らせ、距離が開いたことで回帰が始まる。

 こうして『無傷で出血の痕跡』が作られた。


 また、カランディールの矢や蔓も効果が減じていたはずだ。

 彼の術式は、矢を生成するだけでなく、威力や飛距離や軌道など多岐に渡る。

 相手にした敵の強度もさることながら、無効化の範囲に入ってしまえば、凡夫の攻撃と変わらない。


 それは大海にお湯を足すように、術式は自然にほどけて消えていく。

 つかみどころがなく、理由もわからない。ただ、自然の摂理に寄り添うように、だ。


「であれば、やはり戦士たるルシルも――」


「いえ、ルシルは厳密には『戦士』ではないのです。

 彼は魔力を必要と……より正確には、ルシルは魔力を持ちません・・・・・・・・


「……なに? そんなことがあり得る、のか……?」」


「はい。全くのゼロ。ゆえに彼は、あの破滅蜘蛛アナーキクラウドにとって唯一の天敵たりえるのです」


 ゴォッと空気を爆発させるようなフルスイングで魔物を後退させ、リゼットは自信満々で笑う。

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