127破滅を呼ぶ蜘蛛

 睥睨する草食獣、地獄鹿ヘルジカ

 次に疾走する怪鳥、堕鳥ダチョウ

 いずれもが討伐部隊の編成が必要な主役級の魔物たちである。


 それらを経た今、目の前には破滅蜘蛛アナーキクラウドが鎮座する。

 ダメージが甚大だったからか、それとも堕鳥ダチョウが馬鹿でかかっただけなのか。

 随分と縮んだ印象がある……それでも通常個体の倍はあった。


 変成を終えた破滅蜘蛛アナーキクラウドは、口を威嚇のように開け閉めしている。

 あの強靭な顎が敵に食い込めば逃げ場はない。

 そして捕獲用の麻痺毒、さらに捕食用の消化液だえきを注入する牙も隠れている。

 さらに見た目のサイズに反して軽く、だからこそ初速は馬鹿みたいに早い。

 油断していると捕食され、掠めれば轢き殺される。

 動くたびにまき散らされる極小の毛は、触れるだけで爛れくさり、極めつけが――


「尻から出す糸に気を付けろ。半透明で細い。飛ばされた時点で見えないと覚悟しとけ」


「そんなものをどうやって避ければ……」


「尻の向きで予測・・しろ。引っ掛かったらその部分が切り落とされるなくなると思えよ」


「無茶を、言いますね……」


「あぁ、そうそう。粘着性、伸縮性、強靭性に特化した糸を使い分けてくるからな。トラップにも注意だ」


 要はあちこちに仕掛けられる糸・・・・・・・も含め、吐き出される糸は全て避けろということだ。

 どれだけの記憶力があればそんなことができるのだろうか……。

 リゼットが頭を抱えていると、件の魔物がぶるりと身体を揺すった。

 ふわりと光に反射してキノコの胞子のような細かな毛が舞う。

 まき散らされた毛に触れただろう、木の皮がボロボロと剥がれ、草は緩やかに茶色く爛れる・・・

 破滅蜘蛛アナーキクラウドの踏みしめた地面がぐじゅりと沈む。


「な、な、なっ……!」


破滅蜘蛛アナーキクラウドは雑食性。いや、悪食・・と言った方が正しいか。

 森の頂点捕食者プレデターであり、腐肉を漁る掃除屋スカベンジャーでもある。捕まったら生き・・地獄を味わうぞ」


 そのアドバイスにどれほどの価値があるかはわからない。

 地獄鹿ヘルジカにしても堕鳥ダチョウにしても、特性は似ていても本質的には別物だ。

 元々あんなにも大きくはないし、耐久性タフさも攻撃性も高くない。

 何より別の魔物に変身するなどありえない。

 ゆえにルシルが投げた説明は『最低限』の能力だ。

 それをベースにどれだけ上積みされるか――


「来るぞ!」


 警告と共にルシルがはしる。

 そしてあれだけ色々言った本人が破滅蜘蛛アナーキクラウドの顎を正面から・・・・受け止める。

 獲物を見定めた……攻勢に節を曲げた瞬間であり、ルシルは完璧な後の先を制していた。

 邂逅の軽い衝撃でも破滅蜘蛛アナーキクラウドの身体が震え、周囲に危険な毛をまき散らす。


「大、水球!!」


 ルシルの指示は単語にまで圧縮されている。

 ミルムによって巨大な水球が破滅蜘蛛アナーキクラウドの頭上に形成され、ぽたりと雫のように歪んだ瞬間に降り注ぐ。

 その圧はすさまじい。細い脚では支えきれず、腹をビタン、と打ち付けた。

 危険な毛は湿気を含んで重くなり、飛びにくくなっている。

 水に流れたものも効力が薄まり、地面を浅く爛れさせた。


 そして無手やメイスの打撃は、落ち着いた危険な毛を噴火のように周囲一帯に散らせてしまう。

 ゆえに――


「おぉおおお!!」


 地面に落ちた剣を拾うため、ルシルは雄叫びを上げながら、ずん、ずん、ずんと一歩、一歩押し込んでいく。

 爛れた地面はぬかるんで滑る。そしてガタイに見合わぬ軽さとはいえ、十倍ものサイズを運ぶ姿は異常の一言。

 踏ん張りがきいていないのはお互い様……いいや、カランディールは相変わらずいい仕事をする。


 ルシルを前に他所に意識が向けられず、堕鳥ダチョウよりも外殻は柔らかい。

 特に脚はひと際細く、腐食の毛が舞う中でも的確に節を撃ち抜いていた。

