128循環回帰
リゼットの絶叫が周囲を震わせる。
組み伏せられているはずの彼女の姿は見えない。
その悲鳴に少し遅れてカランディールの矢が
だが、多少のダメージが通ったところで状況が改善される兆しはない。
ただ、
ルシルの思考が『どうして?』で染まる。
そうして動揺する頭を置き去りに、ルシルの身体は最適解を目指して始動していた。
ミルムを抱えては行動に制限が掛かる。
投げられたミルムは放物線を描き、強制的な空中遊泳を強いられる。
一瞬で距離を詰めたルシルは自らを弾丸に変え、
余りの衝撃に空気を軋ませるような鈍い轟音が響く。
脚の根本が二本ほど潰れて半身が持ち上がるのがその証拠。
ミルムからすると宙に浮かんだ一瞬の出来事だ。
「吹き飛ばせ!」
緊急事態を脱したことで、空中の姿勢も確保したミルムへルシルの指示が飛ぶ。
対して上空からの視点を得たミルムは、わずかに浮いた
奥へ転んでくれればよかったのだが――もう一押しを得られなかったルシルは頭を切り替える。
懐に潜り込んだルシルの上に、傾いていた
その落下を柔らかく足で支え、今度は押し出すような蹴りを見舞う。
柔らかく丸い腹への攻撃を許した
周囲の木々や地面を引っ掻け、ピンボールのようにあちこち弾き飛ばされて。
あちこちに緑の体液をまき散らして飛ぶ姿は、見るまでもなく大ダメージ。
だが、ルシルは
ミルムの魔術で吹き飛ばせなかったため、やむなくだ。
リゼットの状態が分からない中、彼女の頭上で奴の身体に穴を開けたり爆散させてはまずい。
そんなことより――
「無事か、リゼッ!」
彼女が獲得した自立型魔術式、《
あらゆる
そう、回帰、である。
毒や怪我を負う前の身体に回帰する。
魔力や体力を消費する前の身体に回帰する。
さらにその回帰は一度きりではなく、万全の状態にまで
強固かつ強大な世界ではなく、矮小かつ最もよく知る自らの肉体のみを書き換えることで成せる荒業だ。
当然、
ゆえに彼女にスタミナ切れなど絶対に起きない。
結果的に魔力も無尽蔵であり、何人たりとも彼女を害せない。
怪我を負うことさえ難しく、ましてや悲鳴を上げるような事態に陥るなんて
これが歴代聖女が大事に匿われるのに対し、リゼットが最戦線に出て来られる理由である。
だが、そんな異常事態が
地面に横たわり、全身が土と血でぐずぐずになっている彼女を抱き上げる。
普段の神々しさなど欠片もなく、今はか弱い一人の少女にしか見えない。
意識を失ったのか、抱き上げてもぐったりとしていて反応がなかった。
すぐさまミルムに水をオーダー。
彼女のことは森に潜むカランディールに押し付けていた。
あの場所なら問題なく拾ってくれると信じて。
ただ、戦闘だとしては一瞬でも、滞空時間と考えれば長すぎる。
よくぞ無傷で抱き止めてくれたものである。
ルシルはリゼットの袖をビッと千切り、胸元を開けて身包みを剥ぐ。
降ってくる水球がバシャリと二人の全身を濡らし、汚れがざばっと流れて行った。
そこには酷く損壊した身体……ではなく、つるりとした肌が顔を出し――
「……る、ルシル?」
「起きたかリゼット。何処か不調はないか? 《
テキパキとリゼットの肌に手を這わせ、傷の具合を確かめる。
人体の急所の首、胸、腹。そして四肢に至るまで。
全身をくまなく調べても特に異常は見当たらない。
ただ、本人の意識はまだはっきりしておらず、ぼおっと状況を振り返っていた。
「え、えぇ。そういえばわたくしは
「
「は、はいっ! って、えぇ服が?!」
「緊急事態でな。説明は後だ。これでも被ってろ」
羞恥心は後でいい。だが、そのままでは動きにくいのも事実である。
ルシルはバッと上半身裸になり、パン、と音を鳴らせて水気を切ったシャツをリゼットの頭から被せる。
上着は
体格の違いですっぽりと被せられたリゼットを立たせる。
「まったく、手こずらせてくれるぜ……」
ルシルは濡れる髪をかき上げながら悪態を吐く――暇もないらしい。
身体を揺らす
見た目には瀕死だが、起き上がれるのなら動くだろう。
どうにも虫は痛覚に疎いらしい。少なくともそれでリゼットは死に掛けた。
ぐぐぐと力を込めている様子に――先制したのはカランディールだ。
ミルムを背に乗せたままに、
やはりダメージが薄いからか、対応する素振りさえ見せない。
その体力がないのかもしれないが。
考察する時間を与えないように、彼らの横合いから小型の魔物が襲い来る。
だが、その襲撃さえもエルフの超感覚によりカランディールは察知していた。
魔術で操る蔦が網のように絡めとり、行く手を阻む。
危なげなく距離を取って放った矢は、的確に急所に突き立てていく。
だが、中には絶命に至らない輩も居る。
それでも蔦に阻まれたそれらが彼に届くことはなく、むしろ間合いを詰めたことで腰に佩く細身の剣が命を絶つ。
その動作は軽やかで、背に乗るミルムにさえ負担がなさそうだ。
幾重にも命を守り、一方的に奪う洗練された後の先。
狩猟の心得を見せつけるような鮮やかさに、リゼットの手を取って復帰を待つルシルは感心する。
基本的に彼らは襲撃ではなく、待ち伏せを得意とするのだろう。
であれば、ルシルと同行すれば、たしかに弓矢の牽制くらいしか活躍の場がなくなる。
感心の間もなく、ドッと
いつの間にか修復していたらしい。
向かう先は鬱陶しい矢を扱うカランディールで、不可視の蜘蛛の糸と魔術の蔦では性能が段違い。
彼我の狭間にある蔦に絡まる魔物ごと切断してしまう。
だからこそ、軌道が見える。
「吹き散らせミルム!」
ルシルの
細く鋭い不可視の糸の弱点は軽いことである。
あちらへはもう近寄れないな、とルシルはチェックする。
そんな間にも戦況を動かすカランディールの蔦が投網のように広がり――落ちた。
「……うん?」
その距離、実に10メートル……全く届いていない。
目測を誤るにしては遠すぎる。ましてや
本人も首を傾げるお粗末な結果に、ルシルは違和感を覚え……。
「なるほど、そういうことか」
「どうしたのです?」
「こいつは俺にしか倒せないらしい」
何かを悟った彼は、ようやく立ち上ったリゼットに笑って告げた。
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