 がくん、と力が抜けるのを感じ、ルシルの口角が少し上がる。

 押し込まれて仰け反る破滅蜘蛛アナーキクラウドを左手一本で支えて剣を拾う。


 顎を掴む左手を放し、口の奥にある毒牙を掴んで地面へと叩きつけた。

 口内で牙が砕ける感触を確認したルシルは、頭で柔らかい地面を掘り返す破滅蜘蛛アナーキクラウドの脇を素早くすり抜ける。

 肌が接するほどの距離で、矢の突き立つ脚の節を鮮やかに切り落とす。

 一本、二本、三本……と、落ちた脚をあちこちに蹴って背後へ抜けた。

 片側の脚が無くなれば、移動はおろか向きすら変えられない。


「カラン、撃ち付けろ!」


 ルシルは宙に浮く脚を指差した。

 密林の奥から放たれた矢は、それぞれの脚を完璧に穿ち、巨木に磔にする。

 ぶら下がる脚の毛がじゅくじゅくと周囲を爛れさせるが、二の矢、三の矢によって完全に固定された。

 これで脚が繋がることはないだろう。


「な、カラン。破滅蜘蛛アナーキクラウド死兵ダチョウよりマシだろう?」


 比較するような対象ではないが、どちらも制したルシルであれば許されるだろう。

 そして最も危険だと話した、糸の噴門部を踏み潰して距離を取る。


「ミルム、でかい水くれ!」


 ルシルの指示オーダーに従い、空中に巨大な水球が発生した。

 落下に合わせてルシルが突っ切れば、身体のあちこちに燻ぶる毛の一切を洗い流す。

 さしもの彼も、裸になるのはごめん被りたい。

 それにこの毛を吸い込み、肺を侵されたくはなかった。


 そうして一連の警戒が外れた瞬間。

 またも密林から別の魔物が飛び出して――


「だから気をつけろよ!」


 ミルムを襲う寸前でルシルが間に入って蹴り飛ばす。

 カランディールの矢よりも早い到着にリゼットが驚くのも束の間、襲い来る魔物の数が一気に増えた。


「カラン、リゼと合流!」


 二人を守ることを諦めたルシルは、運動音痴リゼットをカランディールに託す。

 足止めや牽制さえできれば彼女の火力は絶大であり、状況に応じた補佐は全員を生かす。

 ミルムを抱いて距離を取れば、その場に残るリゼットに標的が移り魔物が殺到する。


 自身に突撃してくる魔物ほど彼女にとって容易い相手はいない。

 手にするメイスを愚直に振り回すだけで敵は吹き飛び、木々に叩きつけられていく。

 全感覚が強化された彼女を抜くのは、有象無象には荷が重い。


「ルシル、ヤツの脚が!」


 急に忙しくなった戦況で、ミルムの声に視線を向ける。

 切り落とした節の先から、もにゅもにゅと再生が始まっていた。

 これだから、とルシルは神域のイレギュラーさに内心で悪態を吐く。

 すぐにでも対応を求められるが、彼女の身体は急制動には耐えられない。

 距離とミルムがルシルの行動を遅らせる。


 回復アレはもう間に合わない。


 直感に従い、ルシルは「そっちに行くぞ!!」とリゼットに警告を発する。

 そしてルシルの直感は正しく、破滅蜘蛛アナーキクラウドは未完成な脚のまま、自身を発射させた・・・・・


 ――ガオンッ!


 堕鳥ダチョウと負けず劣らず、空気の衝撃だけを残し、ミルムの視界から破滅蜘蛛アナーキクラウドが消える。

 軌道を追うルシルの視線の先では、魔物を蹴散らしていたリゼットも居ない。

 彼女は破滅蜘蛛アナーキクラウドの顎に囚われるばかりか、その重量でもって地面に叩きつけられていた。

 そればかりか地面でり下ろされ、ブレーキに使われたのは、残された地面のくぼみが物語っていた。

 凄惨な結果に、他者の生き死にに疎いミルムもぎゅっとルシルの服を掴む。

 だが、リゼットをよく知るルシルは心配さえせず――


「ぎぃゃああああ!」


 聞き慣れない、悲鳴が上がる。

 ルシルの思考は『そんな馬鹿な』の一言で埋まった。

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